[Japan insisted on the elimination of racial discrimination in the League of Nations more than 100 years ago] It could not be met due to the opposition of major countries with colonies [at the Paris Peace Conference held from January 18, 1919]渡部昇一著人種的差別撤廃を国際会議で初めて提案したのは日本だった 国際会議において、人種差別の撤廃を訴えたのは日本が初めてであった。このことは、ぜひ強調しておくべきことである。 しかも日本は無理な主張をしてはいない。アメリカの国内事情なども斟酌して、期限など設けずに「なるべく速やかに」と書いているのである。現在から見れば崇高な意義のあることを、真っ正面から、しかし控えめに打ち出したのだ。 この提案に賛意を寄せる心ある人々も多かった。だが、この案には反対が出されて、流されることになる。当時、植民地を抱えていた主要国からすれば、人種差別撤廃など、とても呑めない話であった。人種差別の国・アメリカでは上院で「人種差別撤廃提案が採択されたならば、アメリカは国際連盟に参加しない」という決議まで行なわれていた。当時の国際社会では、「日本は白人を中心とする世界秩序を混乱させるために、あえてこんな提案をしているのではないか」という疑心暗鬼さえ持たれたのである。 それでも日本は食い下がった。国際連盟委員会の最終会合で日本は、連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」という文言を入れる修正案を提案したのである。この場でも反対意見が出されたが、日本は「これは理念を謳っているもので内政干渉ではない。これに反対するのは他国を平等と見ていない証左だ」と主張して採択を求めた。 その結果、賛成したのは日本、フランス、イタリア、ギリシャ、セルビア、クロアチア、チェコスロバキア、ポルトガル、中華民国。反対はアメリカ、イギリス、ブラジル、ポーランド、ルーマニアであった。条文に規定がない内容を前文に入れるのはおかしいという理由での反対もあったが、それでも賛成票が反対票を上回ったのであった。 だが、議長だったアメリカのウィルソン大統領が、こう述べる。 「全会一致でないので、本修正案は否決された」