日系アメリカ人の極秘部隊二世が戦った沖縄

日系アメリカ人の極秘部隊二世が戦った沖縄

第二次世界大戦中、「敵性外国人」として、強制収容などの差別を受けた日系アメリカ人。その中で唯一、日本軍と戦う太平洋戦線に投入されたのが、「MIS(陸軍情報部)」に所属する日系人たちだ。日本語の語学能力を駆使して、暗号解読や捕虜の尋問などの情報収集にあたったMISの兵士たち。中でも太平洋戦争末期には、沖縄にルーツを持つ日系人たちも、沖縄戦に投入されていた。終戦からまもなく76年。ある事情から、兄弟が日米に別れて沖縄戦を戦うことになった、日系二世の元兵士を取材した。(ワシントン支局・渡邊翔)■アメリカ軍に設置された、日本語を駆使する情報部隊太平洋戦争中のギマ・シンエイさん(1944年ごろとみられる) 提供:沖縄県平和祈念資料館7月下旬、オンラインでインタビューに応じてくれたのは、日系二世の元・陸軍情報部兵士であるシンエイ・ギマさん。1925年生まれの96歳だ。元陸軍情報部 シンエイ・ギマさん(96)「(日本語を話す)語学兵の存在は、長い間極秘とされてきました」第二次世界大戦中、「敵性外国人」として約12万人が強制収容された日系アメリカ人。母国アメリカへの忠誠を証明するために、欧州戦線で戦った日系人部隊「442連隊」の存在は有名だが、陸軍情報部の場合、戦後もその存在が極秘とされたことや、兵士が各地の部隊に数人ずつ分散して配置された事情も影響し、正確な部隊員の名簿なども長年、存在しなかった。部隊には専門の語学学校が設置され、およそ6000人(*米第二次世界大戦博物館による)が、ここでの日本語の訓練を経て、各地の部隊などに配属された。彼らは、日本軍と直接対峙する太平洋戦線に参加を許された、唯一の日系アメリカ人で、最前線で、暗号解読や捕虜の尋問など「情報戦」に従事した。ギマさん(96)「例えば、日本兵の指令を聞いて、攻撃してくるぞ、ということなどが分かります。また、日本兵を捕まえたら、情報を得たり、文書を得るために捕虜に尋問する。兵士の日記や公式文書などは貴重な情報になるわけです」さらに彼らは、ジャングルや洞窟に潜む日本軍や、市民に日本語で呼びかけ、投降を促す活動にも従事した。無益な戦闘を避け、お互いの命を救う役割を担ったのだ。沖縄戦でも、多くの日系人兵士が、洞窟に隠れた市民らに、時には沖縄の方言で呼びかけたという。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39727499