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シーイーの古都京都巡り028新熊野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「新熊野神社」
です。
[いまくまの]と読みます。
主祭神:
・イザナミ
摂社/末社:
・若宮社
・樟社
ほか
本家の紀伊熊野を34回も参拝した後白河天皇が、
平安京にも「熊野神社を創建したい」との勅命で、
平家が出資して本家の紀伊熊野から石材や木材を調達して
建立された神社になります。
院所となる法住寺の蓮華王院(三十三間堂)の落成式と合わせて勅祭が実施。
しかし応仁の乱で丸焼けになってほぼ廃絶。
復興されたのは江戸初期。
徳川家光の実妹で 後水尾天皇の皇后こと 「徳川和子」が
夫と兄にお願いして、ちゃっちゃと復興されたという。
なんというか・・・時の勢いとは大きなもんですな。
シーイーの古都京都巡り027小倉神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「小倉神社」
です。
主祭神:
・タケミカヅチ
他
摂社/末社:
・若宮神社
・天満宮
ほか
この地には古墳があり、
718年にその古墳の社をリサイクルする形で
神社になったらしいです。
桓武天皇の「長岡京遷都」に伴い、
都の逆鬼門(鬼門封じ)の神社として大々的に増築されたようで、
平安京でも同じ方角から「平安京の鬼門封じ」としても活躍。
室町末期になると、
当社から東に1kmほどの「小泉川」を挟んで
羽柴秀吉 VS 明智光秀
「山崎の戦い」 もしくは 「天王山の戦い」
と呼ばれる合戦があり、
秀吉が戦勝祈願で代理人を参詣させた記録があります。
シーイーの古都京都巡り026西院春日神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
オープニングの背景がかわりました。
今回は
「京都春日神社」
です。
主祭神:
・春日権現
摂社/末社:
・稲荷社
ほか
元々は嵯峨上皇のお屋敷で、
淳和天皇が異母兄の嵯峨上皇に面会し、
引退を申し出たことで、淳和へ譲られました。
引越しとあわせてに、奈良春日大社の春日権現を勧請し、
屋敷内でお祀りされておりました。
淳和上皇が崩御の直後に正式な神社となったそうです。
「十六社朱印めぐり」と「西大路七福社めぐり」の対象神社です。
※後者の紹介予定はありません。
シーイーの古都京都巡り025京都熊野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「京都熊野神社」
です。
主祭神:
・イザナギ
・イザナミ
他
摂社/末社:
・金刀比羅大神社
・春日大神社
ほか
修験者が紀伊熊野に参詣のおり、
この地に勧請したとされる神社です。
現在の京都大学の医学部やその病院がスッポリ入るサイズの土地が
足利義満より寄進されております。
応仁の乱では、その広さから大破。
秀吉の区画整理では、鴨川の東側(洛外)から修築の対象外に。
江戸時代にやっと修築されました。
しかし義満時代の元のサイズからかなり小さくなりました。
街道(鯖街道と推定)のすぐ近くという立地から、
茶店「八ツ橋」が大繁盛。
茶店の主がなにかと寄進したことから、「八ツ橋発祥の地」となってます。
また「十六社朱印めぐり」の対象神社でもあります。
シーイーの古都京都巡り024護王神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回はCMがあります
「護王神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その8(ラストです。)
主祭神:
・和気清麻呂
・和気広虫(清麻呂の実姉)
摂社/末社:
・祖霊社
ほか
こおうじんじゃ または ごおうじんじゃ と読みます。
清麻呂は清らかな都市作りをした事から、孝明天皇は濁らない発音にした模様。
現在の読みから「ごおう」が一般的ですが、シーイーは「こおう」としています。
長岡京建都と平安京遷都のキーパーソンである
「和気清麻呂」を主祭神とする神社です。
猪に縁ある人物ゆえに、
狛猪がお出迎えし、手水舎では猪から水がでてきたりし、
あちこちに猪のオブジェがあったりします。
皇居の竹橋付近に彼の像があったり、
拾円紙幣の肖像が清麻呂で、当社舞殿が描かれていたりから
明治天皇は清麻呂を崇拝している感じですね。
最初は清麻呂だけでしたが、
大正天皇も影響を受けていたようで、
清麻呂の実姉である「広虫」を合祀。
近年、京都のローカルテレビ局(KBS京都)では
当社のCMが流れたりします。
(動画の途中で流れます。 CMはYouTubeの公式から)
昨年は亥年だったので、かなり賑わっておりました。
シーイーの古都京都巡り023下御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は前回の姉妹神社となる
「下御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その7
主祭神:
・早良親王
・吉備内親王
・霊元天皇
他
摂社/末社:
・内宮
ほか多数
創建に至る内容は、前回の上御霊神社と同じなので割愛。
元々は現在の「今出川寺町」にあった「出雲寺」の末寺として
建立された説が有力です。
鎌倉時代に「新町出水」への引っ越しと共に神式になったようで、
現在のその地は京都府庁だったりします。
室町時代に勃発した「応仁の乱」では、
乱勃発の情報が届くとすぐに、時の神職さんが、
ご神体を持って ア~ラホ~ラサッサ の スタコラサッタ!
と現在の御室あたりへ疎開。
室町末期、秀吉の京都復興にて、
現在の場所が確保され、本殿建立の後にご神体が帰還。
江戸時代では、
御所が焼け落ちるほどの大火事「宝永の大火」と「天明の大火」があり
全社では全焼 後者では土蔵以外が焼け落ちました。
復旧の為の仮御所が二度も下賜されるという、
天皇家からとてつもない信仰がありました。
また霊元天皇は神輿も寄進しており、
霊元天皇時代の土蔵と神輿が現在に残っている神社です。
これらの社殿などは重文や国宝の指定はされてなく、
京都市の有形文化財です。
(神社が所有の「霊元天皇からの書状」が重文になってるのみ。)
シーイーの古都京都巡り022上御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回から中古ながら新調したカメラでの写真で、
若干比率が異なってます。
今回はちょっと長めでの
「上御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その6
「京都十六社朱印めぐり」の対象神社でもあります。
主祭神:
・早良親王
・吉備真備
・橘逸勢
他5柱
摂社/末社:
・福寿稲荷
ほか多数
桓武天皇は平城京からの遷都を決心しました。
遷都のプロジェクトとして、
藤原種継と実弟の早良親王をプロジェクトのトップとして、
山城国乙訓の長岡村に派遣しました。
「立地はよい」との判断により場所が決定し、
さっさと内裏の建築が始まりました。
突貫工事もあいまって、半年後には内裏の外郭と大極殿が完成。
桓武天皇はさっさと居を移して「遷都」となりました。(長岡京遷都)
そんなある日、
現場状況の確認でぶらぶらしていた種継に、
流れ矢が命中!即死してしまいました。
犯人はヤス「大伴家持」と裁定され、
事件の前に没していたことから官位剥奪、親類が悉く逮捕。
早良親王も関与との讒言があり、
実弟の早良親王を幽閉・流罪に。
早良親王は無実を訴え続け断食するも、まもなく死去。
まもなくに河川氾濫と疫病発生となり、皇后と実母が病没。
「早良親王のタタリである!」
とされて建都が中断。
現場の責任者の「和気清麻呂」は、
新天地でのやり直しを進言、桓武天皇も承諾。
建都・遷都に先立って、
早良親王に「崇道天皇」の地位を与えて神号とし、
八瀬に「崇道神社」
新都の北東(鬼門)に「上御霊神社」と「下御霊神社」を建立
これがこの神社の成り立ちです。
室町期には、畠山家の家督相続の衝突で、畠山政長が陣を置いて、
そこに畠山義就が突っ込んできて合戦に。
「上御霊神社の戦い」と呼ばれる、応仁の乱の前哨戦となりました。
そこから「応仁の乱 勃発の地」とされている神社です。
江戸末期には、
天皇家で皇女が誕生すると、胞衣が奉納される神社となりました。
こんな神社です。
シーイーの古都京都巡り021水火天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第六段
「スイカ水火天満宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その5。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・六玉稲荷
ほかいくつか
醍醐天皇は菅原道真を太宰府の責任者とする降格人事を実施。
太宰府で道真が亡くなると、京都では天変地異が続発。
大臣の藤原時平が急死したり、醍醐天皇の皇子が若くして亡くなったり、
挙句に、十和田湖で火山が大爆発し、日本国中に灰が降った。
禁裏でも民衆も「道真のタタリや~!えらいこっちゃ~!」と騒ぎ、
道真の鎮魂のムードが高まった。
そんな時に比叡山の僧正である「尊意」が、
「私の自宅で供養しましょう。」
言ってくれたので、
「水火の社」の社号と
「天満自在天神宮」の神号を用意して祀ったのが始まり。
つまり「道真=怨霊」の方程式が確立した処になります。
シーイーの古都京都巡り020白峯神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「白峯神宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その4。
主祭神:
・崇徳上皇
・淳仁上皇
摂社/末社:
・地主社[じしゅしゃ]
・潜龍社[せんりゅうしゃ]
・伴緒社[とものおしゃ]
明治天皇のお父さんである「孝明天皇」が、
幕府の政治不信による国内混乱を鎮静すべく、
幕府に「建立するよ」と声をかけたものの、
幕府がなかなか首を縦に振らす、
幕末になってやっと振ってくれた。
時すでに遅く、孝明天皇は崩御。
明治天皇が意志を継いで建立した神宮になります。
土地の問題から、飛鳥井家が屋敷を提供。
蹴鞠宗家の飛鳥井家が、屋敷で信仰・崇拝の精大明神を摂社として、
神宮の建立となりました。
明治天皇は白峯神宮の建立の成功に伴い、
平安神宮や明治神宮といった「神宮建立」に積極的になりました。
他にも京都では「護王神社」や「梨木神社」が建立、
全国では「靖国神社」を総本宮とする「護国社」建立のきっかけにもなりました。
本来の護国社は、
幕末の動乱や戊辰戦争などて落命した方々をお祀りしています。
いつしか諸外国との戦没者も合祀…
(ここでは説明を割愛…)
シーイーの古都京都巡り019文子天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第五段
「文子天満宮」
の紹介になります。
文月にちなんだ訳ではないですがね。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その3。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・相殿
・文子殿
これらは多治比文子が祀られている。
・稲荷社
他。
社号の通り、多治比文子がメインの神様になります。
文子の人物史としては、生没年不明。
道真に関する資料では「乳母で巫女」とあるも、
当社の由来からすると、「巫女」という感じです。
神社史と道真の歴史を突き合わせると、
文子は120才以上生きた人物となってしまいます。
そこで真相を推理。
動画内でシーイーの大胆な推測を披露。
※素人の生兵法です( ̄▽ ̄;)
シーイーの古都京都巡り018菅原院天満宮神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第四段
「菅原院天満宮神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その2。
主祭神:
・菅原道真
・菅原是善
・菅原清公
摂社/末社:
・梅王神社
ほかいくつか
菅原清公は、嵯峨天皇時代に天皇の側近となり、
唐の文化をきちんとしっかり伝えた事から、
親王(天皇の息子)の教育係(家庭教師)となったので、
内裏にほど近いこの地が与えられて住んでいました。
是善もここに住んで、同じく親王の教育係に。
道真もここで生まれたとの云われがあり、
産湯で使った井戸があります。
母親が産後の日立ちが悪かったようで、
吉祥院の祖母と乳母に預けられたと続きます。
室町時代では、
管領家の武衛(斯波)家の屋敷で、
越前(現在の福井県)
遠江(現在の静岡県西部)
尾張(現在の愛知県)
を治めていた一族。
応仁の乱では東西どっちにもつかず、中立だったようで、
その影響か、乱の被害が軽かったようです。
そのために足利義輝が京都に戻るにあたり、
住まいとして提供されて、
「二条城」ないし「二条御所」と呼ばれていました。
しかし、義輝が謀殺されると、
足利家の家臣「三淵藤英」・「細川藤孝」兄弟が、
義輝の実弟で、奈良の興福寺に出家していた覚慶をつれてきて、
還俗させました。
さらに織田信長が上洛により、将軍宣下が受けれた場所とのこと。
天神さまの三代でゆかりがある点から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、筆頭の第1番目となっております。
シーイーの古都京都巡り017菅大臣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第三段
「菅大臣神社」
の紹介になります。
今回から
「京洛八社集印めぐり」の対象神社の紹介になります。
平安京遷都のタイミングでは、
健都のベースキャンプだったそうで、
建築作業員が寝泊まりしたり、
建築資材を置いたり加工したりの場所だったそうです。
嵯峨天皇(桓武天皇の次男)時代に建都が落ち着くのですが、
その頃から役宅(役人の宿舎)に平行活用となったみたいです。
菅原道真も同様に、文章生(役人になる資格を取得してる人)時代に寝泊まりしたのと、
右大臣時代では、文章生の相談や指導を行っていたそうです。
そんな歴史から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第3番目となっております。
シーイーの古都京都巡り016吉祥院天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第二段
「吉祥院天満宮」
の紹介になります。
写真は、緊急事態宣言の解除の後の、
好天な日に撮りました。
天台宗を創設した最澄
真言密教を提唱した空海
彼らと遣唐使として大陸に渡った
「菅原清公」とその父親である「土師古人」が、
長岡京遷都~平安京遷都の頃にこの地へやってきました。
一行の船は海難事故にあい、
一命をとりとめました。
その時に吉祥天のご加護があったので、
菅原家は吉祥天の信者となり、自宅で祀り、
清公の子「是善」
その子「道真」
彼らも吉祥天の信者でもありました。
その信仰となったお堂が発端らしいです。
道真生誕の地と推測される地の一つであり、
また19歳の頃まで住んでいた事から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第4番目となっております。
シーイーの古都京都巡り015長岡天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第一段
「長岡天満宮」
の紹介になります。
写真は、天満宮近くの総合病院に向かうにあたり、
通り道ついでで撮影したものになります。
コラムの第一回目で名前が出てきましたが、
平安時代中期に、菅原道真さんの幼馴染である
中小路宗則さんが、彼を祀る社殿を建てたのがはじまりです。
現在もその末裔の中小路さんが、
神社の管理をされております。
余談ですが、2020年5月現在の市長さんも、この苗字だったり。
そして、
「菅公聖跡二十五拝 5番目」
でもあります。
コラム2 京洛八社めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
前回に続きシーイーのコラムです。
いつになったら、本格的に撮影にいけるやら・・・
過去の写真を使っているので、
季節感がバラバラなのはご了承ください。
お題は「京洛八社めぐり」
前回に続きスタンプラリーものです。
年がら年中のいつでもスタートと完了ができます。
北から順番に
御霊神社
水火天満宮
白峯神宮
護王神社
菅原院天満宮
下御霊神社
菅大臣神社(菅大臣天満宮)
文子天満宮
カンのいいひとは、列挙だけで気がつきましょうが、
半分が菅原道真さんを祀っている天神さんで、
二か所が早良親王(崇道天皇)を祀っていて、
一か所が崇徳天皇を…
「怨霊フィーバーだぜ!」
とまでは言いませんが、
護王神社もあわせて、
政治的に追い詰められたことのある偉人が
祀られている神社ばっかりです。
コラム1 京都十六社朱印めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回はシーイーのコラムです。
お題は「京都十六社朱印めぐり」
元旦から2月15日にかけて行われており、
なんと16もの神社をめぐる
一種の「スタンプラリー」です。
南東から反時計回りに
御香宮
藤森神社
新熊野神社
豊国神社
市比賣神社
粟田神社
熊野若王子神社
岡崎神社
熊野神社
御霊神社
今宮神社
わら天神(敷地神社)
春日神社
六孫王神社
吉祥院天満宮
長岡天満宮
毎年 三箇日に完了させるように
気合入れて廻っております。
マイペースでかまいません。
じっくり しっとり
各神社を堪能してください。
注意点としては、
市比賣神社
女人厄除けの神社なので、
三ヶ日は女性でゴッタガイしてます。
三ヶ日だけ河原町通り沿いの小屋で貰えます。
わら天神
妊婦さんにご利益と縁が抜群です。
戌の日だと妊婦さんが優先されます。
シーイーの古都京都巡り014平安神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平安神宮」
の紹介になります。
名前から平安時代に創建と勘違いされてる方がおられますが、
明治時代に創建された神社になります。
平安京遷都1100年という記念でもあり、
神社と合わせて、武道館や動物園も建設されました。
明治時代に創建ということで、国宝指定はなく、
重要文化財や登録有形文化財の建物になります。
シーイーの古都京都巡り013賀茂別雷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は松尾大社に続いて「王城鎮護」の神社
「賀茂別雷神社」
の紹介になります。
通称の「上賀茂神社」の方が有名ですかね。
全国の神社に摂社や末社などにおいて、
鎮座する「加茂社」の総本宮になり、
「賀茂御祖神社」(通称 下鴨神社)とセットで
山城国一宮になります。
5月15日はメインのお祭である「葵祭」が行われます。
※2020年の葵祭は、残念ながら中止となりました。
ここもユネスコ世界文化遺産となります。
タイマーがズレてて54分ほど、
投稿が遅れちゃいました(テヘ
シーイーの古都京都巡り011鹿苑寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は室町幕府三代将軍「足利義満」が建立した禅寺
「相国寺」の山外塔頭「鹿苑寺」
のピックアップ紹介です。
京都の三大閣と呼ばれる楼閣になります。
・鹿苑寺(金閣)
・慈照寺(銀閣)
・新世界(通天閣);
・西本願寺(飛雲閣)
金ぴかな舎利殿は、昭和末期に大修復されており、
日の当たる方角には、厚めの金箔が貼られています。
ユネスコ世界文化遺産ですが、国宝ではありません。
シーイーの古都京都巡り010松尾大社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は平安京で王城鎮護である神社
「松尾大社」
の紹介です。
まつのお たいしゃ と読みます。
四条通りの西端に位置する、
お酒の神を祀る神社なので、
全国の有名な銘柄のお酒が奉納されております。
(中身はカラの様ですがね…)
シーイーの古都京都巡り009相国寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は室町幕府三代将軍「足利義満」が建立した禅寺
「相国寺」
の紹介です。
「相国」というのが、太政大臣などの「大臣」を示す唐名で、
義満が「右大臣」の時に建立となったから、そうついたそうです。
第一位 天龍寺・・・義満の祖父である足利尊氏が建立。
第二位 ここ相国寺
第三位 建仁寺・・・鎌倉時代に臨済宗の開祖「栄西」が建立。
第四位 東福寺・・・鎌倉時代に公家の九条道家と、僧の円爾[えんに]により建立。
第五位 萬寿寺・・・平安末期に白河天皇(法王)が建立。現在は東福寺の塔中。
別格に南禅寺
の「京都五山の制度」の確定とするための目的もあった。
また、山外塔頭として
鹿苑寺(金閣)
慈照寺(銀閣)
新世界(通天閣);
が有名すぎますね。
※塔中の金閣寺と銀閣寺はユネスコ世界文化遺産なのに、
本体の相国寺はそうではなかったりする。
シーイーの古都京都巡り008建勲神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
オープニングとエンディングを今回から一新してます。
今回は織田信長を主祭神としている
「建勲神社」
たていさお
と読みますが、地元では「けんくんさん」と呼ばれてます。
秀吉が建立許可を取っていたのに、
創建されたのが明治になってからという、
変に歴史がある神社です。
「信長公記」の原本や
「宗三左文字」の刀を所有しているのでも有名です。
オリジナルの朱印帳は「天下布武」と
上述の刀の模様のがあります。
シーイーの古都京都巡り007本能寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
本応寺(本能寺) その2
本能寺の歴史のうち「本能寺の変」からを紹介。
三文芝居が最初にあるのはお愛嬌で(汗)
明智光秀が本能寺を急襲し、
本能寺がまた焼け落ちました。
そして
天下人となった秀吉の京都再建政策により、
寺町で最大の規模の敷地で、賑々しく伽藍を建立。
信長の廟所のほかに、
嫡男の信忠、京都所司代の村井貞勝、
森蘭丸や毛利新介といった変で討死した面々の
供養塔もあります。
シーイーの古都京都巡り006元本能寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
明智光秀が大河ドラマで主人公となり
第一回目の放送記念投稿。
本応寺(本能寺) その1
本能寺の歴史のうち「本能寺の変」までを紹介。
法華宗本門流のお寺の大本山で、
開山は日蓮宗の僧「日隆」によります。
破却されたり、焼かれたり、応仁の乱で潰されて…
ある意味 京都の歴史を知るお寺。
シーイーの古都京都巡り005南禅寺塔頭の金地院
2020年 あけましておめでとうございます。
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
人災や天災、シーイーの身内で不幸などにより、
約2年ぶりとなってしまいました。
今回は臨済宗南禅寺派の金地院の紹介です。
久能山東照宮 日光東照宮 と並ぶ「東照三社」である
「京都東照宮」があります。
無論「徳川家康公」が祀られています。
庭は小堀遠州が、襖絵などは狩野派や長谷川等伯が担当。
室町建築や桃山文化の集大成なり。
シーイーの古都京都巡り004方広寺と豊国神社
2018年 あけましておめでとうございます。
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
かの豊臣秀吉が大仏を建立しましたが、
秀吉の居城の伏見城も大破する大地震で倒壊。
秀吉の没後に神社となり、豊臣政権の象徴でしたが、
江戸時代に一旦壊されてしまいます。
明治時代になって、明治天皇により
やっと再建されました。
※新日吉神宮を「再建」という表現にしておりますが、
豊国廟の建立で部分的に移築となっているので、
この表現としております。
名探偵コナン 10歳老けて犯人を捕まえるPART2
小学生の時捕まえられなかった犯人を、コナンとは反対に10才、歳を取って事件解決する。え、死神が京都に降り立ったって!?今回はのんびり観光編~!!
前回 PART1→sm23580076
次回→sm23595537
part1集→mylist/43837620
コナン 三人の名推理集→mylist/43837613
Twitter→https://twitter.com/sun_sunchan
大霊能者!出口王仁三郎とは
大本HPhttp://www.oomoto.or.jp/Japanese/index-j.html
京都・六角堂の全自動梵鐘
「へそ石」で有名な京都の六角堂の鐘楼には、全自動撞木がセットされています。詳細はこちらのブログで。「おたくな京都*気をつけろ! 新手のスタンド使いだ!*六角堂鐘楼」http://otakazoku.otaden.jp/e155672.html
【動く路線図】近鉄京都線・奈良線[急行]京都〜近鉄丹波橋~高の原~大和西大寺~新大宮~近鉄奈良
[停車駅]
京都、東寺、竹田、近鉄丹波橋、桃山御陵前、大久保、新田辺、興戸(近鉄宮津行以外は通過)、三山木(近鉄宮津行以外は通過)、近鉄宮津(近鉄宮津行以外は通過)、新祝園、高の原、大和西大寺、新大宮、近鉄奈良
[路線]
近鉄京都線、近鉄奈良線
[地域]
京都府、奈良県