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【ゆっくり解説】陣形に関する一考察(陣形の歴史篇)
今回は各種陣形について、その歴史的背景も含めてご説明です。
皆大好きファランクスとかスペイン方陣もあるでよ。
次回(歩兵と戦車篇)
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前回(横陣と縦陣篇)
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BGM:四輪の塔/英雄伝説 空の軌跡SC オリジナルサウンドトラック / Copyright © Nihon Falcom Corporation
背景のゲーム:Sandstorm Studios Inc.「Rise of Liberty」
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大本営ってなあに? 『笹幸恵の軍事トリビア』#1
新番組登場!!
軍事というと、とかく敬遠する人が多いのではないでしょうか?
しかし、軍隊とはいわば人間関係の縮図であり、その中には美しいことも醜いことも全てが凝縮されています。
さらに軍の組織・編成・教育・戦い方などには、その国の国民性が如実に表われるものです。
そして同時に、歴史をぶ上でも、軍事の知識は必要です。
そんなところから、軍事に興味を持ってもらえたらということでスタートした「軍事トリビア」!
第1回のテーマは『大本営ってなあに?』誇張・粉飾された、信用できない官製報道の代名詞として「大本営発表」という言葉がよく使われますが、そもそもこの「大本営」とは一体何なのでしょう?
だいたい15分でわかる かもしれない ミッドウェー海戦『笹幸恵の軍事トリビア』#11
昭和17年(1942)6月5日、日本海軍が正規空母4隻を一度に失うという大敗北を喫したミッドウェー海戦。
それまで快進撃を続けていた日本軍は、これを機に攻守が転換、どんどん守勢に立たされることになる。
この、日本軍最大の転機となった海戦は、どのような経緯で何を目的に行われたのか?
そして、その敗因はどこにあったのか?
だいたい15分でわかる予定でしたが、26分でわかります!
軍隊符号あれこれ~私の密かな楽しみ教えます♪ 『笹幸恵の軍事トリビア』#43
「軍隊符号」とは、陸海軍のそれぞれの部内だけで使用された略号や記号のこと。
作戦上の地図などに、部隊などの正式名称をいちいち書き込むわけにはいかないので、共通して分かるように定められたもので、多くはアルファベットと数字の組み合わせになっている。
例えば「南東方面艦隊司令部」は「NTF司」、第28設営隊は「28seg」など。ローマ字表記や、英語表記の頭文字から取ったものが多いが、由来のわからないものもあるという。
さて、そこで、笹さんが軍隊符号を使って日常的にやっている、密かな楽しみとは?
なぜ日本は真珠湾を攻撃したか~対米開戦の端緒は〇〇にあり 『笹幸恵の軍事トリビア』#6
12月8日(日本時間)は、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した日。
その日を前に、今回はまず真珠湾攻撃の概要とその結果について解説。
そしてさらに、なぜ真珠湾攻撃に至ったのかを考察していく。
まずその端緒は、日米外交交渉による解決を拒否した「ハル・ノート」にあり。
ではなぜ日米外交交渉が必要となったのかは、「ABCD包囲網」などによる、米国の経済制裁にあり。
ではなぜ米国が経済制裁をしたかというと、日本軍が仏印に進駐したため。
ではなぜ日本軍が仏印に進駐したかというと…
果たして対米開戦の端緒はどこまでさかのぼる?
戦争体験者は終戦をどう迎えたか 『笹幸恵の軍事トリビア』番外編
8月15日、終戦の日を前に送る番外編。
ジャーナリストとして数多くの戦争体験者に取材してきた笹氏は、誰にも必ず同じ質問をしてきたという。それは、「どのように終戦を迎えましたか?」である。
終戦を知った場所も経緯も人それぞれ。そして、階級が兵か将校かでも、感じ方は全く違う。死から生へ、公から私へと切り替わった瞬間に思わず湧き上がった感情とは?
高森明勅氏を聞き手として、経験者にしかわからない貴重な証言を現在に伝える!
兵は手足で将校は頭脳 では下士官は? 『笹幸恵の軍事トリビア』#2
新番組第2回!!
今回は軍隊の「階級」について。
軍隊組織について語るうえで「階級」は基礎中の基礎。
陸海軍の階級は大きく「兵」「下士官」「士官」に分かれ、さらにそれぞれが細かい階級に分かれている。
徴兵によって入隊すると、最初は全員「兵」の一番下の「二等兵」。半年ほど後には「一等兵」になるが、その後はその人次第。
戦争映画でよく出てきた「古参兵」ってどういう人?「星の数よりメンコの数」ってどういう意味? 「士官」と「将校」ってどう違うの? などなど、聞けば納得のトリビア満載!
「不敬罪」ってどんな罪?~ヤフコメの皇室バッシングは懲役何年?『笹幸恵の軍事トリビア』#64
小室眞子さん、圭さん夫妻は渡米したが、バッシングはなおも続きそうだ。
Yahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)などは、目を覆うような罵詈雑言が際限なく続く。
そしてバッシングはそんなネットの書き込みや、事実無根の週刊誌報道を批判された秋篠宮殿下にまで向かう始末である。
こんな歯止めのかからない状況に、もはや「不敬罪」を復活させた方がいいのではないかといった発言も、ゴー宣道場内では出てきたりもしている。
さて、この「不敬罪」だが、戦前に存在した法律として名前は聞いたことはあっても、それがどんな法律で、どんな罰則があったのかということまで知っている人はほとんどいないはず。
というわけで、調べてみました。
もしいま不敬罪が存在していたら、ヤフコメに皇室バッシングを書き込んでいる人にはどんな刑罰が科されることになるのか?
軍隊めしたき物語(陸軍編)~腹が減っては戦はできぬ!『笹幸恵の軍事トリビア』#33
軍隊の食事事情は、陸軍と海軍では全く違っていた。
というわけで、前回の「海軍編」に続いて今回は陸軍について。
陸軍は海軍と違って調理専門の兵はいない。
部隊には炊事班があり、炊事班長はたいてい、古参の軍曹が務めた。その理由は?
さらに陸軍が海軍と特に違ったことは、食事を作る以前の問題。
戦線を拡大するにつれ、そもそも食糧を調達すること、第一線に届けること自体が難しくなったのだった。
戦争末期になると、それは惨憺たるものとなり…
学徒出陣にいたるまで~徴兵のしくみってどうなってるの?『笹幸恵の軍事トリビア』#14
三浦瑠麗氏が8月12日の東京新聞で「大日本帝国が本当の意味で変調を来たし、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、1943(昭和18)~45年のせいぜい2年間ほどでした」と述べ、物議をかもした。
三浦氏はなぜその2年間なのかということについて、ツイッターで「大学生らが出陣した最後の2年」だからと説明している。
だが、これは完全な無知に基づいた主張である。
今回は、これを機会に徴兵とはどういう制度だったのかを解説、その上で、徴兵を猶予されていた大学生が、どのように出陣に至ったのかを語る。
実は「学徒出陣」とは、見方を変えれば「人権を極端に弾圧」したというよりも、「不平等の是正」だった!
二・二六事件が遺したもの~軍部独裁の萌芽は「昭和維新」によって生まれた!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#8
昭和11年(1936)に起きたクーデター未遂「2・26事件」
何度となく映画・ドラマ・小説などに取り上げられてきた題材だが、発生から既に80年を越え、詳しく知らないという人も多くなったのでは。
今回は2・26事件とは何だったのか、まずその概要を説明し、事件が後の世に何を残したのかを明らかにする。
決起将校たちは、政治経済の混迷や農村地域の大飢饉に怒りを抱き、「尊皇討奸」「昭和遺臣」をスローガンに、国家改造を目指したが、その背景には陸軍内部の「皇道派」と「統制派」の対立があった。
そして、事件が鎮圧された後には、決起将校たちが予想もしていなかった状況が残された。その後、国の滅亡に結びついていく「軍の暴走」を許すことになった、2・26事件の「置き土産」とは?
THE聖地~仙台編~『笹幸恵の軍事トリビア』#79
軍事トリビア、特別バージョン!
今回は聖地巡礼、仙台編!
「仙台といえば、そう、歩兵第4聯隊です!」
ということで、かつて第4聯隊の兵営があった榴岡(つつじがおか)公園へ。
唯一残る兵舎と「聯隊之跡」の碑を感慨深く巡る。
続いては宮城県護国神社を参拝、英霊顕彰館を見学。
最後には「大好物」にも遭遇!
大満足、大興奮の仙台聖地巡りをご覧ください!
祖父はシベリア帰りだと思っていたら全然違っていた件~大陸における日本軍最後の攻勢作戦に参加『笹幸恵の軍事トリビア』#76
第65回「身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!」
https://www.nicovideo.jp/watch/so39888282
から始まった、親族の軍歴を調べてみるシリーズ。
その後、視聴者の方やスタッフ・時浦の祖父の軍歴について扱ってきたが、今回は満を持して、笹さん自身の祖父の軍歴を調査、報告!
調べてみたところ、祖父はシベリア抑留から帰還したものと思い込んでいたのが、軍歴にはシベリア抑留を示す「ソ満国境通過」という記載がないことが判明。
代わりに記載されていたのが、聞いたこともなかった陸軍の作戦「湘西作戦」に参加したという軍歴。
果たしてこの作戦はどういうもので、どういう経緯でこの作戦に参加し、どのような経験をしたのか?
調べてみると、生前の祖父が語らなかった苛酷な参戦経験が浮かび上がってきた…
軍港・呉の新たな聖地~「ネイビー萌え」したい人はぜひどうぞ♬『笹幸恵の軍事トリビア』#71
広島県・呉といえば、旧海軍時代からの軍港。
ゆかりの名所としては「大和ミュージアム」や「てつのくじら館」などが有名だが、ここにもうひとつ、新たな名所が誕生した。
その名は、「澎湃館」(ほうはいかん)。
明治33年(1900)竣工の呉海軍造兵廠予備艦兵器庫並預兵器庫として使われた赤レンガ倉庫で、日本遺産構成文化財にも認定されている。
その内部には、海軍や海上自衛隊が好きな人にはたまらない魅力的な展示があり、イベントも開催、お土産品等も充実している。
そんなマニア心をくすぐる見どころの数々をご案内!
澎湃館
http://hohaikan.com/
「時浦上等兵」の軍歴証明書~トッキーのおじいさまはやっぱり「時浦上等兵」だった!~『笹幸恵の軍事トリビア』#70
第65回「身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!」
https://www.nicovideo.jp/watch/so39888282
を見て、自分の身内の軍歴も調べてほしいと言い出したのが、よしりん企画の時浦。
漫画『卑怯者の島』に登場する「時浦上等兵」のモデルでもある時浦は、祖父がシベリア抑留の帰りに戦病死しているが、それ以上の詳細は一切不明。
そこで第65回で紹介された手続きをとり、軍歴証明書を請求してみたものの、戦後の混乱の中で兵籍簿が紛失しているということで、届いた情報はごくごくわずか。
しかしここからが笹師範の腕の見せ所! そのごくわずかの手がかりを基に、時浦の祖父がたどった足跡を様々な資料を駆使して推測していく!
そうして見えてきた、一兵隊の数奇な運命とは?
日本軍にはなぜ空軍がなかったの?『笹幸恵の軍事トリビア』#66
今回は視聴者からのご質問にお答えします。
日本軍には「空軍」が存在しなかった。
イギリス軍は第1次大戦末期の1918年に空軍を創設。
第2次大戦中は英軍の他にイタリア、フランス、ドイツも独立した空軍を持っていた。
そして米軍の空軍創設は戦後の1947年。
これに対して日本軍は、陸軍が飛行隊、海軍が航空隊を別々に持っていて、独立した空軍を持つという構想はついに終戦まで具体化しなかった。
陸海軍共に相当の航空部隊を持ち、特に大東亜戦争初期には華々しい戦果を挙げていながら、なぜ空軍は作られなかったのか?
「なぜあったのか」という理由を探るよりも、「なぜなかったのか」の理由を探る方がずっと難しいものだが、その難問に挑みます!
身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!『笹幸恵の軍事トリビア』#65
身内に軍隊経験者がいるけれども、軍隊でどういう経歴があったのか、どこの戦地へ行ったのかなど、詳しいことは知らないままという人は多い。
戦死した人ならもちろんのこと、帰還した人でもつい詳しいことを聞かないままに亡くなってしまい、悔いを残している人もいるだろう。
そういう方々から、どうすれば身内の軍歴を調べることができるのかという質問をもらうことがよくあるので、今回はこれに笹師範がお答えします!
その第一歩は「軍歴証明書」を取得すること。
難しい手続きが必要かと思われるかもしれないが、三親等以内の遺族であれば、意外に簡単。
軍歴証明書の取得の方法から、これを手掛かりにしたさらに詳しい出征状況の調べ方までを丁寧にご説明します。
これを見て軍歴証明書を取得された方は、ぜひ笹師範にお見せください!
利他的な自己犠牲的精神の賛美に潜む危険性~ワクチンを接種する若者は国を守る兵士と同じ!?ABEMA Primeのパックン発言を考える~『笹幸恵の軍事トリビア』#62
若者は新型コロナに罹ってもほとんど重症化しないし、死者も出ていない。
つまり、ワクチンを打つ必要などない。
ところが、「若者は自分のためではなく、他人にうつさないという『利他的意義』のために打つべきだ」として若者のワクチン接種をどんどん推進しようという動きがある。
その旗振り役が大阪大の忽那賢志医師である。
9月16日に配信されたABEMA Primeの番組では、中川淳一郎氏が「そんなバカなことがあるか」と忽那を追及、これに忽那は明確に答えられなかった。
そこで忽那に代わるように、ワクチンの「利他的意義」を熱弁したのが、お笑い芸人・パックンことパトリック・ハーランだった。
だがパックンの発言は、一見美しく、反論しづらいように聞こえるが、そこには非常に危険なものが含まれている。
本人が完全に善意のつもりで、その危険性を一切自覚せずに話していることが、さらにその危なさに拍車をかけている。
一見美しい言葉には、警戒が必要だ!!
「野戦病院設立」が最優先?”ごっこ遊び″でしかないメディアの言葉の軽さを検証する『笹幸恵の軍事トリビア』#61
コロナ禍をどうしても終わらせたくない、まだまだ煽りたいメディアの最近のトレンド・ワードは「野戦病院」。
デルタ変異による感染拡大が止まらない、このままでは医療崩壊だ、これに対応するには、「野戦病院」を作るのが最優先だー!! …という具合に何度も何度も言われているのだが、その発信源は例によって、羽鳥慎一モーニングショーの玉川徹。
玉川が言い始めてから、一気に「野戦病院を作れ!」という声が広がっていったのだが、そもそも、「野戦病院」とはどういうものなのか、分かっているのだろうか?
明らかに誰も何も知らないまま、ただ何となくの「雰囲気」だけで言っている。
そこで今回は、実際の「野戦病院」とはどういうものだったのかを、時間拡大で徹底解説!
戦争について完全無知のまま、たかがコロナの流行を「戦時」呼ばわりして「戦争ごっこ」に興じる、幼稚極まりないメディアの実態を明らかにする!!
GoToの一体どこが「令和版インパール作戦」!?~ろくに知らない人がたとえに軍隊を出すと失敗する例~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#53
政府は世論の猛反対に押され、GoToトラベルキャンペーンの一時停止を余儀なくされた。
その際、政府批判でよく言われたのが、「GoToは令和のインパール作戦だ」という表現である。
ほとんど決まり文句のように繰り返されていたが、本当にその例えは正しいのか?
代表として神戸大学大学院准教授・岩田健太郎医師の週刊朝日コラムを挙げて細かく「校正」を入れ、その杜撰な論理(というか、全く論になってない)を明らかにする。
そして、実際のインパール作戦とはどういうものだったのかを解説。本当に、そこにGoToとの共通点はあるのか?
もういい加減、「それは旧日本軍みたいなものだ」とさえ言えば、何か鋭く批判したような気になって悦に入れるという幼稚な心理からは卒業しよう!
軍隊、軍人に関する質問にお答えします~「嵐を呼ぶ質疑応答」に寄せられた質問から~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#52
11月8日に名古屋で開催されたゴー宣道場の第2部「嵐を呼ぶ質疑応答」では、事前の募集に199件もの質問が寄せられ、その中には笹師範への軍隊・軍人に関する質問もあったが、時間の制限もあって扱うことができなかった。
そこで今回は、そんな質問に直接答える!
「旧軍の方々は、男系継承しか認めない皇位継承の制度についてどう考えていますか?」
「旧軍の方の全員が、ということはないと思いますが、中には自衛官に対して複雑な感情を抱かれている方もいるのでしょうか?」
「元軍人の方々は、これまでの日本の外交をどのように感じておられたのか」
「笹さんは大東亜戦争時の日本人と今の日本人の気質の違いをどう見てますでしょうか」
さて、その回答は如何に?
掃海殉職者追悼式と玉木雄一郎議員 機雷掃海と戦後の「戦死」者 『笹幸恵の軍事トリビア』#50
香川県の金刀比羅宮に、「掃海殉職者慰霊碑」がある。
昭和27年に建立、79名の掃海殉職者を慰霊し、その偉業を称える碑である。
では「掃海殉職者」とはなにか?
それは、終戦後の復興のためになくてはならない、命がけの作業によって命を落とした英雄たちである。
そしてさらにその中には、「戦後の戦死者」が含まれている。
しかしこのことは当時は秘密にされ、今も広くは知られていない。
だがこのことは、決して歴史に埋もれさせてはならないことである。
そして、このことと、9月のゴー宣道場に登壇された国民民主党代表・玉木雄一郎議員の関係とは?
ナウル守備隊 知られざる感染症の悲劇 『笹幸恵の軍事トリビア』#49
小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIALコロナ論』の第13章「インカ帝国の滅亡」には、南米大陸に白人がヨーロッパから持ち込んだ感染症が瞬く間に広がり、免疫を持っていなかった現地の住民が全滅していく様子が描かれている。
これを読んで連想したのが、ナウル守備隊の悲劇。
赤道直下にある面積約21平方キロメートルの小さな島・ナウルは、約4000人の日本軍が守っていた。
この日本兵たちは敗戦後オーストラリア軍によって武装解除されるが、悲劇はここからだった。
恨みに燃えるオーストラリア兵は、日本兵を過酷に扱い、ブーゲンビル島タロキナ(トロキナ)で「死の行軍」を強いる。
その後、日本兵はブーゲンビル海峡のビエズ島、マサマサ島に収容されるが、そこで待ち構えていたものは…
戦場と性~伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』より 『笹幸恵の軍事トリビア』#44
小林よしのり著『慰安婦』(幻冬舎)発売中!
そこで今回は、実際の兵隊の目を通した慰安婦とはどういうものだったのかを、笹さんの「バイブル」だという名著、伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』から紹介する。
「軍の関与」というけれど、軍は一体どういう関与をしていたのか?
そして、戦場における兵隊たちの性欲について、先入観を全く覆す現実の有り様。
これぞ極限状態に置かれた人間のリアル!
「性奴隷」だの「女性の人権侵害」だのというイデオロギーで語っている者は、このような人間のリアルを全く見ようとしていない。そういう者たちこそが、兵隊はもちろん慰安婦も侮蔑し愚弄しているのである!
紀元二千六百年 ~人々はどのような生活を送っていたか 『笹幸恵の軍事トリビア』#42
紀元二千六百年とは、神武天皇が即位してから2600年とされる年で、昭和15年・1940年のこと。
ちなみに今年・令和2年は紀元2680年ということになる。
昭和15年といえば、支那事変が泥沼化して久しく、その翌年には日米開戦に至る年である。紀元二千六百年の祝賀行事が行われたということは何かで聞いていても、「ぜいたくは敵だ!」のスローガンが町中にあふれた、暗い谷間の時代だったというのが大部分の人のイメージではないだろうか?
ところが、昨年のゴー宣道場にも登壇したアメリカの日本近現代研究家、ケネス・ルオフ氏の著書『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』(朝日新聞出版)を読むと、イメージはガラッと変わる。
膨大な一次史料に当たって浮かび上がった、ほんとうの紀元二千六百年の姿とは?
そして、意外なところで浮かび上がった「日本人」「日本民族」とは何かという議論とは?
極限状態で人はどうなる?~『「戦争」の心理学』から 『笹幸恵の軍事トリビア』#40
今回は少し趣向を変えて、戦闘時の心理と生理について徹底的に研究した本、デーヴ・グロスマン著『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』(二見書房)から、極限状況では人間の心と身体に何が起きるのかということについて紹介する。
生死の境目にさらされ、一瞬先の運命が分からない極度の緊張状態に置かれると、人間の身体には平時には想像もできないような反応が現れる。
俗に臆病者のエピソードのように扱われ、不名誉であまり語られることのないあの現象も、実は極限状態においては誰にでも起こりうる生理現象なのだった…
南方戦線とトイレの話~便所の数で兵力判定!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#37
今回はちょっと趣向を変えて、題材を「トイレ」に絞ったお話。
南方の戦跡取材に行く際、もちろんそこにトイレなどない。
だからといって、水分をとらずに我慢していたら、熱中症で倒れてしまう。たいていは汗で流れるけれども、時にはどうしても催してしまうことがある。そういう時は…もちろん、外の適当なところで済ますしかない。
ところがある時、現地の人に、うちにはトイレがあるから使うといいと勧められた。しかしそれが大変なことに…
その他、南方戦線・タラワにおいて、米軍が便所の数から日本軍の兵力を判定していた話や、飛行機乗りはどうやって済ませていたのか? という話など、戦場だろうがどこだろうが、避けては通れないトイレの話あれこれ!
キスカ島撤退作戦~奇跡の「ケ」号作戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#27
前回紹介した「最初の玉砕」、昭和18年5月のアッツ島の戦い。
大本営はアリューシャン諸島の放棄の決定の際、アッツは全滅させる代りに、隣のキスカだけは何としても全員撤退させるという方針を採った。
キスカ守備隊5300名の将兵を救出すべく、木村昌福少将率いる第一水雷戦隊15隻の艦艇がキスカに向かう。
だが、その遂行は困難を極め、作戦は2度も中止される。
そして三度目の正直と挑んだ時、実はそれが、このタイミングでなければ成功しなかったかもしれない、幸運な偶然が重なった奇跡の時だった!
日本の敗戦に何を思うか 『戦中派不戦日記』(山田風太郎)から 『笹幸恵の軍事トリビア』#25
今年ももうすぐ8月15日がやってくる。
昭和20年の8月15日、人はどんな気持で過ごしたのか?
それを今に伝えるのが、有名・無名様々な人が書いた、当時の日記である。
今回は、当時23歳の医学生だった作家・山田風太郎の『戦中派不戦日記』から、敗戦直後のインテリのリアルな感情を読む。
その時山田風太郎が危惧していたことは、73年後の今日、現実になっているのではないか…?
ポジティブリストとネガティブリスト 自衛隊の【交戦規定】について 『笹幸恵の軍事トリビア』#22
早稲田大学教授で、今日の憲法学者の第一人者ということになっている長谷部恭男氏が、新刊『憲法の良識』(朝日新書)で、こんなことを言っている。
〈自衛隊のできることを「ポジティヴリスト」として、一つひとつ憲法に書き込もう、そのほうが明確になる、と主張する政治家やグループがいます。代表的なのが、立憲民主党の山尾志桜里さんです。〉
ここで言う「グループ」とは、ゴー宣道場以外に考えられないが、山尾氏もゴー宣道場も、そんな主張は一切していない!
今回は、「ポジティブリスト」と「ネガティブリスト」とはどういうものかを解説し、「憲法にポジティブリストを書き込もう」などという主張などするわけがないことを明確にする!
軍法会議ってなあに? 『笹幸恵の軍事トリビア』#21
ゴー宣道場でも憲法についての議論が進んでいるが、その際にときどき話題になる「軍事裁判所」、またの名を「軍法会議」。
自衛隊は「軍法会議」を開くことができないから、一人前の軍隊の機能を満たしていない…といった具合によく言われるわけだが、そもそも「軍法会議」って、何?
今回は、そんな基礎知識をお届けする。
陸軍に「船乗り」がいた!? ~陸軍船舶兵「暁部隊」のナゾ 『笹幸恵の軍事トリビア』#18
以前紹介した、「軍隊に鉄道マンがいた」にも匹敵する、日本軍のびっくり存在、「陸軍に船乗りがいた」!
陸軍兵の輸送任務を行うために設けられた「陸軍船舶兵」。
陸軍は相当に本格的に、大掛かりに船舶の研究を進めていた。
上陸用舟艇の大発動艇(大発)は有名だが、そのほかにも上陸用舟艇の母船で飛行機も搭載できた特殊船や、潜水輸送船もあった。また、戦争末期には準特攻兵器であるベニヤ製のモーターボート「マルレ」も登場している。
戦史にあまり残っていない、知られざる「陸軍の船」の話をひもとく!