終戦工作編その3。東条内閣総辞職後の重臣会議から井上成美海軍次官就任まで。遂に東条内閣を倒した重臣たち。しかし、アジア・太平洋戦争戦没者310万人の約9割が集中する、日本の本当の地獄はここから始まる。なぜこの時点で戦争を止められなかったのか、なぜ東条を倒しても一年以上も続いたのか。当時の状況の「いかんともしがたさ」を中心に見ていきます。<本章関連年表>昭和19年(1944年) 04/17 大陸打通作戦(一号作戦)開始(~12/10)07/18 東条内閣総辞職 ←本章開始07/20 小磯国昭・米内光政に協力内閣の組閣命令07/20 ヒトラー暗殺計画失敗07/21 アメリカ軍、グアム島上陸 (08/10 守備隊玉砕)07/22 小磯内閣成立07/22 米国軍事視察団、延安訪問07/24 アメリカ軍、テニヤン島上陸 (08/03 守備隊玉砕)07/26 ハワイ会談(~7/28)08/05 大本営政府連絡会議を最高戦争指導会議と改称08/07 井上成美、海軍次官就任08/10 鈴木貫太郎、枢密院議長就任08/10 軍需省、「開戦以降物的国力の推移ならびに今後における見通し」作成08/21 ダンバートン・オークス会議開催 (~10/07)08/25 連合軍、パリ入城 (ド・ゴール凱旋)08/28 大達内相、全国神職寇敵撃滅祈願を訓令09/04 最高戦争指導会議、対ソ特使派遣を決定09/10 高木惣吉、「軍令部出仕兼海軍大学校研究部員」となる09/15 アメリカ軍、ペリリュー島上陸09/16 モロトフ(ソ)外相、佐藤尚武駐ソ大使の特使派遣提案を拒否09/28 最高戦争指導会議、対ソ政策を決定次(2/3)→ sm34360950 前章「東条内閣総辞職」 sm33184258 次章「昭和天皇と鈴木内閣成立」 sm35366418