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日本軍にはなぜ空軍がなかったの?『笹幸恵の軍事トリビア』#66
今回は視聴者からのご質問にお答えします。
日本軍には「空軍」が存在しなかった。
イギリス軍は第1次大戦末期の1918年に空軍を創設。
第2次大戦中は英軍の他にイタリア、フランス、ドイツも独立した空軍を持っていた。
そして米軍の空軍創設は戦後の1947年。
これに対して日本軍は、陸軍が飛行隊、海軍が航空隊を別々に持っていて、独立した空軍を持つという構想はついに終戦まで具体化しなかった。
陸海軍共に相当の航空部隊を持ち、特に大東亜戦争初期には華々しい戦果を挙げていながら、なぜ空軍は作られなかったのか?
「なぜあったのか」という理由を探るよりも、「なぜなかったのか」の理由を探る方がずっと難しいものだが、その難問に挑みます!
何かヘンだぞ!? 英米色抹殺キャンペーン『笹幸恵の軍事トリビア』#12
どこかで誰かが「漢文廃止!」と暴論吐いていましたが…
この一件で思わず連想してしまったのが、大東亜戦争の最中に行われた、「敵性語撲滅」などのフレーズを掲げて、日常生活のあらゆるところから英語や英米文化を消し去ろうとした国民運動のこと。
今回は、それがどのような経緯で行われていったのか、当時の新聞・雑誌記事などを見ながら紹介する。
最初のものとして確認できるのは真珠湾攻撃から間もなく、朝日新聞に掲載された記事。民間から始まった運動で、メディアの自主規制が始まった。
英米色を抹殺せねばならない理由として唱えられた主張は、当初から相当にエキセントリックなものだったが、戦況が悪化していくと規制の対象も規模もどんどん拡大していく…
掃海殉職者追悼式と玉木雄一郎議員 機雷掃海と戦後の「戦死」者 『笹幸恵の軍事トリビア』#50
香川県の金刀比羅宮に、「掃海殉職者慰霊碑」がある。
昭和27年に建立、79名の掃海殉職者を慰霊し、その偉業を称える碑である。
では「掃海殉職者」とはなにか?
それは、終戦後の復興のためになくてはならない、命がけの作業によって命を落とした英雄たちである。
そしてさらにその中には、「戦後の戦死者」が含まれている。
しかしこのことは当時は秘密にされ、今も広くは知られていない。
だがこのことは、決して歴史に埋もれさせてはならないことである。
そして、このことと、9月のゴー宣道場に登壇された国民民主党代表・玉木雄一郎議員の関係とは?
真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の間~いったい海軍は何をしていたの?『笹幸恵の軍事トリビア』#34
歴史を見る場合、つい大きなトピックスだけをぶつ切りで取り出し並べるということをやりがちになる。
しかしそれでは、その間に何があり、どう動いた結果次の出来事につながったのかということがわからず、全体の流れが見えてこない。
海軍の戦史にしても、真珠湾攻撃の次に語られるのはミッドウェー海戦というケースが多く、これではなぜ大勝が大敗に転じてしまったのかがわからない。
そこで今回は、真珠湾とミッドウェーの間に、海軍がどういう戦いをしていたのかを解説。
その戦いの中で、少しずつ敗色の兆しは現れ、徐々にその色は濃厚さを増していたのである。
数字と空気と知性 「日米開戦は不可能」とした総力戦研究所の結論はなぜ黙殺されたのか 『笹幸恵の軍事トリビア』#54
日米開戦の4か月前・昭和16年8月、日本が対米戦に踏み切った場合のシミュレーションを行い、確実に負けるという結論を出していた機関があった。
その名を「総力戦研究所」。
内閣総理大臣の管理下に置かれ、30代の官僚、陸海軍人、民間人のエリート30数名が属する研究機関だった。
そのシミュレーション結果は近衛内閣に報告されるが、完全に黙殺されてしまう。
そして日米は開戦。その後は、原爆投下以外はすべて総力戦研究所のシミュレーションどおりに進んでいった…
その経緯は猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』にも詳しいが、それではなぜ総力戦研究所の研究結果は黙殺されてしまったのか?
そこにこそ、現在のコロナ禍で起きていることに通じるものがあるのではないか?
歴史に学ぶとか、戦争の反省をすべきだとか言うのなら、まずこういうところに目を向けなければならない!
玉川徹と大本営作戦参謀・辻政信の共通点 『笹幸恵の軍事トリビア』#48
テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」のレギュラーコメンテーターとして、最近は新型コロナの恐怖を煽りまくることに余念のないテレ朝社員・玉川徹。
彼は、政府批判をする際に「これは旧日本軍と同じ失敗を繰り返している!」という言い方をよく使う(ただし、引き合いに出すのはいつもガダルカナル島に関する不正確な知識だけ)。
あまりにもしつこく日本軍と同じ、日本軍と同じと繰り返す玉川徹を見ているうちに、この人、誰かに似ているなという気がして、思い当たったのが大本営作戦参謀・辻政信。
ノモンハン事件の敗戦の責任者でありながらいつのまにか復活し、終戦まで第一線に就き「作戦の神様」と言われた辻政信。
彼は自分の「正しさ」を疑わず、周囲もその「正しさ」に異を唱えることができなかった。
その辻政信の「正しさ」こそ、玉川徹の「正しさ」とそっくりなのだ!
果して、その共通点とは何か?
10人いたのに[九軍神]~真珠湾に突入した特殊潜航艇 『笹幸恵の軍事トリビア』#7
前回に引き続き、日本軍の真珠湾攻撃に関する話題。今回は、あまり語られないサイド・ストーリーをお届けする。
航空機による攻撃ばかりが注目される真珠湾攻撃だが、実はその一方で、海からの攻撃も行われていた。
2人乗りの特殊潜航艇5艇が出撃、湾内への侵入を試みたのである。
ところが5艇とも戦果らしき戦果を挙げることもなく沈没・行方不明となった。
翌年3月、大本営はこの攻撃で戦死した9人に感状授与、二階級特進の栄誉をもって表彰、発表した。
マスコミはこれを「九軍神」として讃え、朝日新聞は彼らを「特別攻撃隊」と呼ぶよう指導。大いに戦意は高揚された。
しかし、2人乗りが5艇なら10人いたはずなのに、なぜ「九軍神」だったのか?
ホントはすごい!?「憲兵」の話 『笹幸恵の軍事トリビア』#23
軍隊の話の中には、よく出てくる「憲兵」。
言葉だけは知っているけれども、よくその実態は知らない、なんとなく「怖くて威圧的な存在」といった「悪役」のイメージしかない・・・という人も多いのでは?
それは、戦時中の東条英機の「憲兵政治」のイメージの影響も大きいのだが、実際のところ、憲兵とはどういう仕事をしていて、どんな人がなるものだったのか。今回は、それを解説します!
確かに権力を笠に着た威圧的な人もいただろうが、多くの憲兵は正当な使命感を持って職務を全うしようとしていた。また、戦地における憲兵「野戦憲兵」には、さらに意外な任務があった・・・など、知られざる憲兵についてのお話!
知られざる中部ソロモン戦線~陸海軍協同で戦ったムンダ攻防戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#16
今回は、久々の戦闘経過のお話。
大東亜戦争の海戦におけるターニング・ポイントはミッドウェーで、陸戦におけるターニング・ポイントはガダルカナルだった。
ここまでは有名だが、ガダルカナルから撤退した後、日本軍はどのような戦いをしたかということは、あまり知られておらず、注目もされていない。今回はあえてそこにスポットを当てる。
昭和18年2月にガダルカナルを撤退した日本軍は北西に300キロほど離れたニュージョージア島のムンダに移動した。
ここで佐々木登少将率いる陸軍と大田実少将率いる海軍陸戦隊は協同し、2か月余りにわたって頑強に陣地を守り、戦い続けたのである!
福山聯隊と樋口季一郎中将~岡山からちょっと足を延ばしてみました~『笹幸恵の軍事トリビア』#63
10月10日、第101回ゴー宣道場が岡山で開催された。
せっかく岡山まで来たのだからと、笹さんが足を延ばしたのが、福山。
備後護国神社には立派な戦没者慰霊碑が並び、中でも「メレヨン島戦没者慰霊碑」に感激。
そして福山といえば、歩兵第四十一聯隊。
というわけで、第四十一聯隊の創設から大東亜戦争末期、「二度、玉砕した部隊」と言われるまでの歴史を語る。
歴代の第四十一聯隊長の中でも特に語るべきは第17代・樋口季一郎中将。
樋口中将は後に北方軍司令官となり、戦争末期のアッツ・キスカや占守島の戦いにおいて名を知られている。
そして実は他にも、樋口中将にはユダヤ人難民の救援に大きく尽力した功績があるのだが、これは外交官・杉原千畝の活動に比べてほとんど知られていない。
そこで、樋口中将を顕彰するための新たな動きについてもご紹介!
クエゼリン玉砕 マーシャル諸島の戦いと今 『笹幸恵の軍事トリビア』#41
中部太平洋戦線、タラワ・マキンで多大な犠牲を強いられた米軍は、次に日本の信託統治領だったマーシャル諸島・クエゼリン環礁の攻略を目指した。ここは米軍にとっては中部太平洋に進攻する足掛かりとなる場所だった。
対する日本軍は、南部のクエゼリンに司令官秋山門造少将以下約6000名、北部のルオットに山田道行少将以下約2900名。戦闘能力としては非常に貧弱な状態で米軍を迎え撃たざるを得ない状態だった。環礁という陣地構築に向かない場所で、増援部隊も間に合わず、戦闘は凄惨を極めた。
もっと多くの人に知ってほしい、今では知る人も少ない小さな島における戦闘。
そして、現在の島の模様もご紹介。
ガダルカナル島戦三度の「白兵突撃」は合理的だった!?~『組織の不条理』から学ぶ〈1〉『笹幸恵の軍事トリビア』#58
新型コロナに関する政府の対策を批判するテレビのコメンテータ―などが、決まり文句のように言うのが「旧日本軍の失敗にそっくりだ」
とにかくそう言っとけば、なにか鋭い分析をしたかのように見えると思っているのかもしれないが、その例えが的確だったことは未だに一度もない!
特によく引き合いに出されるガダルカナル島戦、「戦時の逐次投入」で「不合理な作戦」だったなどとしたり顔で言う者がいるが、果たしてそれは本当に不合理だったのか?
そもそもそんな批判をする人は、完全合理的にモノを判断できるのか?
兵は手足で将校は頭脳 では下士官は? 『笹幸恵の軍事トリビア』#2
新番組第2回!!
今回は軍隊の「階級」について。
軍隊組織について語るうえで「階級」は基礎中の基礎。
陸海軍の階級は大きく「兵」「下士官」「士官」に分かれ、さらにそれぞれが細かい階級に分かれている。
徴兵によって入隊すると、最初は全員「兵」の一番下の「二等兵」。半年ほど後には「一等兵」になるが、その後はその人次第。
戦争映画でよく出てきた「古参兵」ってどういう人?「星の数よりメンコの数」ってどういう意味? 「士官」と「将校」ってどう違うの? などなど、聞けば納得のトリビア満載!
陸軍に「船乗り」がいた!? ~陸軍船舶兵「暁部隊」のナゾ 『笹幸恵の軍事トリビア』#18
以前紹介した、「軍隊に鉄道マンがいた」にも匹敵する、日本軍のびっくり存在、「陸軍に船乗りがいた」!
陸軍兵の輸送任務を行うために設けられた「陸軍船舶兵」。
陸軍は相当に本格的に、大掛かりに船舶の研究を進めていた。
上陸用舟艇の大発動艇(大発)は有名だが、そのほかにも上陸用舟艇の母船で飛行機も搭載できた特殊船や、潜水輸送船もあった。また、戦争末期には準特攻兵器であるベニヤ製のモーターボート「マルレ」も登場している。
戦史にあまり残っていない、知られざる「陸軍の船」の話をひもとく!
ナウル守備隊 知られざる感染症の悲劇 『笹幸恵の軍事トリビア』#49
小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIALコロナ論』の第13章「インカ帝国の滅亡」には、南米大陸に白人がヨーロッパから持ち込んだ感染症が瞬く間に広がり、免疫を持っていなかった現地の住民が全滅していく様子が描かれている。
これを読んで連想したのが、ナウル守備隊の悲劇。
赤道直下にある面積約21平方キロメートルの小さな島・ナウルは、約4000人の日本軍が守っていた。
この日本兵たちは敗戦後オーストラリア軍によって武装解除されるが、悲劇はここからだった。
恨みに燃えるオーストラリア兵は、日本兵を過酷に扱い、ブーゲンビル島タロキナ(トロキナ)で「死の行軍」を強いる。
その後、日本兵はブーゲンビル海峡のビエズ島、マサマサ島に収容されるが、そこで待ち構えていたものは…
清沢冽『暗黒日記』を読む~戦時中、冷徹な観察眼を持ち続けた人『笹幸恵の軍事トリビア』#67
戦前に活躍した外交・政治評論家、清沢冽(1890-1945)の著書『暗黒日記』の現代語訳版が東洋経済から出版された。
清沢は反軍国主義の主張を貫き、戦時中は情報局から執筆禁止者に指名され、完全に干されていた。
清沢は言論発表の場を奪われた中、現在のおかしな風潮を日記に残し、後に検証する史料にしようとした。
清沢は終戦前に死去したため、自身によって時代の検証をすることはかなわなかったが、しかし清沢が遺した膨大な日記から、現在の私たちが学ぶことは無限にある。
あの時代、本物の言論人は世の中の風潮をどう見ていたのか?
そして現代の我々は、当時の日本人と比べて、少しは進歩しているのだろうか?
ちゃめの人 山本五十六~軍人紹介シリーズ(1)~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#17
軍人紹介シリーズ、その第1弾は連合艦隊司令長官・山本五十六。
真珠湾攻撃を成功させて英雄とされた山本五十六だが、本人は米国駐在日本大使館付武官を長く務め、国力の差も熟知しており、日米開戦には反対していた。
真珠湾攻撃の成功後も、反撃の大きさを予期して「勝って兜の緒を締めよ」と言い続けたが、戦勝ムードに酔いしれる人々は聞く耳を持たなかった。
そして皮肉なことに、航空戦力の重要性を見せつけた真珠湾攻撃の後、米軍はいちはやく航空戦強化に舵を切ったのに、当の日本軍には改革ができなかった。
悲劇の軍人、山本五十六の生涯にスポットを当てる!
【ゆっくり解説】陣形に関する一考察(陣形の歴史篇)
今回は各種陣形について、その歴史的背景も含めてご説明です。
皆大好きファランクスとかスペイン方陣もあるでよ。
次回(歩兵と戦車篇)
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前回(横陣と縦陣篇)
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BGM:四輪の塔/英雄伝説 空の軌跡SC オリジナルサウンドトラック / Copyright © Nihon Falcom Corporation
背景のゲーム:Sandstorm Studios Inc.「Rise of Liberty」
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縁の下の力持ち「海軍設営隊」~建設部隊が戦局の帰趨を決した!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#47
ゴー宣道場開催に欠かせない、当日の会場設営、警備等の運営を担う門下生有志のボランティアを、「設営隊」という。
始めた頃から、誰言うとなくいつの間にか定着していた名称だが、実は旧日本海軍にも「設営隊」という組織があった。
その任務は海軍の土木建築を担うことにあり、彼らがいなければ作戦遂行もままならない、まさに「縁の下の力持ち」と呼ぶべき存在だった。
設営隊が編成されるまでには、どんな変遷があったのか?
そしてその編成は?
陸軍や、米軍ではどうなっていたのか?
などなど、戦史ではあまり語られない、しかし欠かすことのできない重要な存在だった裏方に今回はスポットを当てる!
「墓島」と呼ばれたブーゲンビル島~北部ソロモン、孤立無援の島『笹幸恵の軍事トリビア』#31
今回は、悲劇の戦史シリーズ。
ソロモン諸島北部のブーゲンビル島は、戦時中はドイツ語読みで「ボーガンヴィル島」、略して「ボ島」と呼ばれていた。
この島では75年前の3月に激闘が行われた。この時点で既に日本軍は壊滅的な大敗を喫していたのだが、悲劇はまだこれからだった。補給の一切ない見捨てられた島で、日本軍撃滅の執念を燃やす豪軍を相手に絶望的な「持久戦」が継続され、「ボ島」が「墓島」と呼ばれるようになるほどの惨状が繰り広げられていったのである…
コロナと空気と日本軍~あらためて『「空気」の研究』を読む 『笹幸恵の軍事トリビア』#45
新型コロナウイルスをめぐって、日本中が異様な「空気」に支配されている。
自粛すること、家にいることこそが正義と疑いなく信じ込まれ、異論が言えない。
レジャーに外出する人、営業中のパチンコ店などは、人々が通報し、つるし上げる。
データに基づいて「コロナはインフルエンザと大差ない」と言っても、感情的な反発を生むだけで、聞き入れられない。
とにかく、この空気に逆らう者は「非国民」! という状態。
これではまるで戦時中と変わらない。
戦前も戦後も変わらない、日本人が逆らえない「空気」の正体は何か?
ここで改めて山本七平の名著『「空気」の研究』を読んでみよう。
そこに書かれていたことは、まるで今起きていることを観察して、分析したような内容だった!
ポジティブリストとネガティブリスト 自衛隊の【交戦規定】について 『笹幸恵の軍事トリビア』#22
早稲田大学教授で、今日の憲法学者の第一人者ということになっている長谷部恭男氏が、新刊『憲法の良識』(朝日新書)で、こんなことを言っている。
〈自衛隊のできることを「ポジティヴリスト」として、一つひとつ憲法に書き込もう、そのほうが明確になる、と主張する政治家やグループがいます。代表的なのが、立憲民主党の山尾志桜里さんです。〉
ここで言う「グループ」とは、ゴー宣道場以外に考えられないが、山尾氏もゴー宣道場も、そんな主張は一切していない!
今回は、「ポジティブリスト」と「ネガティブリスト」とはどういうものかを解説し、「憲法にポジティブリストを書き込もう」などという主張などするわけがないことを明確にする!
アッツ島の戦い~「玉砕」第一号となった山崎部隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#26
日本軍の戦況が不利になって以降、部隊が全滅する事態は既に起こるようになっていたが、大本営がこれを「玉砕」という言葉で表したのは、昭和18年5月のアッツ島の戦いが最初だった。
大本営はアリューシャン諸島の放棄を決定、その際、アッツは全滅させる一方、隣のキスカは全員撤退させるという、正反対に命運が分かれることとなった。
その際、北部軍司令官・樋口季一郎が送った悲痛な玉砕命令の電文と、それに対する山崎保代部隊長の、毅然とした返電。そして、最後の突撃を迎え撃った米軍中尉が語った、部隊の壮絶な最期の様子が胸を打つ。
大本営ってなあに? 『笹幸恵の軍事トリビア』#1
新番組登場!!
軍事というと、とかく敬遠する人が多いのではないでしょうか?
しかし、軍隊とはいわば人間関係の縮図であり、その中には美しいことも醜いことも全てが凝縮されています。
さらに軍の組織・編成・教育・戦い方などには、その国の国民性が如実に表われるものです。
そして同時に、歴史をぶ上でも、軍事の知識は必要です。
そんなところから、軍事に興味を持ってもらえたらということでスタートした「軍事トリビア」!
第1回のテーマは『大本営ってなあに?』誇張・粉飾された、信用できない官製報道の代名詞として「大本営発表」という言葉がよく使われますが、そもそもこの「大本営」とは一体何なのでしょう?
ダンピール海峡と魔のサラワケット ~東部ニューギニア 苦難の51連隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#36
今回お届けするのは、東部ニューギニア戦線のごく一部の戦闘経過。
ごく一部でありながら、そこに端解されるのは悲惨に次ぐ悲惨!
ラバウルから東部ニューギニアに送られた51師団は、輸送船が空襲によってわずか20分で壊滅する「ダンピール海峡の悲劇」に遭遇。半数が海の藻屑と消える。
ほうほうの体で上陸を果たした3000名ほどの兵を待っていたのは、さらに過酷な運命、「魔のサラワケット越え」だった。
だが、まだそれでも彼らの味わう苦難はまだ序の口だったのである……!
なぜ日本は真珠湾を攻撃したか~対米開戦の端緒は〇〇にあり 『笹幸恵の軍事トリビア』#6
12月8日(日本時間)は、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した日。
その日を前に、今回はまず真珠湾攻撃の概要とその結果について解説。
そしてさらに、なぜ真珠湾攻撃に至ったのかを考察していく。
まずその端緒は、日米外交交渉による解決を拒否した「ハル・ノート」にあり。
ではなぜ日米外交交渉が必要となったのかは、「ABCD包囲網」などによる、米国の経済制裁にあり。
ではなぜ米国が経済制裁をしたかというと、日本軍が仏印に進駐したため。
ではなぜ日本軍が仏印に進駐したかというと…
果たして対米開戦の端緒はどこまでさかのぼる?
ポートモレスビー攻略作戦~東部ニューギニア戦線、悲劇の幕開け~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#19
大東亜戦争で日本が劣勢に回ったターニングポイントとなったガダルカナル戦とほぼ同じ頃、東部ニューギニア戦線でも大変なことが起きていた。
日本軍は、豪州軍の強力な基地があるポートモレスビー攻略を目指し、大本営直轄の「南海支隊」がその命を受ける。
だが、大本営の方針は二転三転、そのしわ寄せはすべて現地の南海支隊が被ることとなる。そしてその結果、支隊はほとんど戦闘もしていないまま、全滅という運命へ…
涙なくしては語れない、不条理極まりない戦争の悲劇。
日本軍の快進撃!~進攻作戦の裏にあるもの 『笹幸恵の軍事トリビア』#9
昭和16年(1941)12月8日、真珠湾攻撃で戦いの火蓋を切った大東亜戦争。
緒戦は日本軍が破竹の快進撃を見せた。
だがその「進攻作戦」の時期は半年程度の間であり、その後は「攻守転換期」となり、「絶対国防圏」を突破されてからは防戦一方の「守勢作戦」の時期になっていく。
今回は大東亜戦争の大まかな流れを確認し、さらに初期の進攻作戦によって目標とされた地域と、なぜそこを攻略したのか、その目的について考察する。
政府のコロナ対策は「戦力の逐次投入」に非ず 『笹幸恵の軍事トリビア』#46
新型コロナウイルスへの政府の対応を批判して「旧日本軍の『戦力の逐次投入』と同じだ」という人がいる。
「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹がそう発言し、実はそれは古谷経衡の受け売りだなどと言われたりしたが、実際には他でもいろんなところで言われていて、すっかり定型化した言い方になっているようだ。
だが、新コロ対策を「戦力の逐次投入」と同一視するのは、全くの間違い!
このことについては、以前にブログで書いているが、
https://www.gosen-dojo.com/blog/26020/
https://www.gosen-dojo.com/blog/26106/
今回はそこからさらに深く考察した決定版!
実は何も知らないのに、したり顔でどっかで聞きかじった「戦力の逐次投入」という言葉を使ってうまく批判したつもりでいる人は、本当に恥ずかしい!
こういう人たちこそが、自分が「悪い見本」として掲げている日本軍の失敗と全く同じ轍を踏んでおり、しかもそのことに一切気づいてもいないのである!
海軍兵学校に行ってきた! 海軍の初級士官を育てたエリート校『笹幸恵の軍事トリビア』#75
第71回で紹介した軍港・呉に続く、海軍聖地巡礼シリーズ!
今回行ってきたのは、海軍最大の聖地ともいえる広島県・江田島。
ここには海軍初級士官の教育機関である海軍兵学校があり、現在は海上自衛隊幹部候補生学校となっている。
正門を入ると外とは全く違う、空気が張り詰めたような独特の雰囲気が漂う。ここは観光地ではない、明治以来の伝統を今も受け継ぐ海軍・海自の教育機関である。
今回は江田島見学の見どころやその感想、そして明治20年に築地から江田島に移転した海軍兵学校の、終戦に至るまでの歴史などについてご紹介します!
「ウクライナ国民斯ク戦ヘリ」沖縄線に見る民間人の闘い~「沖縄県民斯ク戦ヘリ」大田實海軍中将の電文を読む『笹幸恵の軍事トリビア』#68
ロシアの侵略を受けたウクライナでは、一般市民を巻き込んだ熾烈な戦闘が行われている。
これに対して日本では、「戦闘で死者を増やすくらいなら、早く降伏した方がいい」などという意見まで出てくる始末である。
国を守るために、軍隊のみならず民間人までもが命を懸けるという気持ちが、今の日本人にはわからなくなってしまったのかもしれない。
しかし、そんな日本人も、かつては民間人までが国を守るために闘い、斃れていったという場面があった。それが沖縄戦である。
戦後の歴史観では、沖縄戦で死亡した民間人は単に戦いの「巻き添え」の被害者扱いにされ、しかも加害者が米軍ではなく日本軍にされてしまっているが、それは本当に正しいのだろうか?
沖縄根拠地隊司令官として海軍の戦闘を指揮した大田實中将が自決の直前に送信した決別電を読み、その実像に迫る。
そこに描かれた沖縄県民の姿は、いまのウクライナ国民と重なって見えないか?
モリカケ問題と大本営発表 お偉いさんは軍部にそっくり!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#24
モリカケ問題で、加計学園の理事長がどさくさ紛れの記者会見を行ったが、あれを見て納得した人などいるだろうか?
むしろ、なぜあんな嘘を平気で言えるのだろうと呆れかえった人ばかりだったはずだ。
エリートのはずの官僚からも続々出てくる嘘、嘘、嘘…
「忖度」「隠蔽」「強弁」がまかり通り、真実が葬り去られる。
なぜ、こんなことになるのか?
ここで連想するのが、戦時中に行われ、今では嘘の代名詞となっている「大本営発表」
どんな嘘が発表され、どんな真実が隠されたのか、その実例を見つつ、今日まで続いているかもしれない「エリート軍人」教育の弊害について考える。