ukiyojingu+結月ゆかり『この手。この指。この爪。この皮膚。この身体。この弦。この電波。この通信。この線。この音。この画面。この合成音声音楽。この映像。この日々。この生活。私のすべて。 』

ukiyojingu+結月ゆかり『この手。この指。この爪。この皮膚。この身体。この弦。この電波。この通信。この線。この音。この画面。この合成音声音楽。この映像。この日々。この生活。私のすべて。 』

思考実装  #9解説: https://note.com/ukiyojingu/n/nce1c13cb1946ukiyojingu です。 私たちは透明になることに失敗しながらも、誰かに変身しながら、今日も自身を電波へと送信している( https://www.nicovideo.jp/watch/sm41190183 )。半身をゆだねながらも自身を送り続ける私たちはきっと、透明であるようで透明でないような、そんな半透明で濁った存在なのかもしれない。半身は腐ることなく、誰かによって解体されながら、全く違うものへと変身していく。だからこそ、私たちが一つになって消えることももはやできないのなら、私は静かに自分の輪郭をもう一度なぞる必要があるのかもしれない。私は透明になることを希望しながら、一方で自身が透明になりきれないことについて自覚している。そんな私の不安定さは、この音楽の淡白さと不安定さに表出しているように思う。このアルペジオの不安定さ、このリズム感の不安定さ、そしてこの映像の不安定さ…これらすべては私だけの不安定さであり、絶対に再現不可能な私自身の表出でもある。そんな私の演奏は、脱色され白と黒でこうせいされたこの映像に対し、この無機質さを超えた私の血液の鮮明な赤色を伝えてくれている。この赤色こそ、私たちが情報空間上のゾンビとして彷徨うわけでも( https://www.nicovideo.jp/watch/sm40364529 )、ましてや無色透明になって何者でもなくなるようなユートピア、或いはディストピアを目指すような世界でもなく、相互作用によって変化する可能性、私とあなたの組みかわりの可能性( https://www.nicovideo.jp/watch/sm40952503 )を提示してくれるのだと信じている。同時公開: https://www.nicovideo.jp/watch/sm4119018310/13 追記:「エンコードされないものたち——ボカロ曲とテキストの関係性について」というものを書きました。 https://note.com/ukiyojingu/n/nffd2213559ce

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41191012