キーワード 禁門の変 が含まれる動画 : 48 件中 1 - 32 件目
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谷干城攻防 十三、勤王党壊滅(上)
〈前回のあらすじ〉
幕府は長州に禁門の変の責任を問うため征長軍を組織するが、総督・徳川慶勝(すわこ)、西郷吉之助(ゆかり)等の周旋で長州との講和が成立し、戦争は回避される。
しかしその直後、高杉晋作(まりさ)ら少数の志士が椋梨藤太の俗論党政権を相手に蹶起。
山県狂介(えーりん)率いる奇兵隊他諸隊も呼応しての内戦の結果、改めて正義派が長州の政権を握ったのであった。
・元治元年(1864)から翌慶応元年の「勤王党の獄」編。前回から少し遡ったところから始まります。
・30分に収まらなかったので分けます。地味で長く動きも少ない獄中闘争というお題ですが、武市にはきっちり始末をつけたかったんです。
・実際、党員の手紙での岡田以蔵の扱いは悪いです。
十二話(下・三)→sm42671377
十三話(下)→sm43587946
ぜんざい屋事件で活躍した阿部十郎の話→sm35165807
投稿したもの→mylist/13983663
悪路王様、taki様、コール・ヤンガー様、asalli様、パワハム様、KING様、緋村朱里(ひむらあさと)様、nanbuharumasa様、筋之助様、コモズン様、canxue様、あらやしき様、3WA様、ken7390様、tairon様、サヴォイ様、ゆっふ様、闇鍋様、与太郎様、となりの犬様、bugirero様、まあちゃん様、GUCCI武蔵守様、広告忝く候。
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第178回:大胆なる弾圧「幕末の風雲児争奪戦」】
一度食らいついたら、離れんぞ!
土佐藩士にして土佐藩参政:吉田東洋の義理の甥:後藤象二郎。
後の板垣退助とは幼少の頃からの幼馴染であり
吉田東洋が開いた鶴田塾では、後の三菱財閥創始者となる岩崎弥太郎と共に学問を修めた。
東洋に推挙される形で土佐藩幡多郡奉行に抜擢され、大坂藩邸の普請奉行に昇進するが
東洋が土佐勤皇党に暗殺されると失脚。
政治的不利に陥ったことから一旦勉学の為に江戸に出て航海術を修めた後に
土佐藩指導者である山内容堂に見込まれて藩政に復帰。公武合体を唱えていた象二郎は
禁門の変後、山内容堂が土佐勤皇党弾圧に動いたことに便乗して
(叔父の仇&失脚の恨みもある為)尊皇攘夷派の急先鋒である土佐勤皇党を弾圧。
土佐勤皇党の盟主である武市半平太を断罪した。
その後、坂本龍馬との交流から政治思想を公武合体派から攘夷派へ転換。
坂本龍馬の船中八策を元に、幕府へ大政奉還建白書を提出し
これが受理されたことから幕府は大政奉還に踏み切った。
上記から坂本龍馬への恩返しとして脱藩罪の取り消しを山内容堂に認めさせたという。
明治維新後は政府要職のポストを得るが、政争(征韓論支持)に破れて辞職。
以降は板垣退助と共に自由民権運動に参加して政府批判へと動くが
それと同時に内閣大臣へ就任するなどの行動は党や派閥を越えた政治家と評される反面
前述の幕末時の思想転換と同様に「お前はいったい誰の味方なのか?」と批判を受けた。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
谷干城攻防 十二、奇兵隊蹶起(下・二)
今回は元治元年(1864)、禁門の変後~12月頭までの西郷どんと愉快な仲間たち編。今回も端折ったりしつつ「大体あってる」を目指します。
名古屋弁は分かりますが鹿児島弁は分かりません。ChatGPTで台詞を薩摩弁に訳しようとしたら何故か大阪弁に訳されました。
十二話(下・一)→sm42058725
十二話(下・三)→sm42671377
投稿したもの→mylist/13983663
KING様、あらやしき様、taki様、悪路王様、ゆう様、ゆっふ様、tairon様、甘口小倉納豆スパ様、コール・ヤンガー様、水母海月様、筋之助様、とらひこ様、斉藤道③様、望蜀人様、3WA様、闇鍋様、aslun様、パワハム様、闇鍋様、まあちゃん様、aoki様、GUCCI武蔵守様、広告忝く候。
夷狄接近で不逞浪士が増えるよね.mp1 投稿者:壬生狼拓也
燃えよ剣とるろうに迫真を観なおしたので初ウリセンです。
史実の池田屋に関する資料はガバガバどころかスカスカ。
捏造の恐れはないのかな?
永倉お前の記憶ボロボロじゃねえか
続きは禁門の変以降? 鳥羽伏見以前?
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第116回:鈴鹿山の鬼神「禁門の変 幕府連合軍」】
この地上に、再び地獄を見せてやろう!!
日本三大妖怪の一角:大嶽丸。曰く、日本最強の鬼神。
平安時代中期にエピソードのある他2体の三大妖怪(酒呑童子・玉藻前)と異なり
大嶽丸の伝説はそれよりも時を遡る平安時代初期より始まる。
古くから鬼の住処とされる伊勢と近江の国境にある鈴鹿山。
そこには人知を超えた膂力にあらゆる神通力(暴風雨・雷鳴・火の雨etc)まで操る
鬼神魔王と称される日本最大最強の鬼が存在した。
鈴鹿山周辺の里は度々大嶽丸の襲撃を受け、もはや人が住める地では無くなっていたとされる。
これにはとうとう時の朝廷が討伐隊を派遣。1000名からなる兵が討伐に挑むが大嶽丸一人に壊滅。
朝廷はさらに3万からなる軍勢を派遣するが今度は天変地異を起こされて撤退させられた。
(この伝説から単純な「個」の強さなら三大妖怪の中で明らかに抜きん出ていることが読み取れる)
この途方も無く強すぎる鬼神の討伐を任ぜられたのが
征夷大将軍:坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)だった。
大嶽丸の住処である鈴鹿山には立烏帽子と呼ばれる妖怪も存在しており
田村麻呂はまずこの立烏帽子を討伐することにしたが、なんと戦いの中で恋仲となった。
実はこの立烏帽子の正体は天女。立て烏帽子改め、天女:鈴鹿御前と協力することによって
大嶽丸の持つ三振りの宝剣「三明の剣」のうち二つを奪取した
これによって大きく弱体化した大嶽丸を宝剣:ソハヤノツルギで討ち果たしたという。
(坂上田村麻呂・大嶽丸・鈴鹿御前の伝説は異説が山ほどあるので上記は一つの参考)
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第115回:興隆の承伝「禁門の変 長州軍」】
我が身、天下へ飛翔する!
平氏興隆の祖:平正盛の嫡子、平忠盛。日本史上初の武家政権を確立させた平清盛の父である。
(清盛の実父かどうかは諸説あるが群雄伝では清盛の実父ではないとする説を採用
清盛は、忠盛に下賜された「祇園女御の妹と白河法皇の子[※]」という設定になっている)
※[下賜された時に既に白河法皇の子を妊娠していた]というもの
父:正盛が検非違使・追捕使(当時の警察のようなもの)を担い
盗賊捕縛、海賊退治、朝敵とされた面々を討伐して伊勢平氏の活動基盤を確立。
その任を忠盛が引き継ぎ、朝廷においての伊勢平氏の立ち位置を大きく改善した。
そしてとうとう伊勢平氏において初めて「昇殿(内裏清涼殿:殿上の間に立ち入ること)」を許された。
(貴族以外はまず立ち入れない朝廷政務の領域に、武士である平氏が踏み込んだということである
貴族たちはこの平氏の台頭が面白くなく、忠盛の身体的特徴[※斜視]を馬鹿にしていたと記録が残る)
この昇殿を許された頃、貴族:藤原家の娘である「藤原宗子(後の池禅尼)」を妻とすることで
親族血縁による影響力を展開することにも成功する。
また、商才にも優れていた忠盛は日宋貿易にも力を入れた。
貿易がもたらす富による経済基盤は平氏勃興を成すうえでの最大の要因であったともされる。
その後、順調に出世を重ねていくが、平氏の最盛期は見ぬまま58歳で死去。
死後、伊勢平氏棟梁は清盛が引き継ぎ、保元の乱・平治の乱の勝者となった清盛は天下に飛躍した。
※斜視:両目の焦点が合わず目標物に対する視線が合わない身体的特徴。
(群雄伝においてもこの身体的特徴を嘲笑われるシーンがある)
イラストでは片目を隠しており、暗にこれを表現したものとなっている。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】袁家は犠牲になったのだ #62【戦祭り】
戦祭りスペシャル
「禁門の変」
長州軍→全武将:武力上昇、緋武将:速度上昇、流派ゲージ増加量上昇
幕府連合軍→全武将:復活時間減少、碧武将:最大兵力増加、覇気増加速度上昇
マイリスト:mylist/72858390
Twitter:https://twitter.com/enkeaki
【英傑大戦】鉄砲以外のれんしゅう vol.014~魏延と本庄の反乱コンビ~【戦祭り:禁門の変】
Ver.1.5.0H
vs 緋軍鉄盛り
6枚デッキの練習
※レギュレーション
長州軍
・武力上昇(+1)
・流派ゲージ増加量上昇
・速度上昇(緋の武将)
幕府連合軍
・復活時間減少(-7秒)
・覇気増加速度上昇
・最大兵力増加(碧の武将)
※相手の戦器は見えにくくしています。
見る場合はマウスカーソルでドラッグして下さい。
○自軍
陣営:幕府連合軍
流派:城塞
戦器:平蜘蛛釜 Lv.3
○相手
陣営:長州軍
流派:兵種
戦器:墨縄 Lv.1
【英傑大戦】復活の鉄砲盛り vol.025~緋軍と米五郎左~【戦祭り:禁門の変】
Ver.1.5.0H
vs 忠臣の援射
初めて杉本使ったけど再生力やばい
全盛期はとんでもなかったんですね
※レギュレーション
長州軍
・武力上昇(+1)
・流派ゲージ増加量上昇
・速度上昇(緋の武将)
幕府連合軍
・復活時間減少(-7秒)
・覇気増加速度上昇
・最大兵力増加(碧の武将)
※相手の戦器は見えにくくしています。
見る場合はマウスカーソルでドラッグして下さい。
○自軍
陣営:長州軍
流派:兵種
戦器:鎖子黄金甲 Lv.MAX
○相手
陣営:幕府連合軍
流派:部隊
戦器:曜変天目茶碗 Lv.MAX
【英傑大戦】この素晴らしい斬撃に祝福を!_戦祭り『禁門の変』
・会話付き、音声編集有り
動画内文字
アクア様:水色
近藤勇:赤
【自軍】PL土方歳三/R服部武雄/PL原田左之助/N島田魁/N長井雅楽
【敵軍】SR武田信玄/SR馬場信春/N飯富虎昌/ER望月千代女
【三国志t@isen】mylist/53792374
【ノベマスとか】mylist/63680766
【Twitter】https://twitter.com/holy_avengers
【英傑大戦/戦祭り(禁門の変)】2本立て!!①長州軍: 曹丕5枚 VS 魏延ワラ6枚, ②幕府連合軍: 魏延沖田ワラ6枚 VS 高杉晋作4枚【Ver.1.5.0H】
2023年4月21~23日開催、戦祭り「禁門の変」の対戦動画です。
00:00 長州軍(自軍) 曹丕5枚
08:08 幕府連合軍(自軍) 魏延沖田ワラ6枚
【長州軍】武力上昇(全武将), 流派ゲージ増加量上昇, 速度上昇(緋の武将)
【幕府連合軍】復活時間減少(全武将), 覇気増加速度上昇, 最大兵力増加(碧の武将)
①長州軍
自軍: SR 曹丕, SR 龍宮寺堅, SR 夏侯淵, SR 卞氏, N 入江九一
敵軍: R 魏延, R 原田左之助, SR 花垣武道, N 谷三十郎, N 谷周平, N 篠原泰之進
②幕府連合軍
自軍: SR 沖田総司, R 魏延, SR 夏侯月姫, R ホウ統, SR 藤堂平助, R ビ夫人
敵軍: ER 高杉晋作, ER 桂小五郎, SR 久坂玄瑞, N 周布政之助
Twitter: https://twitter.com/eiketsu_jyohoch
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCnpdc7NDIIc7Vzn7OqTVQWQ
Ver.1.5.0H
©️SEGA
「尊王攘夷運動の激化」第83回黒田裕樹の歴史講座 6/9
この動画は第83回黒田裕樹の歴史講座「江戸時代その5 ~激動の幕末~」のうち「尊王攘夷運動の激化」の講演を、令和4(2022)年8月に新たに収録したものです。
動画のレジュメは「黒田裕樹の百万人の歴史講座」から入手できます。ぜひご加入ください。過去からの全てのレジュメを読むことができます。今なら20,000円で永久会員です!
http://1000000reki.jugem.jp/
ブログ「黒田裕樹の歴史講座」
http://rocky96.blog10.fc2.com/
「黒田裕樹の歴史講座」講演申し込みサイト
https://kokuboukai.com/category/history-study-session/kuroda-hiroki/
黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編
https://www.mag2.com/m/0001672748
#黒田裕樹
#尊王攘夷運動
#生麦事件
#池田屋事件
#禁門の変
#黒田裕樹の歴史講座
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第19回:狂狼の豪剣】
俺様の豪剣、受けてみやがれェェ!!
新選組の前身、浪士組初代筆頭局長:芹沢鴨(せりざわ/かも)。
彼の前半生については出自が定かではないが、尊皇攘夷結社:水戸天狗党に属していたとも言われる。
[鴨]という印象的な名前も、芹(セリ)が来たなら鴨だろう(鍋を表した冗談)ということで
名乗っていただけの可能性が高く、正確な名前なのかどうかも定かではない。
剣術流派は永倉新八や桂小五郎と同流派:神道無念流。
壬生浪士組のリーダー格として近藤勇派閥と派閥闘争を繰り広げた。
酒乱で粗暴な行動が目立っていた為、学が無い乱暴者のような印象を受けるが
浪士組の寝所として世話になっていた八木家の者に対しては礼儀正しく、子供の面倒見もよく、教養も兼ね揃える人物であった。
壬生浪士組の活動資金を(全部がまともな行動ではないとはいえ)賄っていたのも芹沢一派の功績であるのは事実であったが、芹沢のあまりの問題行動に業を煮やした会津藩は近藤派へ芹沢の処分を下命。(諸説あり)
八月十八日の政変/禁門の変に出動し活躍していた壬生浪士組は既に一定の評価をもらっており、既に芹沢の集金力が無くとも隊士を養えつつあった近藤派は派閥統一を狙って芹沢鴨の暗殺を決行。
芹沢の剣豪としての腕前を警戒した土方は、芹沢を酒宴の席にてもてなした後
寝室に移り泥酔した彼を四人がかり(土方・原田・山南・沖田)で討ち取り、長州藩士により暗殺されたと世間的に公表。
この暗殺事件により芹沢一派を排除したことで近藤派主導の新選組が誕生した。
ちなみにるろうに剣心の「志々雄真実」のモデルは芹沢鴨である。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第15回:維新の礎/御楯の烈士】
狂わねばこの国は救えない・・進めッ!
最後の瞬間まで!この命を燃やし尽くすッッ!!
長州藩士:吉田矩方(よしだ/のりかた)。通称:吉田松陰。
長州藩の兵学を担う立場にあったが黒船来航後に思想家としての面が非常に強く出るようになる。
叔父が開いた私塾「松下村塾」を継ぎ、勉学・思想の教授を担った。
この松陰による松下村塾での講義は二年程度の活動に過ぎなかったが、ある塾生は維新の先鋒となり、ある塾生は後の日本新政府の総理大臣となるなど、後世名を残す門下を多数排出。
後に井伊直弼主導で対外不平等条約の締結が行われると、これを批判したとして処断された(安政の大獄)。
享年30歳。
同じく長州藩士:久坂通武(くさか/みちたけ)。通称:久坂玄瑞(くさが/げんずい)。
松下村塾の塾生の中でも吉田松陰から特に優秀であると評価された(晋作は勉学に於いて久坂に劣ると評価)
安政の大獄が起きると幕府を大いに敵視。尊皇攘夷過激派の若手衆先鋒となり御楯組を結成。
そのリーダー格であった高杉晋作と久坂玄瑞は英国公使館焼き討ちを実行に移した。
後の下関戦争を通して長州藩のあまりのエキサイティングぶりに会津藩と薩摩藩は朝廷からの長州藩排除を決行(八月十八日の政変)。
八月十八日の政変と池田屋事件に大きく憤った久坂は武力クーデター(禁門の変)を起こすが
この禁門の変に敗れた久坂は自刃することなった。
享年25歳。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第9回:長州大割拠】
長州男児の肝っ玉!これよりお見せしよう!!
おもしろき こともなき世を おもしろく
長州藩士:高杉春風。通称:高杉晋作。
高杉氏は毛利家の名門であり、高杉晋作は名門出かつ嫡男の身分である。
武士の中でもエリートと言える身分であるため幼い頃から英才教育を受け、剣術は柳生新陰流を学び免許皆伝に至った腕前を持つ。
松下村塾では吉田松陰に師事して、尊皇攘夷に傾倒。米仏との間で下関戦争が起こると志願兵を募り奇兵隊を組織した。
八月十八日の政変、禁門の変、第一次長州征討を経て苦しい立場となった長州藩では保守派(幕府に従おう派)が台頭したが
自らの尊皇攘夷派を「正義派」と自称して、保守派の面々を排除。長州藩の実権を得るに至った。
第二次長州征討では幕府軍兵力10万超に対して長州藩は兵力5000前後の圧倒的兵力差でありながら幕府軍を撃退。
この戦にて決定的な権威失墜を巻き起こした幕府は大政奉還の実行を已む無しとされる。
晋作はこの大政奉還を悲願の一つとしていたが、大政奉還を見る前に肺結核の悪化により27歳の若さで病死。
驚くべきことに、長州藩を引っ張った風雲児のこれらの逸話は、20前半~半ばの若者の話なのである。
ちなみに、CVもあいまって開戦台詞での一人称「僕」はかなりの違和感があるが
これは師の吉田松陰が一人称を「僕」、二人称を「君」と言い始めた最初の人物であるという説があり、師の特徴的な言葉使いについて松下村塾生が強い憧れを抱いていたことを反映したものである。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第7回:神道無念流】
死ぬためではなく、生きるために戦おう!!
長州藩士、後に維新三傑の一人に名を連ねた男:木戸孝允(きど/たかよし)。またの名を桂小五郎。
松下村塾を継ぐ前の吉田松陰に師事して兵学を学び、さらに後に神道無念流「練兵館」に入門。僅かな期間で免許皆伝を取得した天才剣豪としての面を持つ。
長州藩の若き俊英として頭角を現し、生涯の伴侶となる芸妓"幾松"(後の木戸松子)とも出会った小五郎であったが、八月十八日の政変、禁門の変を経て、長州藩は朝敵の烙印を押され、追われる立場となった小五郎は、時に乞食に化け、女性に化け、幕府勢や佐幕派の追っ手から隠れ逃げ延びたことから「逃げの小五郎」の異名を持つようになった。
それから後、小五郎は長州藩の代表として倒幕維新を積極的に進めて薩長同盟を締結させた。
大政奉還後は新政府幹部となり「五箇条の御誓文」「廃藩置県」の推進に尽力したが、西南戦争が勃発した1877年、癌により45歳で病没。
その最期の言葉は、残る維新三傑(西郷隆盛、大久保利通)に生じた亀裂を憂いたものであったという。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第4回:壬生狼の号令】
誠の旗の下!真の武士共よ集えッ!!
時は幕末。京都周辺の警備に当たった新選組。その局長:近藤昌宜。通称:近藤勇(こんどう/いさみ)。
元服前の14歳の時に天然理心流「試衛館」に入門。12年後、26歳の若さで天然理心流宗家を継ぐ。
それから数年後、徳川家茂(第14代将軍)の警護を目的とした浪士組に入隊するが
この浪士組の真の姿が親幕府組織ではなく朝廷側に付くことを重視した「尊皇攘夷」組織であったことが
判明したために、大多数の隊員とは袂を分かつこととなった。
江戸に駐屯することとなった浪士組からは離れ、「壬生浪士組[※みぶ:京都の地名]」を結成。
副長:土方歳三と共に厳しい隊の規律を完成させ、新選組(新撰組)の名を賜った後に、隊の中での別派閥であり大きな影響力を持った筆頭局長:芹沢鴨を暗殺した。
その後、池田屋事件/禁門の変への出動と活躍するが、補充隊員であった伊東甲子太郎を思想上の違いから危険分子として暗殺。
後に幕府が崩れると、伊東甲子太郎の弟:鈴木三樹三郎(元:新選組9番隊組長)の襲撃を受けて肩を負傷してしまう。(この負傷で"剣豪"では無くなった)
旧幕府軍と新政府軍の戦いが始まると、旧幕府軍に所属するが劣勢はどうしようもなく敗走し捕縛。斬首となった。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第3回:風雲之志】
俺のやり方で、この世界を切り拓いていくぜよッ!
日本を今一度洗濯いたし申し候。
土佐藩、明治維新志士の一人:坂本直陰。通称:坂本竜馬(龍馬)。
武市半平太を筆頭とする尊皇攘夷結社「土佐勤王党」に加盟するが、後に脱藩。
かねてより西洋の技術、そしてその脅威に目をつけていた龍馬は海軍の祖:勝海舟に師事して海軍操練所の設立に尽力した。
池田屋事件後はその操練所も閉鎖となってしまうが、薩摩藩の助力を受けて長崎に日本最初の商社と呼ばれる亀山社中(後の海援隊)を設立。
その後、禁門の変にて武力衝突を起こして非常に険悪な状態となっていた(というよりも孤立した長州藩)と薩摩藩の仲を取り持ち、海援隊による海運能力を活用して「薩長同盟」へと導いた。
・・が、大政奉還が成ったことを見届けた翌月、京都近江屋にて龍馬は刺客の手によって暗殺されてしまう。(指示組織/実行犯ともに不明)
風雲之志を遂げ、次なる大志に向けて奔走しようとしていた矢先の出来事であった。
今回が初のERカード(※)となります。
(ER→英傑レアの略。英傑大戦でのカードレアリティはER>SR>R>Nの4種類)
英傑大戦ではSR以下のグラフィックが無い代わりに、ERに関してはカードイラストを忠実に再現したグラフィックで作られています。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
谷干城攻防 十一、禁門ノ変(下・二)
長くなったので分割します。今回はほぼ戦争。
十一話下・一→sm40418176
十二話上・一→sm41398592
久坂の著作→sm40101553
投稿したもの→mylist/13983663
aslun様、canxue様、taki様、tosataku様、甘口小倉納豆スパ様、筋之助様、コモズン様、錦草様、ばろん様、微糖様、3WA様、望蜀人様、tairon様、ゆっふ様、×にひろ様、snowdrop様、leruya/レルヤ様、くろすけ様、まあちゃん様、となりの犬様、Kuusui様、aoki様、コール・ヤンガー様、feifei様、緋村朱里(ひむらあさと)様、広告忝く候。
谷干城攻防 十一、禁門ノ変(下・一)
〈前回のあらすじ〉
元治元年(1864)七月、長州の激派が復権をかけて卒兵上京。久坂義助(うどんげ)や来島又兵衛、朝廷、一会桑、薩摩、鳥取の思惑が錯綜する。
一方、土佐には勤王党追及の道具・岡田以蔵が送還されて来たのであった。
・なんと今回、主人公に長台詞が!
・当事者の証言からして食い違ってたりで混乱しますが、なんとか「だいたいあってる」を目指します。
・考証や整合性で頭がフリーズしたら、「不備があっても、こういうの見たいと自分が思ってる物を作ろう」と色々諦めて押し切ります。御容赦。
十一話(上)→sm39965583
十一話(下・二)→sm40418324
久坂の著作→sm40101553
投稿したもの→mylist/13983663
tairon様、aslun様、taki様、tosataku様、サヴォイ様、甘口小倉納豆スパ様、筋之助様、コモズン様、悪路王様、錦草様、フリー素材あそび様、かげぼし様、微糖様、ばろん様。3WA様、canxue様、×にひろ様、feifei様、廊下様、くろすけ様、まあちゃん様、よかいちこ様、Kuusui様、パワハム様、檜扇様、となりのの犬様、広告忝く候。
谷干城攻防 十一、禁門ノ変(上)
〈前回のあらすじ〉
元治元年(1864)六月、新選組の過激派捕縛計画が池田屋での斬り合いに発展。
長州屋敷から加勢に赴かんとする浪士を留守居役・乃美織江(こまくさ)が制止したために戦争には至らなかったが、長州は会津への憎悪を募らせる。
一方、土佐には勤王党処断のための「道具」が届こうとしていた。
・「大体あってる」を目指します。色々ざっくりにしないと無理です。現実は複雑怪奇。
・主役の谷は「下」に少し出ます。
・以蔵は…ちゃんと出すと道草度が更に上がっちゃいますから…
十話→sm39353587
投稿したもの→mylist/13983663
canxue様、taki様、たぬき様、甘口小倉納豆スパ(肘に水) 様、錦草様、3WA様、微糖様、あらやしき様、tosataku様、悪路王様、tairon様、筋之助様、よかいちこ@酒飲みVtuber様、かげぼし様、くろすけ様、aoki様、ゆっふ様、aslun様、feifei様、Kuusui様、まあちゃん様、パワハム様、どっかの忍者隊員様、となりの犬様、だらー様、nanbuharumasa様、GUCCI武蔵守様、広告忝く候。
【禁門の変】実は薩長同盟の遠因だった!?この変の影響に迫ってみる!!
こんにちは、こづちと申します。YouTubeで、古銭などの動画をあげているものです。
禁門の変を蛤御門の変と呼ぶのをご存知でしょうか?今回はその話と、かなり追い詰められた長州が滅亡しなかった原因に迫ります。なんと、薩長同盟の原因になっていたというのですか!?
こづち古銭歴史解説チャンネル
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【神道シリーズ・シーズン2】第33回・天狗党の乱と水戸学の崩壊
義公斉昭や藤田東湖亡き後の水戸藩では、彼らの思想を受け継いだ急進派を抑える者がいなくなり、天狗党と言われた彼らは、万延元年1860年の桜田門外の変における大老井伊直弼暗殺や、文久2年1862年の坂下門外の変による老中安藤政信襲撃など、過激な尊王攘夷派として暴走する者が増えて行った。
一方、尊皇攘夷急進派に藩の主導権を取られた長州藩や土佐藩では、天皇のいる京へ進出し、頻繁なテロ行為などにより攘夷派の勢いを増し、三条実朝や姉小路公知などを尊王攘夷派に傾かせ、公武合体派の幕府や薩摩・会津らと激しく対立を続けていた。
しかし、文久3年1863年の8月18日の政変という孝明天皇によるクーデターにより、攘夷派の公家たちや長州勢力は追い出され、一旦勢いを増していた尊王攘夷派は公武合体派に押し返されることとなった。
その間、水戸藩における急進派天狗党は、横浜港の鎖港問題において強力に鎖港の実行を幕府や朝廷に求めるため翌年の元治元年1864年の3月に藤田東湖の四男の小四郎が筑波山で挙兵し、日光東照宮を目指していた。
同年6月に京の池田屋で宮部鼎蔵や吉田 稔麿ら多くの長州藩士たちが会津藩管轄下の新選組によって殺害されると、長州藩では攘夷急進派の来島又兵衛や久坂玄瑞らは長州藩兵2千人を連れて報復の為に上京し、武力で京都御所の奪還を試み、結果、壊滅的な打撃を受けて敗退するという、所謂禁門の変が勃発する。
その頃、関東では、筑波で挙兵した藤田小四郎や武田耕雲斎らの天狗党は、水戸藩を中心とした尊皇攘夷政治を目指し、そのトップに徳川慶喜を添えるという計画で、幕府率いる大発勢と激戦を続けた上敗退したが、その間、軍資金が底を突くたびに各地で略奪や放火・殺人を繰り返し、関東での敗北が決定的となると、同年の11月からは慶喜のいる京を目指し、幕府軍の追討を避けながらの迂回コースで中部日本の山岳地帯を駆け抜け、12月には加賀まで到達するが、皮肉な事にじぶんたちが持ち上げた徳川慶喜自身の率いる幕府追討軍により追い詰められ、とうとう加賀の地で降伏することとなった。
降伏し捕らえられた天狗党員828名のうち、352名が斬首となり、これでこの年1864年には水戸の天狗党も長州の尊皇攘夷急進派も壊滅的な打撃をうけることとなった。
しかし、この後の3年間のうちに事態は急変を続け、わずか3年間のうちに尊王攘夷派は奇跡の大逆転を続け、慶応三年(1867年)10月24日には将軍徳川慶喜による大政奉還が行われ、さらに同年の12月9日には新政府による王政復古の大号令が出され、新政府構想の中から慶喜が外され、さらに徳川からの領地没収の令も出されたため、新政府に不満をもつ旧幕臣たちはその後1年半に渡る戊辰戦争を起こすことなったのである。
【神道シリーズ・シーズン2】第32回・吉田松陰の思想遍歴
吉田松陰は、文政13年(1830年)8月4日、長州萩城下松本村(現・山口県萩市)で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれたが、杉家の貧困さのため、叔父で山鹿流兵学師範である吉田家の養子となり、叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けた。
叔父のモラハラ、パワハラのスパルタ教育にもめげず、頭脳明晰な松陰は、9歳で明倫館の兵学師範を務め、11歳のとき、藩主・毛利慶親への御前講義でその才が認められ、15歳で山田亦介より長沼流兵学の講義を受け、山鹿流、長沼流の江戸時代の兵学の双璧を収めることとなった。
嘉永3年(1850年)20歳の時に藩からの調査を目的として長崎遊学をした松陰は、停泊してるオランダ戦艦を視察し、さらに翌年、藩主の参勤交代の供をして江戸に出向した時に出会った幕府海防顧問の佐久間象山の教えを受けるうちにこれまで学んできた和風兵学の脆弱さと無力さを知り、山鹿・長沼兵学を捨て西洋兵学を学ぶ意思を固めた。
その直後の寛永4年(1851年)12月には脱藩した上で翌年4月に至るまでの約5か月間の東北遊学を行い、日本の海岸線が海外勢力からの侵略に対してまったく無防備であること知り、さらに危機意識を高め、
江戸に戻ると脱藩の罪で地位と家禄を剥奪され、長州に戻され、実家の杉家預かりとなるが、翌年、罪が許され、藩より諸国遊学の許可が出ると、再び江戸に戻り、佐久間象山から得た長崎にロシア船が停泊するという情報をもとに、ロシア船に乗り込んで海外渡航し、西欧列強の実情を把握しようと企てた。
しかし、長崎に着いた時にはロシア船はすでに出航しており、乗り込みは失敗したため、今度は静岡の下田に停泊中のペリーの米艦隊に乗り込みを試みたが、断られ失敗し、その行為を自首した松陰は長州の野山獄へ送られ、その後3年以上の獄中生活を過ごすこととなった。
西洋兵学を知り、水戸で会った会澤正志斎らから国体思想を学び、幕府に尊王攘夷政策を採ることを要求してきた松陰だったが、獄中生活のさなか、浄土真宗の僧侶で国学者だった黙霖との文通論争の中、佐幕思想を捨て、討幕思想に傾斜した松陰は、出所後に日米修好通商条約を結んだ幕府を打倒するための老中暗殺計画を立案し、それが漏れて江戸の石川藩の牢獄に入れらた上、安政6年(1859年)斬首刑となり29歳の短い命を閉じた。
しかし、松陰の刑死の反響はあまりにも大きく、それが5年後の禁門の変から大政奉還に至る激動の4年間の火付け役になったのである。
史跡「遊撃隊陣営」跡 大梅山通化寺(黄檗宗) 岩国市周東町上久原西午王ノ内
大梅山通化寺(つうけいじ)は寺伝によれば 大同二年(807年)弘法大師創建とされる真言宗寺院でしたが、後年 曹洞宗に変わるが衰退した。
境内に阿川毛利氏の祖である吉川元春次男の繁沢元氏(玖珂郡午王ノ内他に領す)の墓所があり
二代元景のとき毛利輝元は毛利姓に復させ長門の国豊浦郡の阿川、滝部などへ領地替えとなるが午王ノ内など一部所領は残る。
阿川毛利三代の毛利宮内少輔就方(くないしょうゆなりかた)は 京都萬福寺より高僧を招き黄檗宗に 改め寺院を再興す。この辺の事情は古道ひとり旅さんのHPを参照させてにさせていただきました。
幕末 高杉晋作の奇兵隊に触発され、来島又兵衛が創設した諸隊「遊撃隊(軍)」がここ通化寺に駐屯し陣営になっていました。資料館に遺品や高杉晋作の詩草稿などあるそうです(未見)
また庫裡の横に伝雪舟築庭の石庭が残る。
岸信介決起顕彰碑と云うのもありました(公職追放の岸さんが巣鴨のムショから出所しこの地で再決起の声を上げた記念碑)漢詩の石碑です。揮毫された石碑がありますけど、安倍総理も岸さんの決起や維新の志士を見習って国益になるよう働いて欲しかったですが残念。結局デフレは抜け出せず国益も守れず地方も国も衰退するのだろう。高杉晋作に喝されちゃいますよね。
寺は一時は無住職の状態が続いたそうですが現在は本山からご住職が赴任されている模様。本堂もかなり痛み、名勝の庭もそうとう荒れている。建物自体は木造ではありませんね。
禁門の変で先鋒突撃したのが遊撃軍だそうですな その後再編され遊撃隊となり長州征伐(四境の役)での戦闘〜元治の乱(功山寺挙兵以後の内乱)〜戊辰戦役と転戦活躍したが維新後に体制が変わり冷遇を嘆き諸隊の反乱に200名以上が参加して崩壊していく反乱もなんとか鎮圧されて終わる。
境内を見ても遊撃隊顕彰はさすが山口という感じです。郷土の英雄なんだろうね。
四境の役ではまあ筆者の故郷 藝州藩は国境近くの玖波宿や廿日市宿などが長州藩に焼き討ちされた方で革命戦争とはいえやや複雑な気持ちですな。
八十八箇所めぐりも弘法大師開基だからでしょうか。金毘羅さんや双鶴岩なんてのもあるらしいので行ってみたい気はしますが道はどうなんでしょうか不安。
秋に紅葉したらまたのぞいてみたいですが・・いまだ再訪できず。
幕末関連〜 長州藩 勤皇僧 月性和尚の寺 sm38735846
【朗読】「最後の将軍-徳川慶喜-」 第3回<全4回>【司馬遼太郎】
▽慶喜、禁門の変を鎮圧、続いて長州追討へ ▽巧妙な薩摩の暗躍 ▽14代家茂の最期、隠された死 ▽将軍宣下、徳川宗家15代将軍徳川慶喜誕生
ラジオ 朗読 歴史 徳川慶喜 司馬遼太郎
新撰組でだらだら生きたい風雲幕末伝実況プレイ五日目
とりあえず死んで死んで死にまくる禁門の変
このままぐだぐだやりたいプレイヤーと、そうはさせないキャラクター
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Part.1→mylist/57782264
風雲新撰組【字幕プレイ動画】 PART16
オススメの攻撃型は
天然理心流 八相「雲竜」
示現流 上段「滝割連牙」
神道無念流 正眼「砂塵すくい」
天然理心流 下段「塵土落雷」
これらはどれも攻撃が素早く、ダメージも多く与えられます
長州が挙兵したとの一報を受け、新撰組も戦闘参加を決意
長州藩は御所に発砲するなど、何としても帝を奪おうとし
新撰組はそれをいかんとしても防がんと、激しい市街戦が展開した
後の「禁門の変」である
PART15→sm22254340
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