曹洞宗は、永平寺(総本山)開祖の道元と、総持寺(大本山)開祖の瑩山の二人を曹洞宗の「両祖」と呼びますが、峨山は4代瑩山の弟子で、曹洞宗5代(總持寺二世)となり、瑩山の、密教民間信仰吸収政策をさらに進め、白山天台、熊野、稲荷、天神、秋葉権現、道了尊(天狗信仰)などを次々と曹洞宗の傘下に収めて行きます。政治的にも南朝の加護を避け、優勢な北朝側を選ぶことにより足利尊氏からも加護を受け、その後の曹洞宗の発展に寄与すると言う、実に宗勢拡大の戦略家とも言える一面も持っていました。
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