寺山さんが劇団を作る前の年です。「話の泉」のプロデューサーだった放送部長が「あなたに絶対、ドラマ化してもらいたいものがある」と言うので、浜松にイケヤ彗星の発見者である池谷さんに会いに行った。 実は、その前に、夢に、失踪した父を探す少年が現れた。それで、浜松の池谷さんのことと、その夢の話をしたら、寺山さんが、「面白い。それやろう。どんなに忙しくてもやるよ」って言う。「なんていったって星ってのはいいよ」って。すぐにジェラール・フィリップの「星の王子さま」というレコードを聴きながら書いてくれた。「少女、失踪人間、彗星ーーその三角形の中の形而上学を書くからさ。あなたは怒りだけを考えて」という。これはまったく手を加えていない完全な寺山さんの台本でした。寺山さんには三稿、四稿まで書いてもらったかな。「ボクが三稿まで書いたのは初めてだよ」と怒ってたけど「でも、それじゃ、世界の賞はとれません」って言うと、寺山さんも納得してくれてね。「じゃあ、りんご半分この思想でいこう。二人でイタリア賞グランプリだ」なんて言って(笑い)。その頃、寺山さん、僕のウワサをわざと流すんです。朝起きたらポストの前にじっと立っていたとか、牛乳取りに行ったら、原稿の催促に来ていた、なんて…(笑い)。文化放送のディレクターに、「佐々木に何も書いてない白紙の渡したら、面白い面白いって読んでた」なんて話したり。そうやって寺山さんという人は他人を飽きさせない人なんです。同時に、人を誉める名人だしね。人の才能を見い出す目は福田善之さんと同じ。僕に才能があるって言ったのは福田、寺山、宮本研の3人だけでした。当時、書いたことも、芝居の演出もしたこともないのに。さて、「コメット」ですけど、それで、最初の詩でもうテーマ音楽ができるというので、湯浅さんが作り始めた。一番こだわったのは若林さんのナレーション部分。主人公は失踪人間なんだけど、それは我々自身のことなんだね。もう、この部分はあからさまにやっちゃおうよ、と。作りながら絶対、イタリア賞をとったと思った。今まで賞を狙って作ったのはこれだけなんです。イタリア賞の賞金120万円もらったからレコードを作ろうと。ところが、NHKに90万円持って行かれたので、残りは30万円。これでどうやって作ろうか、と思っているうちに2年が過ぎてしまった。寺山さん、怒り出してね。で、なんとかレコードを仕上げて届けたら、喜んだこと。「オレ、これを死ぬとき聴くよ」って言う。なぜ?って聞くと、「落ち込んでいる時に聞くと力が出てくるから」と言うんです。(佐々木昭一郎氏の作品解説より)