【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第148回:大岡裁き】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第148回:大岡裁き】

見やれ、これぞ神妙なる大岡裁き!徳川幕府第八代将軍:徳川吉宗の側近にして、大江戸南町奉行:大岡越前守忠相。暴れん坊将軍の有能側近であり、彼を主人公にした時代劇「大岡越前」でお馴染みの名奉行。(ちなみに大岡越前の方が歴史的には過去の作品であり、暴れん坊将軍が後発である)三河松平氏の時代から徳川家に仕え続けた大岡家。その四男として生まれ兄が、時の将軍:徳川綱吉に島流し刑を受けたこともあり大岡家の家督を継ぎ徳川家康の父:松平広忠から一字賜って「忠相(ただすけ)」の名を与えられた。忠相が25歳の時、将軍直下の書院番(親衛隊)に配属。さらに出世を重ねて31歳で目付方(監視役)という官僚の域にまで昇進。第七代将軍:徳川家継の時代には普請奉行へ到達していた。そして家継夭折の翌年、第八代将軍:徳川吉宗の時代に抜擢され江戸南町奉行に任命。享保の改革の先鋒者となり、吉宗の掲げる政策を実際に施行する役として「火消隊の編成」「書籍法律」「目安箱設置」「貨幣改鋳」等の事業を担った。さらに後に町奉行と同じく将軍直属の最上位職である寺社奉行に転任後長く幕府に尽くした忠相に対しての加増の末、最終的には1万石の領地を与えられ明治時代まで続く西大平藩(現在の愛知県)初代藩主となった。(250年以上にも及ぶ江戸時代で奉行が大名にまでなったのは歴史上、忠相のみである)そして徳川吉宗崩御の約半年後75歳の天寿を全うして、吉宗の後を追うようにこの世を去った。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

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