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大本営ってなあに? 『笹幸恵の軍事トリビア』#1
新番組登場!!
軍事というと、とかく敬遠する人が多いのではないでしょうか?
しかし、軍隊とはいわば人間関係の縮図であり、その中には美しいことも醜いことも全てが凝縮されています。
さらに軍の組織・編成・教育・戦い方などには、その国の国民性が如実に表われるものです。
そして同時に、歴史をぶ上でも、軍事の知識は必要です。
そんなところから、軍事に興味を持ってもらえたらということでスタートした「軍事トリビア」!
第1回のテーマは『大本営ってなあに?』誇張・粉飾された、信用できない官製報道の代名詞として「大本営発表」という言葉がよく使われますが、そもそもこの「大本営」とは一体何なのでしょう?
兵は手足で将校は頭脳 では下士官は? 『笹幸恵の軍事トリビア』#2
新番組第2回!!
今回は軍隊の「階級」について。
軍隊組織について語るうえで「階級」は基礎中の基礎。
陸海軍の階級は大きく「兵」「下士官」「士官」に分かれ、さらにそれぞれが細かい階級に分かれている。
徴兵によって入隊すると、最初は全員「兵」の一番下の「二等兵」。半年ほど後には「一等兵」になるが、その後はその人次第。
戦争映画でよく出てきた「古参兵」ってどういう人?「星の数よりメンコの数」ってどういう意味? 「士官」と「将校」ってどう違うの? などなど、聞けば納得のトリビア満載!
戦争体験者は終戦をどう迎えたか 『笹幸恵の軍事トリビア』番外編
8月15日、終戦の日を前に送る番外編。
ジャーナリストとして数多くの戦争体験者に取材してきた笹氏は、誰にも必ず同じ質問をしてきたという。それは、「どのように終戦を迎えましたか?」である。
終戦を知った場所も経緯も人それぞれ。そして、階級が兵か将校かでも、感じ方は全く違う。死から生へ、公から私へと切り替わった瞬間に思わず湧き上がった感情とは?
高森明勅氏を聞き手として、経験者にしかわからない貴重な証言を現在に伝える!
歯医者と「グンレイショウコウレイ」 『笹幸恵の軍事トリビア』#3
ある時、歯の治療に出かけた笹さん。するとその歯医者がたまたま戦史マニアで、話が通じると見るや、どんどん戦史の話をしてきた。
ところがその歯医者さん、戦史マニアはいいのだが、知識をひけらかしたがる厄介なタイプで、そのうち治療もそっちのけで言い出したことが、「君、グンレイショウコウレイって知ってるか?」
・・・そんないきさつで調べてみた、「グンレイショウコウレイ」とは、一体、何?
大好評の質問コーナーもあります!
苦難のガダルカナル島輸送作戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#4
先日、ガダルカナル島から帰ってきた笹さん。
西太平洋・ソロモン諸島のガダルカナル島で繰り広げられた戦いにおいては、昭和18年9月下旬から10月にかけて総攻撃が行われた後、翌昭和19年2月に撤退するまでの間、日本軍は悲惨な持久戦を強いられた。
完全に制空権を米軍に握られ、輸送が困難を極める中で、島に孤立する陸軍に補給物資を届けるために、海軍は必死の輸送作戦を展開する。その時に活躍した「ネズミとアリとモグラ」とは?
質問コーナーは「笹さんが軍事に興味を持ったきっかけは?」「八甲田山遭難事件について話を聞かせて!」に答えます!
陸軍の編成と略号~兵団文字符はもはや暗号!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#5
各戦場の具体的な戦闘の経緯や作戦などについて説明する際に、理解がしづらいのが部隊の編制。そこで一般的な陸軍の平時および戦時の編制についてご説明。
さらにそれらにどういう略号が付されていたかを説明していく。
その略号の他に、防諜上の点からつけられたのが「兵団文字符」というもので、これを覚えておかないと戦史を読んだときにわけがわからなくなるというのだが、これがほとんど暗号!
でも知っておいたらぐっと戦争の話がわかりやすくなる基礎知識です。
今回も、質問コーナーあります!
なぜ日本は真珠湾を攻撃したか~対米開戦の端緒は〇〇にあり 『笹幸恵の軍事トリビア』#6
12月8日(日本時間)は、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した日。
その日を前に、今回はまず真珠湾攻撃の概要とその結果について解説。
そしてさらに、なぜ真珠湾攻撃に至ったのかを考察していく。
まずその端緒は、日米外交交渉による解決を拒否した「ハル・ノート」にあり。
ではなぜ日米外交交渉が必要となったのかは、「ABCD包囲網」などによる、米国の経済制裁にあり。
ではなぜ米国が経済制裁をしたかというと、日本軍が仏印に進駐したため。
ではなぜ日本軍が仏印に進駐したかというと…
果たして対米開戦の端緒はどこまでさかのぼる?
10人いたのに[九軍神]~真珠湾に突入した特殊潜航艇 『笹幸恵の軍事トリビア』#7
前回に引き続き、日本軍の真珠湾攻撃に関する話題。今回は、あまり語られないサイド・ストーリーをお届けする。
航空機による攻撃ばかりが注目される真珠湾攻撃だが、実はその一方で、海からの攻撃も行われていた。
2人乗りの特殊潜航艇5艇が出撃、湾内への侵入を試みたのである。
ところが5艇とも戦果らしき戦果を挙げることもなく沈没・行方不明となった。
翌年3月、大本営はこの攻撃で戦死した9人に感状授与、二階級特進の栄誉をもって表彰、発表した。
マスコミはこれを「九軍神」として讃え、朝日新聞は彼らを「特別攻撃隊」と呼ぶよう指導。大いに戦意は高揚された。
しかし、2人乗りが5艇なら10人いたはずなのに、なぜ「九軍神」だったのか?
二・二六事件が遺したもの~軍部独裁の萌芽は「昭和維新」によって生まれた!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#8
昭和11年(1936)に起きたクーデター未遂「2・26事件」
何度となく映画・ドラマ・小説などに取り上げられてきた題材だが、発生から既に80年を越え、詳しく知らないという人も多くなったのでは。
今回は2・26事件とは何だったのか、まずその概要を説明し、事件が後の世に何を残したのかを明らかにする。
決起将校たちは、政治経済の混迷や農村地域の大飢饉に怒りを抱き、「尊皇討奸」「昭和遺臣」をスローガンに、国家改造を目指したが、その背景には陸軍内部の「皇道派」と「統制派」の対立があった。
そして、事件が鎮圧された後には、決起将校たちが予想もしていなかった状況が残された。その後、国の滅亡に結びついていく「軍の暴走」を許すことになった、2・26事件の「置き土産」とは?
日本軍の快進撃!~進攻作戦の裏にあるもの 『笹幸恵の軍事トリビア』#9
昭和16年(1941)12月8日、真珠湾攻撃で戦いの火蓋を切った大東亜戦争。
緒戦は日本軍が破竹の快進撃を見せた。
だがその「進攻作戦」の時期は半年程度の間であり、その後は「攻守転換期」となり、「絶対国防圏」を突破されてからは防戦一方の「守勢作戦」の時期になっていく。
今回は大東亜戦争の大まかな流れを確認し、さらに初期の進攻作戦によって目標とされた地域と、なぜそこを攻略したのか、その目的について考察する。
帝国海軍こぼれ話~シーマンシップとヘソから下の話 『笹幸恵の軍事トリビア』#10
今回はいつもとは趣向を変えて、ちょっとくだけたお話をお届け。大日本帝国海軍には、「スマートで目先が利いて几帳面負けじ魂これぞ船乗り」というモットーがあった。ユーモアを尊重するのも、「5分前の精神」も、このモットーに基づくシーマンシップである。そんなことから、海軍では少々下世話な話であっても、スマートに話そうとする文化が育ってきて、スマートにシモの話をするために、様々な隠語が生まれてきた。そんな、あまり語られることのない、ちょっと笑える海軍の一面をご紹介!質問コーナーもあります!
だいたい15分でわかる かもしれない ミッドウェー海戦『笹幸恵の軍事トリビア』#11
昭和17年(1942)6月5日、日本海軍が正規空母4隻を一度に失うという大敗北を喫したミッドウェー海戦。
それまで快進撃を続けていた日本軍は、これを機に攻守が転換、どんどん守勢に立たされることになる。
この、日本軍最大の転機となった海戦は、どのような経緯で何を目的に行われたのか?
そして、その敗因はどこにあったのか?
だいたい15分でわかる予定でしたが、26分でわかります!
何かヘンだぞ!? 英米色抹殺キャンペーン『笹幸恵の軍事トリビア』#12
どこかで誰かが「漢文廃止!」と暴論吐いていましたが…
この一件で思わず連想してしまったのが、大東亜戦争の最中に行われた、「敵性語撲滅」などのフレーズを掲げて、日常生活のあらゆるところから英語や英米文化を消し去ろうとした国民運動のこと。
今回は、それがどのような経緯で行われていったのか、当時の新聞・雑誌記事などを見ながら紹介する。
最初のものとして確認できるのは真珠湾攻撃から間もなく、朝日新聞に掲載された記事。民間から始まった運動で、メディアの自主規制が始まった。
英米色を抹殺せねばならない理由として唱えられた主張は、当初から相当にエキセントリックなものだったが、戦況が悪化していくと規制の対象も規模もどんどん拡大していく…
戦場で負傷した兵士の運命 映画「ハクソーリッジ」に見る衛生兵のお仕事『笹幸恵の軍事トリビア』#13
沖縄戦の前田高地における激戦を舞台にしたメル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」。主人公は、この戦場で武器も持たず、負傷兵の救護に当たった衛生兵、デズモンド・ドスという実在の人物である。
今回は、この映画で注目された「衛生兵」について。日本陸軍の場合は、どうやって衛生兵になったのか?
そして、戦場で負傷した兵士はどのような扱いを受けたのか? 戦場における病院・救護施設はどのような仕組みになっていたのか? といったことを解説します!
学徒出陣にいたるまで~徴兵のしくみってどうなってるの?『笹幸恵の軍事トリビア』#14
三浦瑠麗氏が8月12日の東京新聞で「大日本帝国が本当の意味で変調を来たし、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、1943(昭和18)~45年のせいぜい2年間ほどでした」と述べ、物議をかもした。
三浦氏はなぜその2年間なのかということについて、ツイッターで「大学生らが出陣した最後の2年」だからと説明している。
だが、これは完全な無知に基づいた主張である。
今回は、これを機会に徴兵とはどういう制度だったのかを解説、その上で、徴兵を猶予されていた大学生が、どのように出陣に至ったのかを語る。
実は「学徒出陣」とは、見方を変えれば「人権を極端に弾圧」したというよりも、「不平等の是正」だった!
軍隊には鉄道マンがいた~鉄道連隊と泰緬鉄道 『笹幸恵の軍事トリビア』#15
今回は、鉄道ファンにも見てほしい秘話!
日本軍には「鉄道連隊」という鉄道に特化した技術屋集団がいた。兵員・物資を輸送するための鉄道を敷設する部隊である。
未開の地にも鉄道を通すためには、歩兵、砲兵、工兵など、あらゆる兵科を超越したオールマイティーの技術が必要であり、時には戦闘に参加することもある、まさに万能の集団だった。
関東大震災の際は線路の復旧作業に力を発揮。今も訓練等の遺構が残されている場所もある。
そんな鉄道連隊が大東亜戦争中に行った最大の任務は「泰緬鉄道」の建設だった。今では「捕虜虐待」の象徴とされているが、その実態はどうだったのか?
知られざる中部ソロモン戦線~陸海軍協同で戦ったムンダ攻防戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#16
今回は、久々の戦闘経過のお話。
大東亜戦争の海戦におけるターニング・ポイントはミッドウェーで、陸戦におけるターニング・ポイントはガダルカナルだった。
ここまでは有名だが、ガダルカナルから撤退した後、日本軍はどのような戦いをしたかということは、あまり知られておらず、注目もされていない。今回はあえてそこにスポットを当てる。
昭和18年2月にガダルカナルを撤退した日本軍は北西に300キロほど離れたニュージョージア島のムンダに移動した。
ここで佐々木登少将率いる陸軍と大田実少将率いる海軍陸戦隊は協同し、2か月余りにわたって頑強に陣地を守り、戦い続けたのである!
ちゃめの人 山本五十六~軍人紹介シリーズ(1)~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#17
軍人紹介シリーズ、その第1弾は連合艦隊司令長官・山本五十六。
真珠湾攻撃を成功させて英雄とされた山本五十六だが、本人は米国駐在日本大使館付武官を長く務め、国力の差も熟知しており、日米開戦には反対していた。
真珠湾攻撃の成功後も、反撃の大きさを予期して「勝って兜の緒を締めよ」と言い続けたが、戦勝ムードに酔いしれる人々は聞く耳を持たなかった。
そして皮肉なことに、航空戦力の重要性を見せつけた真珠湾攻撃の後、米軍はいちはやく航空戦強化に舵を切ったのに、当の日本軍には改革ができなかった。
悲劇の軍人、山本五十六の生涯にスポットを当てる!
陸軍に「船乗り」がいた!? ~陸軍船舶兵「暁部隊」のナゾ 『笹幸恵の軍事トリビア』#18
以前紹介した、「軍隊に鉄道マンがいた」にも匹敵する、日本軍のびっくり存在、「陸軍に船乗りがいた」!
陸軍兵の輸送任務を行うために設けられた「陸軍船舶兵」。
陸軍は相当に本格的に、大掛かりに船舶の研究を進めていた。
上陸用舟艇の大発動艇(大発)は有名だが、そのほかにも上陸用舟艇の母船で飛行機も搭載できた特殊船や、潜水輸送船もあった。また、戦争末期には準特攻兵器であるベニヤ製のモーターボート「マルレ」も登場している。
戦史にあまり残っていない、知られざる「陸軍の船」の話をひもとく!
ポートモレスビー攻略作戦~東部ニューギニア戦線、悲劇の幕開け~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#19
大東亜戦争で日本が劣勢に回ったターニングポイントとなったガダルカナル戦とほぼ同じ頃、東部ニューギニア戦線でも大変なことが起きていた。
日本軍は、豪州軍の強力な基地があるポートモレスビー攻略を目指し、大本営直轄の「南海支隊」がその命を受ける。
だが、大本営の方針は二転三転、そのしわ寄せはすべて現地の南海支隊が被ることとなる。そしてその結果、支隊はほとんど戦闘もしていないまま、全滅という運命へ…
涙なくしては語れない、不条理極まりない戦争の悲劇。
『アーロン収容書』のココが魅力!~過去と向き合うきっかけを作ってくれた本~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#20
笹幸恵さんが戦史に興味を持つきっかけとなったのは、1冊の本との出会いだった。
その本とは、会田雄次著『アーロン収容所』(中公新書)
大学時代、それまで先の戦争について学校で習った以上の知識がなく、もっと知りたいと思いながらも、買った本も読了できず挫折、ということを繰り返していた時に、初めて読み終えたのがこの本だという。
ビルマのアーロンという場所に設けられたイギリス軍の捕虜収容所に入れられた日本軍捕虜たち。そこにはイギリス人と日本人の文化の衝突があり、自由のない状況の中でもたくましく生きていく人々の姿があった。
まずは読み物として面白い、この本の魅力をご紹介!
質問コーナーもあります!
軍法会議ってなあに? 『笹幸恵の軍事トリビア』#21
ゴー宣道場でも憲法についての議論が進んでいるが、その際にときどき話題になる「軍事裁判所」、またの名を「軍法会議」。
自衛隊は「軍法会議」を開くことができないから、一人前の軍隊の機能を満たしていない…といった具合によく言われるわけだが、そもそも「軍法会議」って、何?
今回は、そんな基礎知識をお届けする。
ポジティブリストとネガティブリスト 自衛隊の【交戦規定】について 『笹幸恵の軍事トリビア』#22
早稲田大学教授で、今日の憲法学者の第一人者ということになっている長谷部恭男氏が、新刊『憲法の良識』(朝日新書)で、こんなことを言っている。
〈自衛隊のできることを「ポジティヴリスト」として、一つひとつ憲法に書き込もう、そのほうが明確になる、と主張する政治家やグループがいます。代表的なのが、立憲民主党の山尾志桜里さんです。〉
ここで言う「グループ」とは、ゴー宣道場以外に考えられないが、山尾氏もゴー宣道場も、そんな主張は一切していない!
今回は、「ポジティブリスト」と「ネガティブリスト」とはどういうものかを解説し、「憲法にポジティブリストを書き込もう」などという主張などするわけがないことを明確にする!
ホントはすごい!?「憲兵」の話 『笹幸恵の軍事トリビア』#23
軍隊の話の中には、よく出てくる「憲兵」。
言葉だけは知っているけれども、よくその実態は知らない、なんとなく「怖くて威圧的な存在」といった「悪役」のイメージしかない・・・という人も多いのでは?
それは、戦時中の東条英機の「憲兵政治」のイメージの影響も大きいのだが、実際のところ、憲兵とはどういう仕事をしていて、どんな人がなるものだったのか。今回は、それを解説します!
確かに権力を笠に着た威圧的な人もいただろうが、多くの憲兵は正当な使命感を持って職務を全うしようとしていた。また、戦地における憲兵「野戦憲兵」には、さらに意外な任務があった・・・など、知られざる憲兵についてのお話!
モリカケ問題と大本営発表 お偉いさんは軍部にそっくり!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#24
モリカケ問題で、加計学園の理事長がどさくさ紛れの記者会見を行ったが、あれを見て納得した人などいるだろうか?
むしろ、なぜあんな嘘を平気で言えるのだろうと呆れかえった人ばかりだったはずだ。
エリートのはずの官僚からも続々出てくる嘘、嘘、嘘…
「忖度」「隠蔽」「強弁」がまかり通り、真実が葬り去られる。
なぜ、こんなことになるのか?
ここで連想するのが、戦時中に行われ、今では嘘の代名詞となっている「大本営発表」
どんな嘘が発表され、どんな真実が隠されたのか、その実例を見つつ、今日まで続いているかもしれない「エリート軍人」教育の弊害について考える。
日本の敗戦に何を思うか 『戦中派不戦日記』(山田風太郎)から 『笹幸恵の軍事トリビア』#25
今年ももうすぐ8月15日がやってくる。
昭和20年の8月15日、人はどんな気持で過ごしたのか?
それを今に伝えるのが、有名・無名様々な人が書いた、当時の日記である。
今回は、当時23歳の医学生だった作家・山田風太郎の『戦中派不戦日記』から、敗戦直後のインテリのリアルな感情を読む。
その時山田風太郎が危惧していたことは、73年後の今日、現実になっているのではないか…?
アッツ島の戦い~「玉砕」第一号となった山崎部隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#26
日本軍の戦況が不利になって以降、部隊が全滅する事態は既に起こるようになっていたが、大本営がこれを「玉砕」という言葉で表したのは、昭和18年5月のアッツ島の戦いが最初だった。
大本営はアリューシャン諸島の放棄を決定、その際、アッツは全滅させる一方、隣のキスカは全員撤退させるという、正反対に命運が分かれることとなった。
その際、北部軍司令官・樋口季一郎が送った悲痛な玉砕命令の電文と、それに対する山崎保代部隊長の、毅然とした返電。そして、最後の突撃を迎え撃った米軍中尉が語った、部隊の壮絶な最期の様子が胸を打つ。
キスカ島撤退作戦~奇跡の「ケ」号作戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#27
前回紹介した「最初の玉砕」、昭和18年5月のアッツ島の戦い。
大本営はアリューシャン諸島の放棄の決定の際、アッツは全滅させる代りに、隣のキスカだけは何としても全員撤退させるという方針を採った。
キスカ守備隊5300名の将兵を救出すべく、木村昌福少将率いる第一水雷戦隊15隻の艦艇がキスカに向かう。
だが、その遂行は困難を極め、作戦は2度も中止される。
そして三度目の正直と挑んだ時、実はそれが、このタイミングでなければ成功しなかったかもしれない、幸運な偶然が重なった奇跡の時だった!
艦名のナゾに迫る!~戦艦「大和」はなぜヤマト? 『笹幸恵の軍事トリビア』#28
旧日本海軍の軍艦といえば、「大和」「武蔵」「長門」等々。重巡洋艦は「妙高」「足柄」等、航空母艦は「蒼龍」「飛龍」等…
実はこれらの名前には、艦の種類によって命名の基準が決まっている。ただしそこには例外もあり、そこにはその艦の建造の経緯が現れるという。
それでは、現在の自衛艦の艦名はどうだろうか?
こちらにも基準は定められている。とはいえ、種類が限られているために、そこには苦労もあるようで…
『戦時下標語集』をチラ見する 『笹幸恵の軍事トリビア』#29
大東亜戦争中のポスターなどに記された様々な標語を集めた『戦時下標語集』という本がある。その中から、目を引いたものをご紹介。
企業広告の宣伝文句から、官公庁のスローガンまで、それぞれが戦争の勝利という目標に向けて民意を結集すべく考え抜かれた戦時下標語。
敗戦という結果を経た現在ではほとんど顧みられることもなくなってしまったが、今回は、困難な時代の中を生きていた人々が触れていた言葉を紐解き、その時代の空気や生活の感覚に少し思いを馳せてみよう。
『機密戦争日誌』に綴られた苦悩~昭和16年8月の大本営指導班~『笹幸恵の軍事トリビア』#30
今回は、『機密戦争日誌』という史料を読み解く。
この史料は、陸軍参謀本部に設けられた、長期的・総合的な観点から国策の企画・立案を行う「戦争指導班」の職員が、日常の業務を記述した日誌である。
国の行方を左右する立場にあった最高のエリートたちは、日米開戦直前の昭和16年8月に何を考えていたのかが、そこには赤裸々に綴られている。
戦後の人間によって、「無謀な戦争を回避できなかった」などと散々けなされている参謀本部の人々は、果たして本当に無能だったのか? もしわれわれがその時この立場にいたなら、他に何ができたのだろうか?
「墓島」と呼ばれたブーゲンビル島~北部ソロモン、孤立無援の島『笹幸恵の軍事トリビア』#31
今回は、悲劇の戦史シリーズ。
ソロモン諸島北部のブーゲンビル島は、戦時中はドイツ語読みで「ボーガンヴィル島」、略して「ボ島」と呼ばれていた。
この島では75年前の3月に激闘が行われた。この時点で既に日本軍は壊滅的な大敗を喫していたのだが、悲劇はまだこれからだった。補給の一切ない見捨てられた島で、日本軍撃滅の執念を燃やす豪軍を相手に絶望的な「持久戦」が継続され、「ボ島」が「墓島」と呼ばれるようになるほどの惨状が繰り広げられていったのである…