【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第160回:謀将の密計】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第160回:謀将の密計】

うるせぇうるせぇ!やったもん勝ちだぁ!伊豆国豪族:北条時政。後の北条得宗家初代当主にして鎌倉幕府初代執権。平治の乱に敗れた河内源氏の嫡流、源頼朝が伊豆国へ流された際に北条家はこの監視役にあたった。そんな中で長女:政子が頼朝と恋仲となってしまった為に、当初これに猛反対するが最終的に二人の仲を許して源頼朝の義父として源氏と交友するに至る。壇ノ浦の戦いで平氏が滅んだ後に、源頼朝の命によって京の守護を担い朝廷との交渉役を務め1185年 後白河法皇に対して幕府政権に不可欠な「守護・地頭の設置」を認めさせた。(現代教育ではかつて鎌倉幕府の成立は源頼朝が征夷大将軍に任命された1192年としていたが 現在では「守護・地頭の設置=日本各地の統治・税収権を得た」1185年が鎌倉幕府の成立年とされている)そして1199年、義理の息子でもあった源頼朝が死去。これを契機に鎌倉幕府内で権力闘争が発生し時政は嫡男である義時と共に北条家によって幕府を牛耳ろうと画策。「梶原景時の弾劾」「比企能員の暗殺」手段を選ばずに政敵を排除し続けた北条氏は権力を増し続けて頼朝の息子である第2代将軍である源頼家を廃するほどになっていった。その後、時政の娘婿:平賀朝雅と、畠山重忠の嫡男:畠山重保が酒宴の席で喧嘩を起こしこれを見た時政の後妻である「牧の方」は自身の娘婿を支持。牧の方の進言によって時政は畠山重忠に叛意有りと虚報を流して討伐隊を編成。義時にも命じて畠山重忠を討ち取ったが、これは虚報であったことが発覚し義時は義兄弟であった重忠の首を前にして、父:時政との対立を決意した。幕府内の人心を失い焦った時政は牧の方と共謀して平賀朝雅を将軍に擁立させようとするが義時・政子という自身の子たちに妨害され、御家人の大多数が義時を支持したことにより時政は強制的に出家させられて追放。元の伊豆の地で隠居生活を送りそのまま、やっと掴んだはずの栄華とはほど遠い僻地にて死去した。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

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