タグ ツヒンヴァリ が登録されている動画 : 20 件中 1 - 20 件目
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南オセチア第二の都市、ジャヴァを爆撃するグルジア空軍のSU-25
つべより転載。2008年8月8~9日ごろ、南オセチアのオセット人地域で二番目に大きな町(というか村)、ジャヴァを爆撃するグルジア空軍のSU-25。ジャヴァは南オセチアの首都ツヒンヴァリとロシア領北オセチアを結ぶルート上の要地だが、戦略的重要性はさらに北にあるルク(ロキ)峠のトンネルの方がはるかに高い。というのも、ここが大カフカス山脈で隔てられたロシア‐南オセチア間の唯一の連絡路であるためで、これを破壊すればロシア地上軍の南進を遅らせることができたのだ。実際、グルジア参謀本部はここも攻撃するつもりだったようだが、できなかった。なぜなら、そこまでの空軍力は無かったから。普通に判断力のある人間なら、それが分かった時点で開戦などしないと思うのだが....。
2008年8月8-9日頃、ツヒンヴァリ郊外の陣地で戦うグルジア兵
つべより転載。説明が無いので詳しい情報は不明だが、グルジア兵自身が携帯で撮ったものだと思われる。
ロシアによる南オセチア独立承認を祝うツヒンヴァリ市民
つべより転載。2008年8月26日、ロシアによる南オセチア独立承認を祝うツヒンヴァリのオセット人たち。祝い事があった時に銃を空中に向け撃ちまくるのは、この辺から中東諸国にかけては一般的です。
ツヒンヴァリを砲撃するグルジア軍
つべより転載。2008年8月8日、ツヒンヴァリの市街地を砲撃するグルジア軍。グルジア兵の携帯から出てきた映像のようです。
2008年8月8日、夜明け直後のツヒンヴァリ市街
Liveleak.comより転載。元はロシアのサイト(http://mreporter.ru)に投稿されていたもので、そこに付けられていた説明によれば、2008年8月7日の深夜から一晩に渡って続いたグルジア軍による無差別砲撃から一夜明けたツヒンヴァリ市街とのこと。撮影者は団地の上のほうの階から携帯で撮ったらしい。市内の各所で爆煙が上がっている。
民間人を狙撃するグルジア軍
2008年8月8日、ツヒンヴァリ市の南端に達したグルジア軍。兵士の一人が遠くを歩いていた地元民を呼び止めようとするが、逃亡。兵士は直ちに狙撃するが、外れたので装甲車が追いかけていって機銃をうちまくる。 なお、装甲車はトルコ製の「コブラ」と呼ばれるもの。側面などにはグルジア語で「ポリツィア(警察)」と書いてある。
グルジア軍の侵攻から一年後のツヒンヴァリ(2009/8/8)
つべより転載。2008年夏のグルジア軍による侵攻から1年目にあたる2009年8月8日、南オセチアの首都ツヒンヴァリで執り行われた慰霊祭の様子。市内の焼け跡には繊細博物館が設けられ、犠牲者の遺品やグルジア軍のロケット弾で破壊された美術館から発見された絵画などが展示されている。
グルジア軍による待ち伏せ攻撃、成功の瞬間
つべより転載。2008年8月の第2次南オセチア紛争において、首都ツヒンヴァリに向けて南下中であったロシア軍第58軍の隊列は、その郊外でグルジア軍の待ち伏せ攻撃に遭遇。司令官が負傷するなどの損害を受けた。その瞬間の映像。おそらくロシア兵が撮影したものだと思われる。この攻撃の成功は、5日間にわたる戦闘でのグルジア陸軍唯一の戦果であり、グルジアのメディアでは派手に報道された。また、作戦を実行した第4旅団は「英雄」として祭り上げられ、それを題材としたTV番組も作られた。ちなみに、この旅団が南オセチアのグルジア人やゴリの防衛を放棄して逃げたことや、現地解散となった予備役兵らの悲惨な運命については報道管制が引かれ、報道されなかった模様。
ツヒンヴァリ市内に突入するグルジア軍(2008/8/8)
つべより転載。右下の隅の方に「ツヒンヴァリ、2008年8月」とあり、元はグルジアのTVのニュースか何かか?兵隊も派手に撃ちまくっていますが、団地などにはまだ住民が大勢隠れていたようです。
トビリシでの戦没者追悼式典の模様(2009/8/7)
つべより転載。グルジア軍のツヒンヴァリ攻撃により勃発した南オセチア紛争の開戦一周年にあたる2009年8月7日に、グルジアの首都トビリシにある戦没者墓地で行われた追悼式典の模様。大統領のサアカシュヴィリも出席している。なお、グルジア政府は未だにロシアが先制攻撃を行ったと主張しており、戦没者たちは“祖国をロシアの侵略から守った英霊”という位置づけになっているらしい。サアカシュヴィリの野心に基づいた杜撰な戦略の下、貧弱な装備で前線に投入され、無意味に死んでいったグルジア兵の冥福を祈りたい。合掌。
ツヒンヴァリ市の境界標識を破壊するグルジア軍
つべより転載。ツヒンヴァリに侵攻中のグルジア軍が、南オセチア政府が建てた「ツヒンヴァル(ツヒンヴァリのオセット名)」市の境界標識を装甲車で倒しています。 sm4641196と同じものらしいのですが、こちらはカラーで鮮明です。戦車じゃなくてBTR-80装甲兵員輸送車でした。サーセン。
ツヒンヴァリ市の境界を示す標識を戦車で破壊するグルジア軍
つべより。暗くて分りにくいですが、ツヒンヴァリへ侵攻途上のグルジア軍がキリル文字で「ツヒンヴァル(ツヒンヴァリのオセット語名)」と書かれた標識を戦車砲で倒します。携帯で撮った映像か?
グルジア軍撤退直後のツヒンヴァリ観光
つべより転載。グルジア軍撤退直後の南オセチアの首都、ツヒンヴァリの街並みです。8月7日の深夜から9日まで続いたグルジア軍の砲爆撃により、主だった建物はほとんど破壊されてますね。西側のメディアでさんざん非難されたロシア軍によるグルジア本土爆撃が、実は軍事拠点やレーダーを標的としながらも精度が悪いため周辺の民間人まで巻き沿いにしてしまう、といった性格のものであったのに対し、こちらは深夜に市外の中心部に無差別攻撃を行なうという、明らかに大量の非戦闘員の犠牲を前提とした軍事行動でした。どちらも無意味な人殺しである点では同じですが、一方が残虐行為として騒がれるのに対し、他方が「死者の数が誇張されてる」くらいにしか話題にされないというのはどうかと思うのです。
ツヒンヴァリ市内で一般住宅を無差別砲撃するグルジア軍戦車
つべより。2008年8月8日、グルジア側が一時ツヒンヴァリを制圧した際に、戦車兵の一人が携帯か何かで撮影したらしい。その携帯を押収したロシア軍がこれを見つけ、一般公開に踏み切ったとのこと。多分本物なのでしょう。ともかくも、当人らは歓声を上げて撃ちまくっており、楽しそうですね。ときどきグルジア語で何か喚いているのは、卑猥な言葉らしい。ちなみに、住民はまだ建物の中に大勢いたようです。日本の一部メディアでも報道→http://jp.youtube.com/watch?v=pXuCpnduqXE。戦車兵がグルジア語で喚いている場面の英語字幕つきver.→http://jp.youtube.com/watch?v=BFRStIyD6hY。被害について検証した番組→http://jp.youtube.com/watch?v=0cN-zjKWPFQ。
アル・ジャジーラ「独立国家・南オセチアの現状 1」
つべより転載。2008/12/17、アル・ジャジーラで放映された南オセチアの現状についてのドキュメンタリーです。現時点でロシアとニカラグアの二国しか承認していない独立国家・南オセチアですが、アル・ジャジーラの取材班はそれがいかに財政と安全保障の面でロシアに依存しているか、また、国際的な支援が専らグルジアにむけられ、この地の一般人がいかに困窮しているかなどを明らかにしていきます。ちなみに、南オセチアのロシアへの依存は1990年代以来のことで、今に始まったことではありません。ただ、政府の閣僚にロシアの役人が入ってくるなど依存がさらに強まったのは、2004年にサアカシュヴィリが軍事紛争を再燃させたからだと言われています。続き:sm5620191
制圧直後のゴリのグルジア陸軍基地
つべより転載。2008年8月、ロシア+南オセチア軍が制圧した直後の在ゴリ・グルジア陸軍基地の映像。ここに駐屯していたグルジア軍部隊は防衛を放棄してトビリシ方面に逃げており、事実上の「無血占領」だったらしい。このゴリの陸軍基地は米国の支援の下、南オセチア攻略の拠点としてつい最近完成したもので、前半部分に出てくる作戦演習用の巨大なジオラマはそれを物語るものである。そこで再現されているのは南オセチアそのものであり、グルジア側の町・村は「青」、オセット人側のものは「赤」と詳細に色分けされている。最も大きい町が南オセチアの首都、ツヒンヴァリ。後半に出てくるのは弾薬箱の山で、説明書は英語で書かれている。
オセット人の愛国歌「ツヒンヴァル」
つべより転載。サビの部分で「ツヒンヴァル(ツヒンヴァリのオセット名)は我らの土地!俺たちはお前を守るぞ、ツヒンヴァル!オセット人の土地は一寸たりともグルジア人にはやらないぞ!」とひたすら連呼する南オセチアの愛国歌です。別にこの間の戦争に合わせて作られたというわけではなく、その前から流行っていたようではありますが...。歌っているのは現地の人気歌手スルタン=ウラガン。歌詞はオセット語ではなくロシア語です。一応英語の字幕付きなんですが、ロシア語を直訳したような箇所が多くてたまによくわからなかったりします。そのあたりは大目に見てあげてください。
ツヒンヴァリを制圧したグルジア軍兵士らの記念撮影
つべより。2008年8月8日、南オセチアの首都ツヒンヴァリを占領したグルジア軍兵士らが記念に撮影した動画。鹵獲したオセチア国旗を見せびらかしたり、捕虜をいびったりしている。その一人は明らかに非戦闘員で老人....。
南オセチア紛争の犠牲者のための追悼コンサート〔2008/8/21) その1
つべより転載。2008年8月21日、南オセチアの首都ツヒンヴァル〔ツヒンヴァリ〕の戦災で焼けた国会議事堂の前で開かれたヴァレリー=ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団の演奏による南オセチア紛争の犠牲者のための追悼コンサートです。ちなみに、ゲルギエフはロシア領北オセチア出身のオセット人で、現在ロンドン・フィルの主席指揮者をつとめる世界的に有名な音楽家です。曲目はチャイコフスキーの交響曲№5の2楽章~ショスタコーヴィチの交響曲№7の1楽章の抜粋~チャイコフスキーの交響曲№6の3,4楽章。演奏前のスピーチはロシア語と英語で行ったのですが、前者は長かったので省きました。その1はチャイコフスキーの交響曲№5の2楽章までです。その2は→sm4801780