キーワード c-pop が含まれる動画 : 8278 件中 129 - 160 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
渡辺はま子『サヨンの鐘』北京語版1…張鴻「月光小夜曲」
オリジナルは台湾を舞台にした1941年の愛国歌謡『サヨンの鐘』。39年に高砂族(先住民)の村に赴任していた日本人の警官兼教師に召集令状が届き、村の少女・サヨンが荷物運びを手伝ったところ増水した川に転落して行方不明になったという実話を、台湾総督府が「銃後の鏡の蕃人少女」と宣伝。サヨンを讃える歌が作られ、43年には李香蘭主演で映画化。戦後、台湾語でサヨンを讃える歌としてカバー(sm25259378)されましたが、北京語カバーにあたってはさすがに「日本軍の出征兵士を手伝って犠牲になった少女を讃える歌」じゃマズイと思ったのか、「月を眺めながらあなたへの愛を想う歌」になりました。
渡辺はま子『サヨンの鐘』台湾語版…張淑美「殉情花!紗容」
オリジナルは台湾を舞台にした1941年の愛国歌謡『サヨンの鐘』。39年に高砂族(先住民)の村に赴任していた日本人の警官兼教師に召集令状が届き、村の少女・サヨンが荷物運びを手伝ったところ増水した川に転落して行方不明になったという実話を、台湾総督府が「銃後の鏡の蕃人少女」と宣伝。サヨンを讃える歌が作られ、43年には李香蘭主演で映画化。そして戦後、台湾語でカバーしたのが「殉情花!紗容」。さすがに日本軍とたたかった国民党政権の下で、日本軍の出征兵士を手伝って殉死した歌ではマズイということか、サヨンは愛に殉じたことになってます。
松田トシ『ブンガワン・ソロ』広東語版1…林鳳「独立橋之恋」
『ブンガワン・ソロ』は戦前の蘭領東インド(後のインドネシア)で作られ、占領した日本軍の間で広まり、戦後1948年に松田トシが日本語でレコードを発売しましたが、長く「作曲者不詳」とされていた曲です。中華圏では56年にマカオ生まれのマレーシアの歌手・潘秀瓊が香港で北京語の「梭羅河之恋(sm25037037)」を歌ったのに続き、各種の中国語版が何種類も出現しましたが、広東語版として登場したのが59年の「獨立橋之戀」。シンガポールを舞台にした同じタイトルの映画の挿入歌で、シンガポールの独立は65年のはずですが、59年にイギリスから自治権を獲得(この時、リー・クワンユーが首相に就任)したので、それを記念した橋なのでしょう。映画の広告にも「シンガポールの自治に貢献」だなんて書かれてます。
松田トシ『ブンガワン・ソロ』台湾語版1…紀露霞「曼卡灣梭羅」
『ブンガワン・ソロ』は戦前の蘭領東インド(後のインドネシア)で作られ、占領した日本軍の間で広まり、戦後1948年に松田トシが日本語でレコードを発売しましたが、長く「作曲者不詳」とされていた曲です。中華圏では56年にマカオ生まれのマレーシアの歌手・潘秀瓊が香港で北京語の「梭羅河之恋(sm25037037)」を歌ったのに続き、北京語版は台湾の「梭羅河畔(sm25037151)」や中国の「美麗的梭羅河(sm25037195)」、台湾語版は「曼卡湾梭羅(sm25259210)」「文夏的曼卡湾蘇羅」「文雅湾梭羅」、広東語版は「独立橋之恋」「梭羅河之恋」などが出現しました。
橋幸夫『恋をするなら』台湾語版1…蔡依林「墓仔埔也敢去」
橋幸夫の『恋をするなら』は1964年のヒット曲。台湾では北京語版の「一吻定情((sm25257125)」や若き日のテレサ・テンが歌った「以吻定情(sm26034943)」が出ましたが、台湾語版の「墓仔埔也敢去」はいろんな歌手が歌い続けて、現在でも台湾人ならだれでも知ってる大ヒット曲に。映像は蔡依林(ジョリン・ツァイ)が2006年に改めてカバーしたもの。タイトルを訳せば「墓場だって行ってやる」。
橋幸夫『恋をするなら』北京語版1…孫一華「一吻定情」
『恋をするなら』は橋幸夫の1964年のヒット曲。台湾や香港、シンガポールなどでいくつもカバーが出現して、台湾語版が現在でもよく歌われる「墓仔埔也敢去(sm25257204)」と「墓仔埔不敢去(sm26209370)」北京語版が「一吻定情(sm25257125)」「一吻訂情(sm26035299)」「以吻定親(sm26034943)」「啊伊噢(sm26209461)」、広東語版が「一吻訂情(sm25257167)」「春心動(sm26209353)」「我為你心痴」「関老三」などなど…。
音丸『博多夜船』台湾語版1…方怡萍「博多夜船」
音丸の『博多夜船』は1936年のヒット曲。戦後、美空ひばりらもカバーしていたようですが、台湾でも台湾語版の「博多夜船」が登場し、いろんな歌手がカバー。1980年にはその名も「博多夜船」で映画化されたとか。
美空ひばり『芸道一代』北京語版1…張露「扇舞」
張露は戦後まもなく、上海で歌手をしていましたが、共産党政権の成立で香港に拠点を移した人。2009年に亡くなりましたが、息子の杜徳偉(アレックス・トー sm22947093)も歌手をしてます。「扇舞」は1968年か70年に歌った模様。
美空ひばり『芸道一代』台湾語版1…張秀卿+李翊君「為銭賭生命」
『芸道一代』は美空ひばりが1967年に歌った曲ですが、台湾では同じ年に台湾語カバーの「歌星涙(sm30820289)」が出た後、71年には「為錢賭生命」がテレビ布袋劇(伝統的な人形劇)のテーマソングとなり、大ヒット。タイトルを訳せば「ゼニのためなら命も賭ける」。
谷村新司『Far Away』広東語版2…黄翊「黄昏恋人」
1989年。黃翊は86年に歌手オーディション番組に出場した後、歌手兼テレビタレントとしてデビュー。一時は「張国栄(レスリー・チェン)の後継者」などとも言われていましたが、たいして売れずに90年代半ばに引退。現在は屋台の食堂をやってるとか。
ペギー葉山『南国土佐を後にして』台湾語版2…方瑞娥「阮的故郷南都」
『南国土佐を後にして』はもともと戦時中に、四国から中国戦線へ派遣された陸軍の部隊で歌われていたようですが、1958年にペギー葉山が歌って大ヒット。台湾語カバーは南国→南都→台南ということで、ふるさと台南の美しさを讃える歌になりました。『再見南国(sm24822880)』というタイトルになる時もありますが、歌詞は同じ。
近藤真彦『heartbeat』広東語版2…梅艶芳(アニタ・ムイ)「妄想」
香港での「マッチの恋人」だった梅艶芳(アニタ・ムイ)が1987年に出したアルバムの曲。このアルバムにはマッチのカバーが4曲、明菜のカバーが2曲入っていて、『heartbeat』は「百変(sm25205352)」と「妄想」の2バージョンでカバーされてます。
近藤真彦『heartbeat』広東語版1…梅艷芳(アニタ・ムイ)「百変」
「香港の山口百恵」としてデビューした梅艷芳(アニタ・ムイ)。1980年代半ばには曲ごとに派手な衣装やフリで、ほとんど「香港の中森明菜」と化していましたが、実際に恋人は近藤真彦で、明菜と三角関係に陥ることに。オールナイトフジに準レギュラー出演して、毎週末には日本へ通うことになります。87年にアニタが出したアルバムは4曲がマッチ、2曲が明菜のカバーで、『タンゴノワール』に対抗した「似火探戈(火のようなタンゴ)」とか、「装飾的眼涙(sm22797604)」とか、もうドロドロw。『heartbeat』はマッチのアルバム曲ですが、アニタによる別バージョンの広東語カバー「妄想(sm25212106)」や、北京語版「独飲夜色(sm25212130)」もあります。
中森明菜『乱火』北京語版…林立洋「謝謝你給我全新的生命」
『乱火』は1989年に中森明菜が自殺未遂をした直後に出たアルバムの曲。香港では元おニャン子クラブ唯一の外国人メンバー・甄楚倩(ヨリンダ・ヤン)が広東語版の「放心遠去吧(sm24845357)」を出しましたが、台湾で北京語カバーの「謝謝你給我全新的生命」が出たのは94年。
徳山璉『赤い灯青い灯』台湾語版1…文夏「紅燈青燈」
『赤い灯青い灯』は1934年の曲、台湾語版の「紅燈青燈」が出たのはたぶん60年代でしょうが、タイトルは原曲そのまんま。彼女とのデートにそわそわしながら、あれこれ妄想を膨らませる男の歌ですが、3番の歌詞に、「阿帕兜」=アパートなる日本語式外来語が出てくるのが、いかにもこの時代の台湾っぽいです。
沢田研二『OH!ギャル』広東語版1…鄭少秋「Oh Gal」
1970年代末から80年代初頭にかけて、西城秀樹とともに香港で絶大な人気だった沢田研二。そのヒット曲は片っ端から広東語カバーされ、『OH!ギャル』は時代劇の2枚目俳優としても人気が高かった鄭少秋(アダム・チェン)がカバーしましたが、かなり声質がジュリーに似てるような気が…。91年には温兆倫(デリック・ワン)が同じ歌詞で再度カバーしています。
山口百恵『曼珠莎華』広東語版1&2…「蔓珠莎華」と「淡淡的小野花」
中華圏で絶大な人気だった山口百恵。香港では82年に「香港の山口百恵」なるフレコミで梅艷芳(アニタ・ムイ)がデビューし、百恵の歌を相次いでカバー。『曼珠莎華』も85年に「蔓珠莎華」として広東語(sm22759498)と北京語(sm22759594)でカバーしましたが、それより先に79年に「淡淡的小野花」のタイトルでカバーしていたのが羅文(ロマン・タム)。そこで2人が2つのカバー曲を同時に歌ったというのがこの映像。ちなみにこれ、「ガールスカウト設立70周年」の記念イベントだそうですけど、ずいぶん艶めかしいステージですねw
鄭進一『襟裳岬』
ものまねの人じゃないです。。。台湾には鄭進一という歌手がいて、台湾語の演歌を歌ってますが、「声が森進一に似てる」というのが芸名の由来とか。で、どのくらい似ているかを台湾のテレビ番組で披露。後半歌ってる歌手は洪栄宏ですが、この人も日本語がうまい!
近藤真彦『ブルージーンズメモリー』広東語版…蔡楓華「生命的動力」
80年代の香港は空前の日本アイドルブームでしたが、なぜか聖子=トシちゃんは人気がなく、明菜=マッチが圧倒していました。香港では「いい子」より「ツッパリ」が好まれた?「聖子ちゃんカット」ならぬ「matchy頭」=マッチカットが流行し、「マッチ物まねコンテスト」が開かれて優勝者が芸能界デビューしたり(明菜のカバーを歌った)、「香港のマッチ」を自称して明菜似の日本娘をナンパする歌(sm22996640)が大ヒットしたり…等々。この曲は、マッチのような「ちょい悪」イメージで売っていた蔡楓華(ケン・チョイ)が81年12月に出したカバーですが、オリジナルよりだいぶ歌がうまいですね。物まねコンテストだったら失格w