東京にある6つのTV局の内、製作から財務まで一貫して朝鮮人が行ってる局

東京にある6つのTV局の内、製作から財務まで一貫して朝鮮人が行ってる局

  TV局社員“ウチの局がこんなになってしまった経緯”(1)1960年代~テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例えば「朝鮮民主人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”が密かに設けられる。総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。。(2)1970年代~課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm16642943