キーワード 姚蘇蓉 が含まれる動画 : 80 件中 65 - 80 件目
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城卓矢『骨まで愛して』北京語版03…方逸華「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、香港の歌手・方逸華(モナ・フォン)が歌ったのは「愛你入骨=骨まで愛します」。「恨你入骨」があなたの為に犠牲にされた~という恨み節なら、「愛你入骨」はあなたの為なら犠牲になるわ~という求愛ソング。方逸華は香港最大の映画会社ショー・ブラザーズ社長の愛人で、69年に引退し映画会社の幹部に。反発した他の幹部らが辞職して作った映画会社がゴールデン・ハーベスト。ショー・ブラザーズに相手にされなかったブルース・リーを主役にして映画を撮ったら世界的に大ヒット。つまり方逸華が歌手を引退しなかったら、ブルース・リーはスターにならなかった?
城卓矢『骨まで愛して』北京語版02…黃清元「恨你入骨」
約30種類もの中国語カバーソングが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、黒縁メガネがトレードマークのシンガポールの人気歌手・黃清元(ウォン・チンユェン)も同じタイトルのカバーを歌ってました。しかし、歌詞はまったく別のもの。愛とは貢献、愛とは犠牲で、♪人生は蝋燭のように、いつも燃えて、他人を照らし続ける♪ものなのに、あなたはいなくなってしまった…そうですが、骨まで恨んでいるような迫力はありません。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版01… 姚蘇蓉「恨你入骨」
『骨まで愛して』は中華圏でカバーソングが数多く出現。北京語版が3つの「恨你入骨」、5つの「愛你入骨」「找尋心上人」「落花流水」「生死恋」「何必當初遇見你」「刻骨相思」「深深的愛」、台湾語版が4つの「愛你入骨」と「恨你入骨」「唯一的愛」「新愛你入骨」「愛甲入髄」「愛妳甲入骨」「無情的夢癡情的人」、広東語版も「但願君休去」など数種類あって、なんと約30種類!代表的なのは姚蘇蓉が69年に香港で出した「恨你入骨=骨まで恨みます」。姚蘇蓉は泣くような歌声で評判の台湾の歌手ですが、『女のためいき』北京語版(sm24185307)の歌い方が退廃的だと台湾政府に芸能活動を禁止され、香港に拠点を移した人。
森進一『女のためいき』英語版…潘迪華 「The More I love」
1966年にヒットした森進一のデビュー曲『女のためいき』は、台湾で北京語カバーの「負心的人」が大ヒットし、身をよじりながら涙を流して熱唱した姚蘇蓉(sm24185307)は、「退廃的だ」と台湾政府に芸能活動を禁止され、香港へ活動拠点を移して熱唱し続けていたところ、香港や東南アジアでも大ヒット。そこで香港では潘迪華(レベッカ・パン)が英語カバーも出したようですが…。日本の演歌の英語カバーは、香港やシンガポールで60年代から70年代にかけて、他にもいろいろ出てたんじゃないかと思われます。
森進一『女のためいき』北京語版3…湯蘭花「負心的人」
森進一のデビュー曲『女のためいき』の北京語カバー「負心的人」は、1967年に台湾の姚蘇蓉が涙を流して身をよじる熱唱で(sm24185307)、台湾政府から「退廃的だ」と禁止されるほどに大ヒット。69年には『負心的人』のタイトルで映画化もされました。で、その映画に主演し、主題歌「負心的心」も歌って一躍人気スターになったのが、台湾の先住民(ツォウ族)出身の歌手・湯蘭花(ユルナナ・ダニブ)ですが、姚蘇蓉が歌った「負心的心」とは、タイトルは同じでも歌詞は全く違うというもの。まぁ、姚蘇蓉の「負心的心」は政府から禁止歌曲に指定されちゃったので、別の曲ということにしたんでしょう…。映像は90年に湯蘭花が香港のテレビに出演した時のものですが、続いて流れる曲は…。
森進一『女のためいき』北京語版2…桜花(サクラ・テン)「負心的人」
桜花(サクラ・テン)は1950年代から歌い続けているマレーシア出身のシンガポールの歌手。なぜ「テン」なのかというと、本名が鄧彩英だから。つまり鄧麗君(テレサ・テン)のテンと同じということ。中国語(北京語、広東語)のみならず、英語、マレー語(=インドネシア語)や日本語でも歌うという、テレサ・テン同様に多芸な人ですが、桜花がシンガポールで出した「負心的人」は、姚蘇蓉のバージョン(sm24185307)とは出だしの歌詞が異なり、さらに日本語でも熱唱するというもの。映像は95年のテレビ番組ですが、別に森進一の物真似をしてるわけじゃありません。。。
森進一『女のためいき』北京語版1…姚蘇蓉「負心的人」
『女のためいき』は1966年の森進一のデビュー曲。台湾では3種類の『負心的人』や『春夢無蹤』『可恨的人』『僥心的人』『失意的男性』『失落的夢』『尚愛的人』『女人吐大気』、香港では『痴心女子』、シンガポールでは『負心的人』など12種類のカバーが出ましたが、最も代表的なのが姚蘇蓉が67年に歌った「負心的人」。姚蘇蓉は60年代後半に涙を流して歌うステージが評判となって一世を風靡した女性ですが、あまりの熱唱ぶりが「退廃的」だと台湾政府は「負心的人」を禁止。それでも姚蘇蓉はステージで客のリクエストに応じて「負心的人」を歌ったため、69年に台湾政府から芸能活動を禁止され、香港に拠点を移す羽目に。映像は80年代の香港のテレビ番組ですが、姚蘇蓉のトークは北京語と広東語がチャンポンw
加山雄三『君といつまでも』北京語版2…費玉清「夕陽西沉」
加山雄三の『君といつまでも』は1965年の曲ですが、台湾では北京語版がいくつか出ていて、「夕陽西沉」はいろんな歌手が歌っていますが、おそらく最初に歌ったのは60年代末から70年代初めにかけて人気だった女性歌手の姚蘇蓉。しかし「夕陽西沉」はタイトルは同じでも、歌う歌手によって歌詞が異なっていて、これは姚蘇蓉が歌ったバージョンの歌詞。他に白冰冰(バイ・ピンピン)が歌ったバージョンの歌詞のもの(sm23910756)もあります。
加山雄三『君といつまでも』北京語版1…余天「夕陽西沉」
加山雄三の『君といつまでも』は1965年の曲ですが、台湾では北京語版がいくつか出ていて、「夕陽西沉」はいろんな歌手が歌っていますが、おそらく最初に歌ったのは60年代末から70年代初めにかけて人気だった女性歌手の姚蘇蓉。しかし「夕陽西沉」はタイトルは同じでも、歌う歌手によって歌詞が異なっていて、これは白冰冰(バイ・ピンピン)が歌ったバージョンの歌詞。余天は70年代から歌っている息の長い歌手ですが、今では国会議員もしてます。
森進一『港町ブルース』北京語版3…徐小鳳「風花雪月不了情」
森進一の『港町ブルース』は1969年の大ヒット曲ですが、鄧麗君(テレサ・テン)が台湾で北京語のカバーソング「誰来愛我(sm23270790)」を歌ったのは71年。でもその前からこの曲の北京語カバーは存在していて、69年に美黛が「愛的四季」、70年に姚蘇蓉が「失去的夢(sm23271558)」、陳芬蘭が「風花雪月不了情」など、当時の人気歌手(いずれも女性)がカバーを競っていました。香港でも72年に徐小鳳(ポーラ・チョイ)が「風花雪月不了情」を歌っていました。結局、現在でもテレビで歌われたりするのは、テレサの「誰来愛我」(もちろん本人は亡くなっているので他の歌手が歌う)だけです。最近になって台湾で北京語の新しいカバー「多情追夢女(sm23602859)」も出ています。
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版2…芳方「愛你三百六十年」
弘田三枝子の『あなたがいなくても』と言っても、知ってる人はほとんどいないでしょうが、1969年のヒット曲『人形の家』のB面曲です。日本ではほとんど無名の曲ですが、その北京語カバー「愛你三百六十年」は台湾や香港、東南アジアの中華圏では往年の大ヒット曲として、現在でも現役の歌謡曲。もともと台湾の人気歌手・姚蘇蓉が71年に香港でレコーディングしたのが最初で、いろんな歌手が歌い続けてますが、マレーシアで出た男女掛け合いバージョンと、許冠傑(サミュエル・ホイ)が74年に出したバージョン(sm22941303)は歌詞が異なっています。この映像は2009年にシンガポールのお盆恒例の歌謡ショー(歌台)で、芳方が歌ったもの。芳方はおそらくシンガポールやマレーシアのドサまわりの歌手でしょう。
内山田洋とクールファイブ『長崎は今日も雨だった』北京語版02…姚蘇蓉「今夜又是雨」
『長崎は今日も雨だった』の中国語(北京語)カバーソングというと、1970年に台湾の青山が歌い、その後台湾や香港の多くの歌手が現在まで歌い続けている「涙的小雨(sm31237432)」が定着していますが、他にも「今夜又是雨」「台北今日又是雨」「台北今夜還是下著雨」「我失去了你」「我們見面又分手」などのバージョンもありました。「今夜又是雨」は70年に台湾で大人気だった姚蘇蓉が歌い、こちらもいろんな香港やシンガポールの歌手が歌っていましたが、「涙的小雨」に押されていつしか歌う歌手がいなくなってしまったようです。
森進一『港町ブルース』北京語版2…姚蘇蓉「失去的夢」
台湾で北京語版が5つに台湾語版が1つと、計6種類にもカバーされた『港町ブルース』。70年に「失去的夢」を歌った姚蘇蓉は、1960年代から70年代にかけて大人気の歌手ですが、69年に「放送禁止の歌を歌った」という理由で台湾政府から歌唱を禁止され、やむなく香港に拠点を移したら東南アジアでも人気になった人。放送禁止と言ってもワイセツというわけではなく、当時の台湾では「退廃的」「不道徳」「共産主義的」「日本語が入っている」…等々の理由で、禁止された歌が大量にあったのです…。『港町ブルース』のカバーは翌71年にテレサ・テンが「誰来愛我(sm23270790)」を歌い、今ではこちらが北京語カバーの代表として定着しています。
森進一『港町ブルース』北京語版1…鄧麗君「誰来愛我」
森進一の『港町ブルース』は1969年の大ヒット曲ですが、鄧麗君(テレサ・テン)が台湾で北京語のカバーソング「誰来愛我」を歌ったのは71年。でもその前からこの曲の北京語カバーは存在していて、69年に美黛が「愛的四季」、70年に姚蘇蓉が「失去的夢(sm23271558)」、陳芬蘭が「風花雪月不了情(sm23602818)」など、当時の人気歌手(いずれも女性)がカバーを競っていました。結局、現在でもテレビで歌われたりするのはテレサの「誰来愛我」(もちろん本人は亡くなっているので他の歌手が歌う)。また『港町ブルース』のカバーには、北京語の新しい「多情追夢女(sm23602859)」や最高視聴率97%というテレビ人形劇のテーマソングになった台湾語の「苦海女神龍(sm23275611)」、マレーシアで出た潮州語の「媽媽你在那里(sm23602640)」もあります。
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版1…許冠傑「愛你三百六十年」
1970年代香港の「歌神」許冠傑(サミュエル・ホイ)といえば、「北京語では歌わない」「日本のカバーは歌わない」で有名でしたが、唯一の北京語かつ日本のカバーソングが74年の「愛你三百六十年」。内容は冒頭で♪キミを365日愛するのはイヤだし、365年愛するのもイヤだ♪とタイトルを否定。その訳は♪365日=1年じゃ物足りないし、365年も生きられるわけがないから、キミを60年愛するのが丁度いい♪というオチで、コミカルっぽい表情で歌ってます。「愛你三百六十年」はもともと71年に台湾の姚蘇蓉が少し違う歌詞で歌い(sm23406221)、マレーシアでも夏心&張明麗が夫婦漫才のようなセリフ入りで歌ったりと、中華圏では有名な曲でしたが、原曲は弘田三枝子の69年の代表作『人形の家』のB面。
何日君再來vol.1【作業用BGM】
いろいろな人の「何日君再來」その1……①Richard Clayderman(鋼琴演奏)②周璇(國)③松平晃(日)④渡辺はま子(日)⑤李香蘭(國)⑥夏目芙美子(日)⑦山口淑子(國、日)⑦胡美芳(國、日)⑧姚蘇蓉(國)