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獺祭〜千年杉【岩国市周東町の山間】「川越地区」を行く!(1)〜獺越(おそごえ)三瀬川(さんぜがわ)〜 山口県探検 岩国市周東町(川越地区)
日帰りで岩国市周東町へ半日ほどの初見探検です。この地域は川上地区までしか行ったことがないので初めて。国道2号線から県道5号周東美川線を行く予定が道を間違えてしまいまして、まずは蓮華山の麓にある谷津地区へ
県道5号へ入ると獺越地区〜三瀬川地区まで行きました。初めてなんで見落とし、いけなかったところもあると思います。
その1の内容
1玖珂町の谷津・比叡神社 2隕石発見石碑 3丹生河内神社(さんざん探してニノ鳥居まで・・スズメバチがきたあああ。残念)3旭酒造 獺祭ストアの風景。
その2の予定 獺越 河内神社周辺 三瀬川の川越大神宮辺り 川上の鮎原劔神社へ
撮ったつもりが間違って削除したか・・集落あたりの写真がない また行くつもり。
蛇漬渕とか三瀬川 河内神社へ行き損ねておる。檜余地(ひよじ)地区もいってないです(八代に近いあたりらしい400m越えの標高)東川(島田川系)、根笠川(錦川系)の源流地帯。
獺越(おそごえ)とは周北小学校のサイトによれば、昔々下の川上村でカワウソが人をよく馬鹿して里人が追いかけこの辺りまできたから獺越え・・と言われたという話もあるそうです。
山口県の神社巡り 清流の町錦町 府谷・須川 河内神社三社巡拝編 岩国市錦町
清流錦川流域錦町の神社巡りと日本の風景 河内神社三社の紹介。
前回は旅動画・・今回は神社編です。二ヶ所の画像データ追加しました。
府谷の河内神社 川沿いの道の駅ピュアラインにしきにあり。明るくひらけている。
須川 河内神社 社殿も古いが彫刻もいい。大杉が多い 手水鉢がも面白い。
江龍寺 俊道様 下の病を癒す徳のある寺院。俊道大和尚の墓所へお酒を供えて祈願する。
上須川 河内神社 宇佐川沿いの上須川にある渓流沿いの御社。境内に岩国市重要文化財指定の大杉がある。スズメバチが飛んできたので本殿の写真は無しです。国道から少しだけ入った場所でちょっとだけわかりずらいです。
領主(開拓者?)讃井清原兼道により創建されたと伝わるらしいです。神木の高さなどデーターがサイトにより違いがあるが岩国市のHPを参照しています。
【広島県の神社巡り】 筒賀(筒賀)大歳神社の大銀杏と大瀛(だいえい)和上生誕地 安芸太田町筒賀
安芸太田日帰り散策の2 筒賀大歳神社=昔、鶴のお陰で耕作に良い土地が見つかりそこの大銀杏に祠を建てたのが始まり。落穂大明神ともいわれたお社で治承年間(1177~80年)頃の創建 だそうです。
御祭神は天真鶴の命 以上広島大百科HP参照
大銀杏=樹齢1000年以上の御神木。
後半
浄土真宗の偉人です。
大瀛和上(だいえいわじょう)=浄土真宗の学僧で芸轍(げいてつ)浄土真宗安芸学派の指導者的存在の僧侶。江戸時代に起こった本願寺の大事件〜三業惑乱事件で活躍した人。
真宗を異端説から守った学僧である。真宗=自力の心を振り捨てての絶対他力ですからね。
安芸太田町筒賀の出身でありその最初に修行(学んだ)寺も今も残る。また分骨の墓所が設けられている。
注釈 三業惑乱事件〜江戸中期、本願寺の学林で三業安心説が唱えら=三業(身、口、意)により阿弥陀へ帰命すると救われるとする説に対し、自力的な教説であると古義派(芸轍の代表大贏〜だいえい〜)など在野の学僧が大論戦し僧、門徒を含め揉めて流血事件まで起きたたと云う最後は幕府介入により論争が江戸で行われ古義派が勝利し異安心は退けられた。
本願寺は100日の閉門処分を受けたと云う。また関係した何人もの僧が遠島処分や牢獄で拘留中で亡くなるなどした。 wki記事による。
大竹市元町 疫神社・大治社と神楽山 薬師寺【芭蕉の弟子 志太野坡 記念の浅生塚】
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおち)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
言い伝えではここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。伝説では所の翁とも呼ばれる。山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
真言宗 神楽山「薬師寺」
小さなお寺ですが、広島新四国88ヶ所霊場四番札所となっている。後ろの山上にかつて存在したという西福寺の後継の寺院で護摩堂を麓に移し創建したと言われている。
市内でも古い宝篋印塔(なかなか大きなもの)や古い仏像も多いようです。これらは江戸時代の災害など多い頃建立されたらしい火伏せ地蔵、法華塔の地蔵尊(宝篋印塔の守護)などもある
本堂の写真は没でした(失敗)本尊は薬師瑠璃光如来(六十年ごとにしか拝めませんです)
本堂上に浅生塚があり、芭蕉の弟子で軽みを継いだという芭蕉の弟子 志太(浅生庵)野坡(やば)の門人で、ここ大竹の芦蕗たち竹里連(俳諧を行う集まり)が野坡三十三回忌に建立した石碑。
野坡は西国方面で活動し、ここ広島藩最西端の地へも何度も訪れ連句を巻き、指導をおこなった。
関ヶ浜 妙見山~和木町指定天然記念物「大ヒノキの巨樹」を訪ねて 玖珂郡和木町
山口県玖珂郡和木町の関ヶ浜 妙見山。小瀬川沿いにあり旧吉川氏領。あいにく曇りなのであるが10年ぶりに20分くらい登山してきた。登りやすい山ですね^^階段きついけど。晴れたらまた行こう。
妙見神社 旧社殿の残る山頂下境内にある和木町指定天然記念物「大ヒノキ」の巨樹です。
神社が麓へ降ろされてからだいぶたち以前にくらべ境内はだいぶ荒れてた感じ木の枝や落ち葉が積もる静かなんだが米軍機が時折爆音を立てる。
妙見社〜戦国期の1556年(弘治2年にはすでにあったようです)〜(妙見神社)山上に今も拝殿、本殿の建造物はそのまま神社を遷座した。登山口から3分〜5?
程度登ったところの鳥居側に新しく(もう大分前だが)小さな社殿を建立している。
昔々地元の禅僧が妙見菩薩の霊夢を見て掘り出した神鏡を神体とし村人が守り神として妙見様を祀った神社。
この日は曇りで森の中は暗くて写りが悪い、この数日前事前調査で少し歩いたが森が綺麗でしたまた登りたい。
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
山口県天然記念物 宇佐 八幡宮「大スギ群」 岩国市錦町宇佐
宇佐八幡の大杉群 岩国市錦町宇佐の鎮守社。寂地峡近くにある神社で宇佐神宮を勧請した古社。
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
今年5月に参拝した。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
別垢の神社動画から巨木関係を整理編集し直した。
〜宇佐八幡宮の杉巨樹群〜令和三年初夏 宇佐八幡宮と社叢 岩国市錦町宇佐郷
神社のある場所は 国道434号線沿いにある岩国市錦町宇佐郷で、錦川の支流宇佐川の流れる山里
名勝 寂地峡のすぐ近くである。宇佐郷の名は宇佐神宮より賜ったものらしい。
由 緒
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も(古い災害で)破損しているが神殿横に保存されています。
宇佐の大杉巨樹群=中でも樹齢900年と推定される境内前の最大の巨樹(二の鳥居前向かって左側)樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
何もないようだが余分なものがない佇まいがいいのです。
初秋の宮島巡り 「自然歩道 うぐいす歩道を辿り古刹 浄土宗光明院 」まで
秋の宮島散策記その(1)令和二年八月終盤 世界遺産のある島 厳島〜宮島へやってきた。
宮島港を出て左へ行くとすぐの長浜神社入り口あたりで道が分岐する。
右の山側の道路を登る。町並みの背後の山側を紅葉谷まで1、8kmで結ぶ散策路。
これがうぐいす歩道と言われる自然散策路。車道なので、時にホテルや旅館の送迎バスなども通行しますので注意は必要
久しぶりに歩いた。今回は誓真大徳碑(光明院)分岐まで行きここを入る。この分岐のちょい先 うぐいす歩道の山側に楠の巨樹があった。いろいろあるもんですな。
誓真大徳(Seisin Daitoku)=弁財天の琵琶の形から宮島名物杓子を考案して広めたり、井戸を掘ったり民生に尽くした。光明院裏、今はない浄土宗 神泉寺の番僧をされていた。
この後、石碑前から眺めを見た後、光明院前(今回は参拝せず)を降り山辺の古径(昔の参道)に合流して五重塔へ。
うぐいす歩道の光明院・誓真大徳碑方面への分岐は表示が小さいので見落とさないこと。
そのまま真っ直ぐうぐいす歩道を進めば紅葉谷ロープウェー駅の少し下に出る。また途中エスケープして、旅館岩惣の前へ(紅葉谷入り口)降りる道などもある。
人はそこそこ増えましたが、密にならずに観光できます。異様に多い外国人がほとんどいないので静かなもんです。今までが多いにしても程があると思います。これがまあ普通です。コロナが収まり昔くらいに今少し増えればいいんですけどね。程々が肝要。中華発コロナ が治るまでは日本人が戻ってこなければデス。
「曰く 過ぎたるは及ばざるが如し」
厳島、宮島関係映像= https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/82780
【巨樹巡り】岩国市天然記念物 「 楠一丁目のクスノキ巨樹群 」の新緑
岩国市の楠町一丁目 門前川の堤にあるクスノキの巨樹群。堤防の上に11本の巨樹が並ぶ様は壮観。清流の錦川がこの辺りで井堰を境に東の今津川、西側に流れる門前川に分かれて行く場所。
楠のあるあたりは二つの川の間で形成された三角州である(川下地区と呼ばれているそうです)
岩国領主 吉川広正 公が現在の楠町1丁目付近に隠居所を作るため万治元年1659年堤防を改修した時かそのすぐ後に植えられたと言われているらしい(他の説もあるようです)1661年館は完成している。
吉川広正公=岩国第二代岩國領主、吉川広家の長男、毛利秀元に代わり一時 長州藩の執政や藩主毛利綱広の後見なども勤めた。
クスノキの巨樹=11本あり一番大きな巨樹で目通り5、65メートル、高さ30メートルある。
門前川の井堰は渡る人がちらほらいます。今度歩いてみたいなと。
現在は神社周辺の樹上には、白鷺(サギ)の群れが営巣しておりけたたましい鳴き声がこだまする。糞で下の神社が真っ白。東側の方はサギの巣が少なかった。
神社ですがyahoo地図や岩国に詳しいブログの紹介では「海原神社」となっていた。
錦帯橋の花菖蒲を見学したついでに 錦川沿いに走り日帰りで行ってきました。
<島根県の神社>巨樹の「赤穴(あかな)八幡宮」と頓原ラムネ温泉へ 島根県飯石郡飯南町赤名/頓原
島根県飯石郡飯南町(旧赤来町と頓原町が合併して生まれた町)旧分国では出雲国になる地方
頓原のラムネ温泉へ行く途中に道の駅赤来高原の至近にある古い神社があり参拝してきた。
なかなかいけないところなので温泉へ行く途中参拝 記録として作成。 2019.6
この辺りは赤穴荘とよばれて国人領主 赤穴氏により赤穴城が築かれていた。
山陰の雄 尼子氏の尼子十旗の一つとされた城。備後方面をもにらむ場所にあり大内軍や山陰攻略の毛利軍との間で戦いが行われている。
旧郷社 赤穴(あかな)八幡宮
社殿創建は770年と言われ(実際はもっと古いらしいが詳細は不詳)る古社。
元は松尾神社と号したが、石清水八幡宮の荘園となり赤穴別宮が置かれ松尾神社も統合されていき
赤穴八幡宮となる。賀茂神社系の祖神神話も残り
賀茂神社系の祭神(別雷神等)と八幡信仰系(神功皇后や仲哀天皇、応神天皇)の祭神が祀られている。
特筆するのは境内だが田舎なのですが荒れているわけでもなく自然で素朴な感じですが、巨樹が多い特に大元杉(夫婦杉)は樹齢1000年以上で社殿奥に二本ある。巨樹好きにはたまらないところである。
ここよりさらに国道54号線を進んだところに由来神社というのがあるがここも巨樹の杉があるそうです(帰りにうっかり通り過ぎちゃいました)
この後 頓原地区まで行き道の駅で、中国山地の一部で伝統的によく食べられていたワニ(鮫)をいただきまして〜ラムネ温泉へ入湯して帰りました^^写真を少し。
源泉は今は飲めないそうです(明治時代には炭酸水として売ってたらしい)泡がしゅわしゅわついて、効果大です 小さな温泉ですけど おすすめ。
修正完了。
【車載】 大きな樹を見に行った 【のち散策?】
目的地;埼玉県越生町「上谷の大クス」。東京近郊でもこんなに大きな樹があります。何度か行ったことがある場所だけど、久々に行きたくなった。せっかくなのでテストを兼ねて車載動画に挑戦。・・・カメラをもっとがっちり固定しないとね、、、orz
Voicepeak【フリモメンと行く神社巡り】 中国山地 安芸太田 「津浪・河内神社」と巨樹のある社叢 test1
広島県山県郡 安芸太田町〜津浪 河内神社と御神木の境内の杉の大木のる風景。
神社案内ガイドはフリモメン(voice peak)さんです。音声案内は最小限にとどめております。
テスト投稿 フリモメンさんのご案内によるし神社参拝記。
津浪 河内神社は1375年創建の古社。この地方が開拓されていた時期
南北朝時代に河内国から移住した影浦氏が勧請して建立したのが始まり。
創建以来守られてきた社叢の風景は壮観である。
神社下の田園からの眺めも良い。
加計スマートICのあたりから入る道とプラットホーム津浪(道の駅的な)の少し広島よりから山側へ入る道もあり(多分こちらがメイン道路かな)三島神社や浄土真宗寺院、古い御堂、古墳(復元)などもあるようだ。
地域で寺社旧跡などにも解説版なども設置されている。
いつか散策したい。
〜立ち絵画像は Voice peak公式DL用のものお借りしています〜
修正完了。
今回導入してインストールした Voicepeakについて
ここでフリモメンさんのナレーションはわるくない。力強い声。
趣味的には音楽だけの方が場所柄ここだとより静寂の雰囲気はあるかな。
テストなんで映像は同じだが、別音声でもう1パターン作ったのであげるかも・・どうしよう。
<坂と猫の港町> 尾道の寺社巡り(二) 艮神社〜妙宣寺〜御袖天神・大山寺 まで *猫も出ます (=^ェ^=)
コース=艮(うしとら)神社〜妙宣寺〜御袖(みそで)天満宮〜大山寺。御袖天神の参道は大林宣彦監督の尾道三部作〜転校生の主人公二人の心が入れ替わる場面の舞台です。
艮神社=旧村社 旧尾道 最古の神社 楠の巨木群は県天然記念物指定。
妙宣寺=日蓮宗寺院 文和三年(1354年)大覚妙実(元真言僧で、日像上人の弟子。妙顕寺二世)が開基だそうです。本堂は江戸期天明年間再建。幕末広島藩が駐屯し福山藩に備え、尾道を鎮撫した史跡でもある。猫がたくさんいました。
御袖(みそで)天満宮、大山寺(元は神仏習合で旧天神坊だが明治時代以後分離した)石段が大林宣彦監督転校生の舞台。御袖天神は菅原道真が尾道に寄港し残した袖が由来。大山寺は真言宗で西大寺の慶鑁(keiban)和尚が再興した。
寒風にからからなるや絵馬の宮 アーカムハウスダーレス
その(3)〜sm37499235
尾道は歴史も深いところなのでお寺が多くて1日では回りきれませんね。
令和二年巡拝記録集
奈良 巨根とヤエーツー v(・∀・)yaeh!
今回は 奈良県宇陀市に在る 高井の千本杉を見に行きました 高井の千本杉とは関西で一番の大木です 地味な名所ですが見て頂けたら嬉しいです あかだいの作品 mylist/27419262