我が眼に燃ゆる猛りを見た者は無い・・・!魏国の行政及び軍事の最高指導者に上り詰めた武将/軍師/参謀/為政者:司馬懿。字は仲達。名門:司馬家の出身にして、後に曹家に仕えることとなるが司馬懿の才を警戒した曹操が存命のうちは重用することは無かった。曹丕の代に移ってからは元々曹丕の部下であった司馬懿は既に曹丕の信頼を得ており要職に就いた。曹丕が在位期間僅か6年で死去した後は魏の最高位指揮官となり幾度の北伐を繰り返した蜀の5回目の侵攻、それも諸葛亮自身が指揮する蜀軍に対して司馬懿は防衛軍を編成して五丈原にて対峙(五丈原の戦い)蜀の相次ぐ遠征による国力低下/兵糧不足/諸葛亮の死期を把握していた司馬懿は防戦に徹することで局地的に蜀が勝つことはあっても挑発には一切乗らずに大局的優位を取り続けた。結果、諸葛亮が陣中にて没して撤退。司馬懿の防衛戦はほぼ完全な勝利として幕を閉じた。いつしか曹家の勢力をも上回る影響力を持った司馬家であるが、当然曹家はこれが面白くない。司馬懿としてもいつ自身と一族が粛清されるか不安が募りそれに加えて曹家主導の戦での連敗続きから魏国そのものに対する危機感が募っていった。そして249年、司馬懿は軍事クーデターを決行する。(高平陵の変/正始の政変)これにより司馬家は魏王朝を乗っ取り、権力を掌握。その約2年半後に没するが、息子の司馬師/司馬昭。孫の司馬炎によって新たな王朝:晋が建国され三国時代の最終的な勝利国の祖として司馬懿はその名を残している。長兄の英傑大戦: mylist/73130055