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臼山八幡神社と鎮守の森 2021年 初夏の風景 広島市佐伯区石内
臼山八幡神社。広島市佐伯区に鎮座。コンパクトにBGMを追加し神社動画本編として編集した。
♪ 使用音楽=蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング&鎮守の森 和風&アンビエントなピアノソロ~
(ニコニココモンズ のる様作) 神社や自然によく合う曲です ^^人 有難う。
解説
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家 藤原氏や 大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。城は次第に拡張されていったのであろう。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も山中に城跡が現存する。
令和3年初夏
鎮守の森繋がりで= この夏豪雨前 津田の大カヤ巨樹 sm39209336
字幕訂正 =大杉の巨木w 杉の巨木です 直すの忘れました。そう大過無いのでこのままに^^;
西国街道〜広島市草津 神社巡り 「幸(こう)神社」〜「龍宮神社」 広島市西区草津
庚申信仰・猿田彦命の幸神社、漁民の守護神 龍宮神社
草津は漁業で栄えていた町でした。今は埋立で都市化された。
旧山陽道(西国街道)が通り間宿(補助的な宿場で休憩に主に使われた宿場)でもあった。
草津には=草津八幡、龍宮神社、幸神社、鷺森神社、住吉神社、幸福稲荷などがあるね。
住吉神社(以前画像が消えたんで)をまだ再撮影しとらんな・・。
滝と渓流の涼しい音「五段返の滝」 ダイジェスト版(とりあえず)広島市安佐南区沼田町
安佐南区沼田町 大谷川の大谷渓谷にある滝。
五段返し、まきおの滝、渓流のダイジェスト。
iPhoneで作成。音楽は付属のラブラリーのものを使用。
フル動画はいつになるやらへ(´-ω-`)へ
今年一年を振り返り〜初夏から冬までの選んだ幾つかの寺社風景など 2022.12
今年をふりけるど動画(散策した所のいくつかをピックアップ画像をいくつらねてみました)
広島県、山口県の映像です。 完全に動画化できてないところが多い ^^;
今年は皆様ありがとうございました。^^;人 みん様も寒さ厳しいおりご自愛くださいませ
オイラは1週間でやっと咳がおさまり始めた 熱はないけどしんどかった。
主なところ
水内大歳〜津浪河内神社
陰陽石〜 二鹿神社〜滝
紅葉の三滝観音
広島市祇園=安神社
旧千葉家と庭園の紅葉(海田市)
大陽寺(周南市)
鹿野二俣社〜漢陽寺(周南市)
【サブチャン】広島駅東の踏切は愛宕踏切という名前だった
ご視聴ありがとうございます。
この動画は2019年10月に広島へ旅行した際の動画となります。
代表Twitter: https://twitter.com/YamaRyoh
【三滝観音】三滝名水と幽明の滝 編 広島市西区三滝山
幽明の滝、三滝名水の落水の画像をいくつか追加して再編集まとめ直した。
第一の滝(雌滝)幽明〜ゆうみょう〜の滝=落差45尺 13.5m(鎮守堂前にある)
三滝名水=本堂裏にあり三滝寺を詠んだ詩の書が壁にかけられている。名水は上の滝の落水が流れてきて滝のように落ちている。原爆投下の日八月六日の平和記念式典にて七つの献水の一つとして供えられる。
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。
「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
晩秋の三滝観音 ダイジェスト 広島市西区三
広島市近郊で歴史のある古刹で渓流や滝もあり風光明媚で知られる。
11月14日15時から16時半ごろにかけて訪問散策に訪れた。ダイジェスト。また本編作ります。
今年の紅葉速報。まだまだです。一部色づきあり18日から紅葉祭りらしい。
祇園町地名の由来〜 広島市の古社「安神社」(旧 祇園社)の紅葉 広島市安佐南区祇園
境内の由緒によれば=清和天皇の御世 貞観年間に諸国に勧請された祇園社の一つだそうです神仏混淆の素盞嗚命と習合したした牛頭天王を祀る社だった。明治二年神仏分離し安神社と改称。郷社となる。
明治43年 社殿焼失大正時代の再建 神明造の社殿です。
住宅に囲まれ 社頭を県道277号線が走り、背後にJR可部線が通過する場所にある。
鳥居から遥かに銀山(かなやま)=武田山〜佐東銀山城跡(安芸武田氏の根拠地)が見える。
佐東銀山城(武田山)の麓にあったが正安元年1299年に厳島神主家に攻められ兵火で焼けたため、武田氏により現在地で再建されのだそうです。
祭礼中の戦火で御神体は御神幸中で助かったという。
(歴史等は神社の由緒書を参照しています)
何度かこの辺は通行していたが、今回2回目の参拝させていただいた。
県道277=西区横川〜安佐南区のJR古市橋駅前まで続く県道 旧国道54号で旧道と呼ばれバス通りでもあり交通量は相当多い。道は結構狭い。
御朱印は書き置きに日付を入れていただけました。
注)字幕の訂正=厳島神主家に松尾山の社殿が焼かれたのがX嘉元元年ではなく→正安元年です。その後に武田氏による再建が嘉元元年が正しいです。
神宮寺=感応院X→感神院が正しいです。 以上訂正しておきます。うろ覚えでした^^;
音楽はニコニココモンズから
のる様作
沈む秋。.*:+☆ヒーリングBGM
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
広島市の神社 三篠神社 広島市西区三篠町
JR横川駅前 南口から旧道の県道277号線をJR高架下を抜けすぐのところにある三篠町の鎮守 三篠神社がある。伊奘諾・伊奘冉神、大国主神、大歳神、宗像神、猿田彦神、天神などを祀る。
市街地の神社で、広島市特有の(土壌があっているらしいです)楠が多い。参拝多分・・・2回目です
社殿は米帝の原爆で焼けているが昭和二十三年再建。
周辺の神社(熊野神社、青木神社、八幡神社、天満宮など)をいくつも合祀している神社で広島市西区の三篠町周辺の鎮守。
三篠神社に合祀されていたかつての御旅所で
(現在分離している)新庄之宮(熊野神社)sm38399720
太田川河口仁保島(現在は陸地)旧村社 邇保姫神社 (NihohimeJinjya) 広島市南区西本浦
仁保島=広島湾河口にあった島。現在は内陸化して市街地。黄金山のあるあたりでそこからが続く丘陵の末端の岡に鎮座。
平成十九年未明の火災にて社殿は灰燼に帰す、平成二十二年再建された。
元は享保年間再建の被曝建物でしたが今は唯一手水舎を残すのみ。
社殿は新しく大きなものでなかなか豪壮です。
山頂は再建時、かなり現代風に整備された感じであるがまだいろいろ工事中な模様。
車でも上がれる。御朱印あり。
再建後、参道の石段を登るあたりが一番古い風情や樹木が残った感じのようです。
社頭に掲示された社伝によれば
神功皇后、三韓征伐の帰り。この地に宿泊、霊験のあった爾保津比売命を鎮蔡したという。船団が出発の時、白羽の矢を放ち 邪気払をしたその矢が落ちた場所がこの丘と伝承され、矢が神体らしい。
祭神=爾保津比売命、八幡三神 計他八柱。
仁和元年宇佐八幡を勧請〜これより江戸期までは正八幡宮と号した。
爾保津比売命=丹生都比売ともいい丹砂(水銀の鉱石鉱物)朱色の原料(塗料、顔料にしたが有毒)に関わる氏族の奉斎した神といわれる。
播磨風土記逸文には神功皇后の三韓征伐伝説に登場しこの神から授かった赤土を使い天の逆鉾を染め舳先に立て、軍衣を染めて見事 新羅に勝ったという。
料亭や温泉などのある(庭園も有名)半べい庭園の先にあり邇保姫神社前バス停も近い。合わせて寄りたいところ。
半べい庭園に寄ったので参拝(二回目)
【広島市の神社巡り】「安芸津彦神社」(旧名 官幣社) 広島市安佐南区祇園
江戸時代までは厳島神社の七つの兼帯社の一つであった。明治5年 現在の社号に改めた。
JR可部線に沿うように走る県道277号線(旧道)沿いにある。所々古い屋並みも残る道だが 今でも交通量は半端なく多い路線その街道沿いの一角に旧官幣社こと安芸津彦神社がある。
安芸津彦神社(旧名称=官幣社)安芸津彦命、安芸津姫命を祭神とする神社~安芸津彦命は阿岐(安芸)国造 飽速玉男命(速谷神社御祭神)の祖神である.
平成になる直前に焼失した後社殿は 残念ながら社殿は鉄筋コンクリート再建である。
写真を見直してみますと綺麗に撮れていました。
末社の建物は古い感じでした。
祇園の名の由来である、安神社がごく近い。
<安国寺恵瓊中興 >安芸国安国寺遺構 不動院(国宝の金堂と重文の楼門・鐘楼)広島市東区牛田
不動院=足利尊・直義氏兄弟が全国に建てた安国寺のひとつ。旧安芸安国寺。
寺院由緒によれば
元は平安時代に創建されたようである。その後、安芸国安国寺にあてられ、安芸守護武田氏により尊崇され、大永年間の武田・大内の戦いで伽藍が焼失したといわれる。
武田滅亡後は大きく衰退したが、毛利の外交僧の安国寺恵瓊により再興された。安国寺恵瓊は武田氏。
禅宗であった(臨済)が、現在の寺院建物のほかに方丈や幾つもの塔頭が並んだといいます。
しかし福島正則により寺領没収となり再び衰微した。後に福島の祈祷僧 有珍が住職となり真言宗となり、本坊に祀った不動明王から不動院と号しやがて寺院全体が不動院と呼ばれるようになる。
一部 wiki参照
金堂は国宝に指定されている(6カ国太守大内氏時代の建物で室町期禅宗様式で豪壮、山口の大内義隆公建立の寺院にあったものである)安国寺恵瓊が移築したものということです。おかげで残ったとも言える。
大内が滅び大旦那がいなくなれば衰退してしまう。歴史ある建物もこうして移築により保存されたんでしょうな。
サムネ=不動院 楼門
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(二)本堂と三滝名水〜鎮守堂と幽明の滝 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)その3は下山しながら茶堂、庭園と十六羅漢像、多宝塔。こちらは見どころが多いので三回くらいに分割してます。
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
ST023-1 駅間散歩:あき亀山駅→河戸帆待川駅 ①駅のICOCAチャージで悲劇&伊勢社に探訪
ご視聴ありがとうございます。
今回は令和元年10月18日~22日にかけて旅行した広島・呉・江田島旅行より、JR可部線のあき亀山駅~河戸帆待川駅の間を超大回りで散歩した際の様子をまとめてみました。
シリーズ中、過去動画と重複した場面がございます旨、あらかじめご了承下さい。
関連動画を以下に紹介します。
改めてみてみると改善箇所が多いので、改めて10分程度の動画にまとめたいですね…
☆彡013-16 【広島・呉旅行】「3日目」広島駅・マツダスタジアム近くの「HIROSHIMA Base HOTEL」に泊まってみた
https://youtu.be/Nw-P2mvOikA
→前日に宿泊した格安ホテル
YonTubeよんつべ #37「四日市市民が「四日市役場」に行ってみた。ただそれだけの動画」
https://youtu.be/aAqkuF1WaNw
→散歩途中に三重県四日市市民が広島市にある四日市役場へ寄った模様
YonTubeよんつべ #38「JR四日市駅とJR五日市駅を間違えてしまった」
https://youtu.be/7kc-iAdXmlk
→四日市駅と五日市駅を間違えてしまった方のために、五日市駅の付近を散歩調査してみた動画
YonTubeよんつべ #39-1「JR五日市駅からJR四日市駅まで、在来線で移動してみた」【五日市駅~姫路駅】
https://youtu.be/-E69eWXdFHs
→読んで字のごとく、五日市から四日市まで在来線で移動しているだけの動画
代表Twitter: https://twitter.com/YamaRyoh
広島市の神社巡り【西国街道】旧村社 古江 「 新宮神社 」 広島市西区古江東
西国街道 沿いの古江の丘の上に鎮座する古社。創建は南北朝時代の延文年間(1356年〜1361年)で熊野三山の中の熊野新宮社を勧請したもの。
元来の御祭神は泉津事解男命(よもつことさかおのみこと)一座であったが明治初年伊奘美命を加えたという。
明治四十年県令の指示で八幡宮と大日社を加えて相殿に祀り現在に至る。
社殿は平成に入り焼失したため平成三年再建であるがなかなかいい。
境内は広場のような公園になっている。見晴らしは良かったと思われるが今は海は遠くなり住宅街の真っ只中でマンションなどが立ち並ぶ。
2018年の西国街道ウオーキングで見つけられなくて調べてようやく行ってきた。
古江電停から山側へ行くと西国街道に出てファミマの横を入り少し進むと参道入り口が見つかる。周囲に駐車場はあるが1時間200円くらいだった。
【2024年2月開業】広島新サッカースタジアム 展示模型撮ってみた ホーム最終戦 2021.11.27 サンフレッチェ広島 Sanfrecce Hiroshima F.C エディオンスタジアム広島
2024年シーズンに合わせて開業予定の新しい広島サッカースタジアム。
サンフレッチェ広島、11/27ホーム最終戦。
エディオンスタジアム広島にて基本設計版(現在建設中)の模型を展示!
カバーガラスの反射で模型の撮影は難しかった…(; ・`д・´)
「サンフレッチェ・レディース2021」
アクターズスクール広島のアイドルユニット“SPL∞ASH”(スプラッシュ)
広島市の風船屋 merry balloon(メリーバルーン)さん
サンフレッチェ広島F.Cの新たな本拠地となるスタジアム。
建設地は広島中心部の広島城隣の広島市中央公園。
屈指のアクセスを誇る「街なかスタジアム」を実現させます。
広場とフラットな調和をめざす「パークスタジアム」をコンセプトに掲げています。
■サッカースタジアム:2024年2月開業予定
大成・フジタ・広成・東畑・EDI・復建・あい・シーケィ共同企業体
客席数:約28,520席(記者席含む・車いす席:約300席)+立ち見席:約1,600席
地上7階・最高高さ:約42m
■広場エリア:2024年7月開業予定
エヌ・ティ・ティ都市開発株式会社ほか
【県道車載】県道293号 廿日市市虫所山 大虫〜広島市佐伯区湯来町多田 湯来ロッジまで BGM付き(14:25~お猿さん)
県西部 廿日市市の山中 虫所山の大虫から広島市佐伯区湯来町多田へ抜ける〜温泉国民宿舎
湯来ロッジまでの車載抜粋。途中森の中や点在する集落、大谷川や水内川の渓流沿い、滝を抜けていく。
虫所山・大虫の枝垂れ桜の様子を見に行くがまだ花前であった。
shiriの解説 音声を入れようとしたんだが気力が尽きたのでいずれ。
14:25~40左手にお猿さんいます⊂((・x・))⊃
音楽 のる様作 2曲使用 ニコニ・コモンズ
山御所「阿刀明神社」安芸国 楽音寺神明帳記載の古社 〜 令和三年初秋 〜 広島市安佐南区沼田町阿戸
阿刀明神社 天保八年に古い阿刀神社と近くにあった宇豆八幡とが合祀された神社である。合祀後は社号を八幡宮と称したが、明治維新以後、旧名に復した。
春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により杉、ヒノキなど植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あとう)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社の右側の二小社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
2020年以来 時々参拝に行きますが参道の石畳と社叢を背景にした社殿の見事さに惚れ惚れします。
戸山公民館で散策用のMap資料がおいてありいただけます。資料も少し置いてあった。
広島市 文化財HP,戸山散策マップ、wiki参照。
広島市の滝/後編「まきのおの滝」 広島市安佐南区沼田町 吉山の自然散策2022
広島市の滝その2 五段返しの滝周辺補遺とまきのおの滝と林道脇の小さな滝
夏の草花オカトラノオ。
安佐南区の中山間地域 沼田町戸山地区 戸山は吉山地区と阿戸地区からなり滝は吉山地区の浄土真宗法隆寺から山へ向かい清流の大谷川上流 林道終点あたりにある。
四本杉でも知られる東郷山の登山口でもある。
7月13日訪問時の記録。
前編は五段返しの滝です。sm41697758
旧浅野家 庭園 国名勝「縮景園」 その1 園内へ灌花井戸、清風館外観、大蘇鉄(明治100年記念)周辺まで。
縮景園(しゅっけいえん)=元和2年(1620年)浅野藩主 浅野長晟により造られた別邸の大名庭園。
築庭者は、武家茶道上田宗箇(そうこ)流の流祖で浅野家家老で茶人上田宗箇その人。
回遊式池泉庭園である。
その名は西湖を模したともいくつもの名勝を縮めて表現したためともいわれる。
また林羅山が浅野公の求めに応じて書いた詩文の冒頭句から名付けられたとも言われる。
元々は江戸時代以来正式には泉邸と言われていた。戦後、縮景園が正式名称となる。
築庭後、幾度か改修や拡張がなされ現在の形となる。天明年間に庭師として知られた京都の清水七衛門(加計の吉水園なども改修している)による大改修でほぼ今の原型が定まったと言われる。
そのほか文政期に行われたらしい。他に寛政年間に1度、文化年間に2度の改修が行われたようです。
1940年昭和15年に浅野家から広島県へ寄贈された。
清風館=書院風な数奇屋造りの平家建て柿葺の建物。戦後再建された。よく茶会で使われるので何度も見学しています。中でお茶を飲むといいですよぉ。上田宗箇流 武将の茶らしくて所作がかっこいいからね。今年は茶会あるらしい。
大蘇鉄=樹齢300年くらいらしいです。上田宗箇流家元の寄贈で明治100年記念に植樹されたもののようです。よくニュースなんかに出ますね春の菰(こも)はずしとか。
京橋川沿いに位置しており川から水を引いたり、井戸から組み上げている。
池(小島がいくつもある)、築山、茶室、居館、東屋、滝や流水などがありかなり広い。
今回は東側中心で撮影した・・できるだけ人が映らないように苦心しました。
築山好きなんだけど動画撮るの上手くいかないわ。平日にまたいこうお茶して帰ろうw
まーだ東屋や西側は撮影してないんだな・・・人が多くてw
原爆投下により建物等樹木なども焼失したが、戦後復興され市民に公開された。
広電白島線〜縮景園前か広島駅から至近なので徒歩でも行けるよ。
縮景園HP記事、ウィキ参照
音楽:ニコニ・コモンズ 忘却の都~ノスタルジックなBGM~
作者名:のる様
広島県の小瀬川温泉〜湯来ロッジの満開の桜めぐり 2022
本多田、美和に続いて、令和四年のお花見がてら見て歩いた記録 廿日市と湯来町
国道186号沿線 広島山口県境の川〜小瀬川沿いの小さな温泉の桜
この時期は人出が多い・・。うどん屋さんの丸忠さんがやってるのでおうどんが美味しい。
名水や温泉水(ラドン水)も汲める。
ここは鉱泉の源泉のやや上の巨岩を神体に小瀬川神社も建立しておられますなかなかすごい岩です。
雰囲気があります。
湯来ロッジの桜
広島市佐伯区湯来町多田 湯来温泉にある国民宿舎 掛け流し
夏は蛍、春は桜がいいですね。
この日は他に神原の枝垂れ桜巨樹へも行きました。
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」補遺〜 Usuayama Hachiman (師走 紅葉最盛期記録) 広島市佐伯区石内
令和二年12月 もみじの紅葉が盛りになったと思われた頃訪れた。
やや曇り気味でしたがだいぶ色付きが進んでおりまあまあ雰囲気は出てるかなと。宮島辺りは混雑しているというので避けてこちらへ再訪した。この辺りは古代山陽道でもある。
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
境内は結構広いです。石段したのもみじの古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています.。また社殿右手の境内隅に永井建子(けんし)の記念碑が建つ。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。現社殿はなかなか大きく造りどっしりしている。境内は大木が多くある境。昭和になり 皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
その1(紅葉はじめ頃〜社殿及び境内 動画 sm38073703
令和2年12月
【広島県の神社巡り】安芸武田氏の佐東銀山城 北門の鎮護 宇那木神社 (Unaki Jinjya)
鎌倉末期(佐東郡の銀山かなやまじょう城築城の頃)創建の模様で、安芸守護、分国守護などであった武田氏が甲州から勧請した神社。元は宇那木八幡宮と号していたようです。
御祭神=応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
宇那木山に鎮座しておりこの山中には数基の古墳が現存する。
佐東郡は(もともと古代は佐伯郡と呼ばれたが平安末期に佐西郡と佐東郡に分かれた)後に沼田郡となり 近代になり安佐郡などと改編された。
JR可部線の七軒茶屋駅から程ないところにあり4〜500m程度離れている。現地は駐車場あり。
安芸武田氏ゆかりの神社である。
銀山城のある現・武田山までは車で20分くらいで山麓からは登山となる。なかなか急な山であるが眼下に太田川流域から厳島を望める景色は良い。二回ほど登りました。
古墳などもあり古代から開け。
中世の太田川流域の安芸の国支配の中心地だったようですが武田氏も守護職をおわれた。
戦国期には太田川流域の分郡守護であった武田氏も衰退し大内氏や尼子氏が勢力を伸ばしやがて毛利氏が台頭してくる。わずかに残る武田氏ゆかりの場所の一つなんですね。
2019( 令和元年 )冬 参拝。