昭和22年4月23日、神戸市須磨区の歯科医宅に強盗目的で侵入。家内を物色中、物音に気づいた家人が警察に通報。駆けつけた警察官と拳銃を構えて対峙。やがて警察官に向けて発砲したところ腹部に命中。警察官は搬送先の病院で死亡した。昭和25年9月、最高裁は上告を棄却して死刑が確定。服役後は模範囚として日々を送ったが、昭和30年2月11日に死刑執行が確定すると、大阪拘置所長は関係者等に内緒で最後の食事会や死刑執行の状況をテープで録音していた。当時の大阪矯正管区長の考えで、矯正するための資料に用いるための行為だった。