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【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第132回:蛇智奸佞】
「武士」という毒を如何に使いこなすかが、腕の見せ所よ・・!
後の征夷大将軍:源頼朝の第一の郎党と称される武将:梶原景時。
坂東武者であった梶原氏は源氏の家人として仕えていたが平治の乱で源義朝が討たれた為に
一時平家に従う姿勢を取っていた。
後に平家打倒の為に頼朝が挙兵。これに対して梶原景時は大庭軍と協力して頼朝軍を撃破した。
山中に逃げた頼朝を発見するが、そもそもが源氏の家人であった景時はこれを敢えて見逃し
その後、再起を果たした頼朝に速やかに降伏して源氏勢力に付いた。
平氏での戦いでは諸将が「○○で戦って勝った」という報告しか上げないことに対して
景時だけは戦の詳細や物事の日時を細かく記した報告書を提出しており
これにより細やかな報告を重要視する頼朝の信頼を得た。(彼の落城台詞はこの逸話の再現である)
頼朝の信任厚い景時は、主君の命であればどんなことでも遂行した。
謀反の疑い有りとされた上総広常を双六の最中に突如誅殺したこともその一環である。
主君の為に汚れ役を買って出ていた景時に対して、周囲からの恨み妬みは集中していった。
(義経との確執も有名で、彼の讒言が、頼朝が義経を討つ決定的出来事になったとも言われている)
鎌倉幕府発足後、鎌倉殿の13人の一人に数えられるが、彼は周りからの恨みと嫉妬を買いすぎていた。
頼朝死後、幕府家臣:結城朝光を誹謗したことを切っ掛けにして御家人諸将が結託して
諸将66名による連判状が提出され、景時の排斥を求めた。
景時はこれに一切の弁明をせずに重役の位置から身を下ろすが
さらに謀反の疑い有りと疑いを掛けられて諸将連合軍に追討を受ける。
瞬く間に一族郎党を含めて景時も討ち取られ梶原家は滅亡に至った。
この「梶原景時の変」を皮切りに、頼朝死後の権力争いが繰り広げられることなる。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055