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【作業用】アンディ・ラウ(劉徳華)の曲をランダムに集めてみたPART3
今回からFullにしてみました。まずはちょっと古めの曲から。拾い物もあるので音質は期待しないで下さい。
弾弾琴跳跳舞(withアニタ・ムイ)/無間道(withトニー・レオン)/踢出个未来/心藍/男儿志/男人哭吧不是罪
画像は過去動画と重複する部分もありますがあしからず。
PART1→sm1433252 PART2→sm7537052 PART4→sm10417590
アニタ・ムイ『なんとなく幸せ』北京語版…梅艶芳「愛没有罪」
1970年代に欧陽菲菲やテレサ・テン、アグネス・チャンなどが台湾や香港から日本へ進出してブームになりましたが、80年代半ばにも香港の歌手が相次いで日本進出を図った時期がありました。アラン・タム(sm26286434)やプリシラ・チャンなどが日本語でレコードを出してましたが、その1人が梅艷芳(アニタ・ムイ)で、83年に『唇を奪う前に』で日本デビュー。続けて出した『白い花嫁』のB面が『なんとなく幸せ』。アニタはその頃「香港の山口百恵」として売り出していましたが、日本進出にあたっては髪形を当時大人気だった中森明菜風に「ふんわりロング」にしているのが、なんとも…。翌84年には広東語カバーの「不信愛有罪(sm28787897)」を発売し、86年に出した北京語カバーが「愛没有罪」。
アン・ルイス『Samishisa's On My Mind』広東語版…梅艷芳「黑色婚紗」
梅艷芳(アニタ・ムイ)1987年
近藤真彦『heartbeat』広東語版1…梅艷芳(アニタ・ムイ)「百変」
「香港の山口百恵」としてデビューした梅艷芳(アニタ・ムイ)。1980年代半ばには曲ごとに派手な衣装やフリで、ほとんど「香港の中森明菜」と化していましたが、実際に恋人は近藤真彦で、明菜と三角関係に陥ることに。オールナイトフジに準レギュラー出演して、毎週末には日本へ通うことになります。87年にアニタが出したアルバムは4曲がマッチ、2曲が明菜のカバーで、『タンゴノワール』に対抗した「似火探戈(火のようなタンゴ)」とか、「装飾的眼涙(sm22797604)」とか、もうドロドロw。『heartbeat』はマッチのアルバム曲ですが、アニタによる別バージョンの広東語カバー「妄想(sm25212106)」や、北京語版「独飲夜色(sm25212130)」もあります。
山口百恵『This is my trial』北京語版1…梅艶芳(アニタ.ムイ)「走上寂寞路」
『This is my trial』は山口百恵が1980年のさよならコンサートで、オープニングに歌った曲。「香港の山口百恵」としてデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)は、85年に広東語カバー「孤身走我路(sm24993275)」を出しましたが、88年には北京語版の「走上寂寞路」も出しました。当時、香港の人気歌手は台湾進出を狙ったり、シンガポール政府が「北京語普及政策」の一環で広東語ソングをすべて放送禁止にしたために、広東語のヒット曲を相次いで北京語カバーしてました。アラン・タムやレスリー・チェンなど男性陣の北京語がダメだった一方で、アニタやプリシラ・チャンなど女性歌手の北京語は、かなりマトモ。
西城秀樹『抱きしめてジルバ』広東語版1…梅艷芳「夢幻的擁抱」
西城秀樹の『抱きしめてジルバ』は1984年のヒット曲ですが、原曲はワム!の『Careless Wisper』。郷ひろみも『ケアレス・ウィスパー』としてカバーして、日本では珍しく同時期に2種類のカバー曲が出ていました。一方、香港では85年に「夢幻的擁抱(sm24908484)」「忍痛說謊(sm24909840)」「無心快語(sm24909923)」と、3つの広東語カバーが出現。「夢幻的擁抱」は梅艷芳(アニタ・ムイ)が歌ったものですが、アニタの声質が曲に合っていて、一番ヒットしていました。
中森明菜『駅』北京語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「冬眠的愛情」
『駅』って竹内まりやの歌かと思いますが、最初に歌ったのは明菜で、1986年発売のアルバムに収録。87年に竹内は『駅』をセルフカバーしますが、梅艶芳(アニタ・ムイ)はその前に広東語カバーの「装飾的眼涙(sm22797604)」を歌っているので、これは明菜のカバーということに。この頃、アニタと明菜は近藤真彦を巡って三角関係にありましたが、装飾的眼涙(飾りの涙)というタイトル自体、明菜の『飾りじゃないのよ涙は』に当てつけたつもりだったようですが、88年に『駅』の北京語版を歌った時はすでにマッチと破局した後だったので、当てつけのタイトルは変更して「冬眠的愛情」に。映像の字幕は青字が広東語版の「装飾的眼涙」で、白字が北京語版の「冬眠的愛情」です。
喜多郎『歓喜』広東語版…梅艷芳(アニタ・ムイ)「似水流年」
喜多郎の『歓喜』は音楽だけなので、日本語版や英語版はありません。でも広東語版は存在します。一体どういうことかと言うと、喜多郎は1984年に香港映画『似水流年』の音楽を担当しましたが、途中で香港側が「ついでに主題歌も作ってもらおう」と発想。しかし喜多郎にはスケジュール的に余裕はなく、香港側で喜多郎の制作した映画音楽を独自にアレンジして歌詞をつけることになり、出来上がった歌が「似水流年」で、梅艷芳(アニタ・ムイ)が歌ったところ大ヒット。一方で、喜多郎が作った映画音楽は『歓喜』というタイトルが付けられ、86年のアルバム『西方』に収録されてます。つまり作られたのは『歓喜』が先だったけど、発売されたのは広東語版の「似水流年」が先だったという次第。ちなみに映像はアニタ本人。
アゲイン 男たちの挽歌Ⅲ 主題歌『夕陽之歌』
歌:アニタ・ムイ
劇場公開時のタイトルは、『アゲイン 明日への誓い』。男たちの挽歌シリーズの完結編にして、エピソード1。
◆香港映画主題歌mylist/4222732、香港映画主題歌集2mylist/4764305◆リクエストがありましたら、sm6786274で、コメントでお願いします。◆リクエストもうれしいですが、ミク&リンレンのカバー版、アイドルマスターのMADを作って下さる方がいると、もっとうれしいな。
リクエストはこちらで。
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近藤真彦『heartbeat』広東語版2…梅艶芳(アニタ・ムイ)「妄想」
香港での「マッチの恋人」だった梅艶芳(アニタ・ムイ)が1987年に出したアルバムの曲。このアルバムにはマッチのカバーが4曲、明菜のカバーが2曲入っていて、『heartbeat』は「百変(sm25205352)」と「妄想」の2バージョンでカバーされてます。
山口百恵『曼珠莎華』広東語版1&2…「蔓珠莎華」と「淡淡的小野花」
中華圏で絶大な人気だった山口百恵。香港では82年に「香港の山口百恵」なるフレコミで梅艷芳(アニタ・ムイ)がデビューし、百恵の歌を相次いでカバー。『曼珠莎華』も85年に「蔓珠莎華」として広東語(sm22759498)と北京語(sm22759594)でカバーしましたが、それより先に79年に「淡淡的小野花」のタイトルでカバーしていたのが羅文(ロマン・タム)。そこで2人が2つのカバー曲を同時に歌ったというのがこの映像。ちなみにこれ、「ガールスカウト設立70周年」の記念イベントだそうですけど、ずいぶん艶めかしいステージですねw
杏里『オリビアを聴きながら』広東語版2…梅艷芳「幾多」
『オリビアを聴きながら』は1978年の杏里のデビュー曲ですが、なぜか10年以上経って香港で3つの広東語カバーが相次いで出現。89年の關淑怡(シャーリー・カーン)の「再会(sm23417451)」と、91年の梅艶芳(アニタ・ムイ)の「幾多」、94年の陳松齢(ナディア・チャン)の「花嫁的清晨」です。「香港の山口百恵」としてデビューし、派手な衣装やフリで実際には「香港の中森明菜」的に80年代にトップシンガーとなったアニタは、91年に歌手を引退して女優に専念すると宣言。この映像は91年の「さよならコンサート」のものですが、結局いつしか歌手に復帰していました。2003年に子宮頸癌を告知されると、改めて「さよならコンサート」を開き、それは本当にさよならになってしまいました。。。
夕焼けの歌/近藤真彦
チョウ・ユンファ主演の「アゲイン」の主題歌としてアニタ・ムイがカバーしていて
この曲を知りました^^
アニタ・ムイ 「夕焼けの歌」
アニタムイは香港の「山口百恵」もしくは「美空ひばり」である。この動画はアニタの最期のコンサートのアンコール曲である。このコンサートを終えて、6週間後の2003年12月30日に天に召されてしまう。享年40歳。何故アニタがマッチ(近藤真彦)の「夕焼けの歌」をアンコール曲にしたのか?それは二人が一時期、恋愛関係にあったからだ。幸せな家庭を持つことが夢だったアニタ。それを果たせぬまま、余命いくばくもないことを悟ったアニタが、ウェディングドレスを着て別れた恋人のレパートリーを歌う。そのいじらしい女心に感動して、この動画をUPしました。アニタ・ムイ=梅艶芳。この名前が少しでも多くの人に知られるように…
中森明菜『OH NO, OH YES!』広東語版…梅艶芳「OH NO, OH YES!」
「香港の山口百恵」でデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)。当初は百恵カバーを歌っていましたが、80年代半ばからは恋人だった近藤真彦をカバーするようになりました。マッチといえば明菜じゃないの?と思うでしょうが、アニタは恋敵・明菜に対抗意識を燃やして、「似火探戈(火のようなタンゴ)」を歌ったり、砂漠の女風衣装(sm22846568)をしてみたり。そして明菜のカバーも歌いましたが、「OH NO, OH YES!」はタイトルこそ同じですが、内容は原曲が不倫の恋に涙する女の歌なのに対し、アニタ版は浮気男に愛想を尽くす女の歌。これはマッチへの当てつけ?結局、マッチとは1年足らずで破局し、アニタは明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)して歌います。なお、この映像は台湾のテレビ番組で北京語版(sm23354024)を歌った時のもの。
山口百恵『This is my trial』広東語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)[孤身走我路]
『This is my trial』は山口百恵が1980年のさよならコンサートで、オープニングに歌った曲。「香港の山口百恵」としてデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)は、85年に広東語カバー「孤身走我路」を出してましたが、2003年のさよならコンサートでもこの曲を歌いました。もっとも、結婚で幸せな引退の百恵と違って、アニタは子宮頸癌で余命わずかと宣告されてのさよならコンサート。実際、コンサートの翌月に亡くなっています。痩せた姿が痛々しいですが、野太い声はしっかり出てますね。このコンサートのラストは、中森明菜とともにかつて恋人だった近藤真彦の『夕焼けの歌』の広東語版を、ウェディングドレスで熱唱(sm23708525)。
アニタ・ムイ This is My Trial. 梅艷芳 - 孤身走我路
アニタ・ムイは香港の「山口百恵」である。アニタは「this is My trial.」を自身のテーマソングにしていた。この動画はアニタの最期のコンサートのものである。このときアニタは癌の末期であり、コンサート後にほどなくして天に召されてしまう。彼女の告別式もこの歌がテーマソングであった。日本国内ではほとんど知名度のない山口百恵の歌がアジアの著名な大歌手のテーマソングになる。これこそ、山口百恵が偉大な「アジアの歌姫」であることを如実に示している。
山口百恵『曼珠沙華』北京語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「蔓珠沙華」
80年代の香港の女性トップアイドルで「香港の山口百恵」という触れ込みだった梅艶芳(アニタ・ムイ)の1985年の曲。TV局の歌手オーディション番組で優勝し、82年にデビュー。派手な衣装や振り、特徴的なハスキーボイスとビブラートで一躍トップスターに…と、これじゃなんだか「香港の中森明菜」みたいですが、実際に86年頃から近藤真彦と交際していて、破局した後は明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)して歌っていました(哀)。映像はシンガポールのテレビ番組で、アニタはもともと「蔓珠沙華(sm22759498)」の広東語版を歌ってましたが、シンガポールでは80年から広東語の放送使用が禁止されたため、北京語で歌ってます。この時期、香港の歌手が広東語ヒット曲の北京語版を相次いで出したのは、こんな理由もあるから。
近藤真彦と梅艶芳(アニタ・ムイ)が『夢絆』を2ヵ国語でデュエット
1986年に香港の音楽祭にて。当時、マッチといえば明菜でしたが、86年から87年にかけて「香港の山口百恵」こと梅艶芳(アニタ・ムイ)とも付き合っていました。アニタによれば「音楽祭で対等のアーティストとして接してくれたことに感激した」のがきっかけとか。ということは、この音楽祭で?アニタはマッチの通訳もしています。アニタはその後、『装飾的眼涙(飾りの涙)sm22797604』『似火探戈(火のようなタンゴ)』と明菜に当てつけるかのような曲を出し、「オールナイトフジ」のレギュラーにもなって毎週末は日本へ!一方で明菜は涙を流して『難破船』を熱唱しますが、アニタもマッチと破局した後は『難破船』の広東語カバー『無人願愛我(誰も私を愛してくれない)sm22727454』を歌います。。。
中森明菜『駅』広東語版…梅艶芳(アニタ・ムイ)「装飾的眼涙」
『駅』って竹内まりやの歌かと思いますが、最初に歌ったのは明菜で、1986年発売のアルバムに収録。87年に竹内は『駅』をセルフカバーしますが、梅艶芳(アニタ・ムイ)はその前に「装飾的眼涙」を歌っているので、これは明菜のカバーということに。この頃、アニタと明菜は近藤真彦を巡って三角関係にありましたが、装飾的眼涙(飾りの涙)というタイトル自体、明菜の『飾りじゃないのよ涙は』に当てつけたつもりだった?またアニタは「似火探戈」(火のようなタンゴ)という、TANGO NOIRみたいな新曲も出して対抗していましたが(この衣装は「似火探戈」のもの)、間もなくマッチと破局。翌年は明菜の『難破船(sm22727454)』をカバーして歌います。ところが明菜が自殺未遂を起こすとトンでもない曲を歌うことに(sm22927658)。。。
中森明菜『OH NO, OH YES!』北京語版1…梅艶芳「両個愛」
『OH NO, OH YES!』は中森明菜が1986年に出したアルバムの曲ですが、翌87年に梅艶芳(アニタ・ムイ)がタイトルそのまま「OH NO, OH YES!」で広東語カバー(sm23352295)、さらに88年に北京語でもカバーしたのが「兩個愛」。歌詞の内容はそれぞれ違っていて、原曲:不倫の恋に悩む女が男の待つホテルの前で躊躇し涙する→広東語版:浮気男に愛想を尽くした女が別れを決意→北京語版:三角関係に陥った女が自分の心の整理がつかずに悩む…という感じ。86~87年にかけては実生活でも明菜とアニタはマッチを巡って三角関係にあり、アニタによれば「マッチは明菜と1年以内に別れると言ってたのに別れなかった」ので、自分から別れたとか。。。この映像は台湾のテレビ番組のものですが、当時の香港スターには珍しくアニタの北京語はGood!
近藤真彦『大将』北京語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「何必在意」
mvは広東語版の「愛将(sm23326469)」のもので、音声は北京語版「何必在意」。字幕は上が「愛将」で、下が「何必在意」の歌詞。「愛将」は♪世界中、戦火に満ちているけど、私の愛で戦争なんかやめなさい。軍隊なんてイヤになっちゃう!♪という反戦歌で、1986年に香港で大ヒットしましたが、当時の台湾は、共産匪賊(中国政府のこと)に占領された大陸を奪還すべく、戒厳令下で国民党の独裁政権の時代。♪軍隊なんてイヤになっちゃう!♪なんて歌は売り込めないので、北京語版の「何必在意」では♪クールなフリしてるけど、本当はあなたに抱かれたいのよ♪というフツーの歌になりましたw。同じ歌手が歌っても北京語版と広東語版でまったく違う歌詞になることは一般的ですが、政治的配慮というのはさすがに珍しいケース。
山口百恵『ロックンロール・ウィドウ』広東語版…梅艶芳「冰山大火」
梅艶芳(アニタ・ムイ)は80年代を代表する香港の女性トップアイドルで、TV局の歌手オーデション番組で優勝し、82年にデビュー。山口百恵のカバーなどツッパリ系ソングを多く歌い、ハスキーボイスとビブラートが特徴的で、他の歌手を圧倒する派手な衣装や振りで人気を集めました・・・というと、なんだか中森明菜みたいですが、実際に86年頃には近藤真彦と交際していて(sm22834544)、破局した後は明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)したり、明菜が自殺未遂を起こすと今度はトンでもない曲(sm22927658)を歌ったりもしました。アニタは2003年に子宮頸癌で亡くなっています。。。
欧陽菲菲『ラヴ・イズ・オーヴァー』広東語版1…梅艶芳「逝去的愛」
83年から84年にかけて、欧陽菲菲が日本語と北京語で歌った『ラヴ・イズ・オーヴァー』=「逝去的愛」が大ヒットすると、香港では相次いで3つの広東語カバーが登場した。梅艶芳(アニタ・ムイ)の「逝去的愛」と、甄妮(ジェニー・ツェン)の「再度孤独」、葉麗儀(フランシス・イップ)の「情尽於此」だが、当時まだ新人だったアニタの「逝去的愛」がピカイチ。アニタの特徴的な低音やビブラートがよく生かされた曲で、本家・欧陽菲菲の北京語版sm22872617を凌ぐほど。しかし当時、香港ではある事件によって、一番売れたのは甄妮の「再度孤独」だったのでした。。。映像は86年のもの。
中森明菜『難破船』広東語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「無人願愛我」
81年に歌手オーディション番組で優勝。「香港の山口百恵」としてデビューし、一躍80年代を代表するトップシンガーになった梅艶芳(アニタ・ムイ)。ハスキーボイスが魅力ながら、実は「アラレちゃんの声の真似」が得意で、80年代後半は曲ごとに派手な衣装や振りで人気を集め…と、実態は限りなく「香港の中森明菜」でしたが、現実に恋人はマッチで、明菜と三角関係になり、『オールナイトフジ』のレギュラー出演を口実に、週末ごとに日本へ。しかし「明菜とは1年以内に別れる」という約束は守られず、破局した後に歌ったのは『難破船』のカバー「無人願愛我」。タイトルを訳せば「誰も私を愛してくれない」。♪なぜもとから私を愛してくれなかったの♪♪長い道のりを駆け抜けてきたけど、あなたの愛は得られなかった♪