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【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第63回・儒教招魂社・靖国神社その③(富田メモ)
日本の神社で明治以前に実在の人物が合祀されたのは、古代から中世にかけては恨みを以って亡くなった豪族や貴族の怨霊を鎮めるための目的で建てられた御霊神社や、近世になると、道教と儒教に基づいた神道理論を立て、時の権力者であった豊臣秀吉や徳川家康に取り立てられた吉田兼倶の創設した吉田神道に基づく、権力者や大名藩主の死後の神格化の為の神社などに限られており、少なくとも、戦没者が神として祀られることは一度もなかった。また、人の死後の埋葬に
関しては、鎌倉時代前頃までは、豪族・貴族は、中国や朝鮮半島と同様に墳丘墓が一般的で、庶民に至ってはそのまま死体が道端に遺棄されるのが普通であった。しかし、仏教伝来以降、豪族貴族皇族および天皇に至るまで仏教式に火葬して墓に納骨する者が増え、鎌倉時代以降は、庶民もそうした仏教的な火葬を行うのが一般的になってきた。幕末頃から造られた神式葬儀とは、中身は儒教の葬儀と同じで、火葬したり四十九日とかいう観念も仏教と同じものである。こうした実在人物の死後の神社合祀として戦没者が祀られるのは靖国神社が日本史上初であり、それまでの日本の伝統的死生観とはまったく異なるものであった。
これはむしろ、中国の儒教や道教で死後軍神として祀られた関帝廟のようなもので、しかも、歴史的に一座に複数の神が祀られた神社はなく、靖国神社のように一座に240万柱もの神が鎮座するというのも靖国神社のみである。よって、これは日本の伝統ではなく、靖国神社という新宗教による合祀方式である。
また、合祀基準も、当初は戊辰戦争や西南戦争で官軍として従軍し、戦死した戦没者だけが対象だったのが、明治16年に国事受難者全体が合祀の対象となると、幕末の勤王の志士で幕府と戦って無くなった長州薩摩土佐などの藩士や暗殺された藩士たちも合祀の対象となった。
しかし、この無原則な合祀対象の拡大は、日清日露戦争以降戦没者の数が跳ね上がると同時に
国威高揚の意味からも従軍者で病死や自殺した者から軍属全体にまで合祀対象が広がり、
さらには、日中戦争や太平洋戦争に突入すると、そうした合祀対象の把握さえ困難になって行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第2回・廃仏毀釈②(佐渡・隠岐・富山)
廃仏毀釈は、慶応4年1868年3月8日の吉田神道配下と日吉社社司ら40名による日吉社の仏壇仏具の破壊焼却に始まり平田国学の影響を強く受けた一部の藩主藩士や庄屋豪農らにより明治元年より明治4年の終わりぐらいまでの間に全国5か所ぐらいの地域で過激な仏教排撃、寺院破壊と僧侶の強制還俗と帰農、そしてぶっそうさい火葬の禁止と神葬祭土葬の強要が実施され、やがて寺院や民衆の方から政府や朝廷に抗議の請願が出され、実地調査をした新政府がその惨状に驚き、事件関係者を処罰し明治4年の後半頃より収束をみることとなった。明治以前より廃仏寺院統合や廃仏毀釈が行われてきた水戸藩、薩摩藩、岡山藩、津和野藩、土佐藩などを除くと明治以降に平田国学の影響を強く受けて過激で破壊的な廃仏毀釈が行われたのは、松本、苗木、佐渡、隠岐、富山の5地域であるが、これらの地域に共通している点は、いずれも浄土真宗の強力な勢力圏であり、真言宗や
天台宗や浄土宗、禅宗の寺院が次々と破壊され、僧侶たちには還俗が強制される中、浄土真宗だけは民衆門徒やtouzai本願寺の政治力も含め、実に根強い抵抗を見せ、この力がやがてこうした一連の過激な廃仏毀釈活動を終息させていくこととなった。
結局一連の過激な廃仏毀釈活動が齎したものは、実行犯たちの思惑に反していかに仏教が国民にとって切り離せない唯一の信仰になっていたかを改めて証明した結果になったのだ。
【神道シリーズ・シーズン2】第21回・吉川神道(吉田神道陰陽論と朱子学力説のフュージョン)
吉田神道吉田家の萩原兼従より吉田神道第54代の道統を継いだ魚屋出身の吉川コレタリは、吉田家出身ではない惟足をよろしく思わない吉田家の反発をよそに神道理論の奥義を深める研鑽を続けたが、時のはやりの朱子学の理気学説に影響を受け、やがて両者を統合するような独自の神道理論を確立し、吉川神道として吉田家とは断絶した。
しかし、独自神道理論とは言え、ベースは伊勢神道や吉田神道のような道教理論に基づく混沌からの万物発生論であり、そこに朱子学理気論を接ぎ木して朱子学的な陰陽五行説で日本書紀の神代巻を解説しようとしたのが吉川神道である。
理気学神道を唱える一方で、伊勢神道、吉田神道の流れで一貫してる心の内清浄、つまり正直な心が神と一体化する道だと説く真言密教さながらの即身成仏論を彷彿させる論理は吉川神道の底辺を流れており、吉川惟足はこの正直な心なるものを陰陽五行説で強引に儒教徳目でもっとも重視される敬に結び付け、さらには真言密教の即身成仏を彷彿させるような神人合一、つまり神と人は敬を通じて一体化するという論理に至った。
吉川神道の目指したところは、最高絶対神である国常立と人は、自然と湧き上がる国常立への至上と言われる感謝と敬の気持ちがこの絶対神の末裔である天皇を敬う気持ちに繋がるのだと結論づけることで、実はこの論理の飛躍が彼の神道論全体に大きな矛盾を生むこととなる。
一方で人は自然と絶対神の末裔たる天皇に敬の気持ちを抱くとしつつ、一方では不徳の天皇は追放されても当然であるという所謂放伐論が共存し、絶対真理たる朱子学の理ともいえる国常立の子孫ながら不徳の者がいるのかはまったく説明されていない。
吉川神道では和歌を声を上げて読むことにより人と神は一体となることができるとしたが、実は後に国学者たちが和歌の研究に力を入れ、そこから純日本を発見しようとした動きはこの頃から端を発していると言われる。
一方吉川神道の天皇放伐論はその後の儒学や国学にも大きな影響を与えることになった。
【神道シリーズ・シーズン2】第16回・吉田神道(時代に乗ったフェイク神道)
吉田神道は、南北朝の争いで南朝方に加担した伊勢神宮が伊勢神道の影響力が地に落ち、そして戦国時代の夜明けとも言える応仁の乱のあとに伊勢神道を受け継ぐようなかたちで京都の吉田神社で誕生した。
吉田神道の創始者の吉田かねともはアメノコヤネを始祖とする中臣氏の流れの卜部氏の系統のヨシダケ出身で、ある意味武家社会が本格的に朝廷を上回る政治的立場を確立した時代にマッチした神道理論を提案する絶好の機会であったとも言える。
当時も農民を中心とした一般庶民の信仰は100%仏教で、神道理論は庶民というよりも貴族や武家などその時代の支配者たちに提供された体制保障の論理であり、それがこれまで末法時代の克服論であったり救民救済であったりしたのが、武家社会が朝廷を圧倒する戦国時代になると封建支配体制正当化の儒教朱子学理論を軸とした神道理論が武家の間で重宝されるようになったのである。
吉田かねともはそうした時代の流れに狡猾にもうまく乗り、仏教儒教道教を総合しつつも儒教的君民統治論に重点をシフトした神道論を武家の支配層への時代ソルーションとして提供することに成功した。
しかし、その為にかねともは過去に存在してなかった自称古書を自らの著作で捏造し、あたかも太古の昔から吉田神道が存在したような主張をし、さらにかつて密教勢力や伊勢神道の渡会行忠がやったような偽書捏造を通じて京都の吉田神社境内に建てたサイジョウこそが絶対神の国常立のみことの聖地とし、この日本書紀書き換えには伊勢神宮からの強い反発を招き、両者は鋭く対立を続けることとなったのである。
吉田かねともは、吉田神道こそはアメノコヤネ以来日本で唯一こんにちまで伝えられた唯一の元本宗源神道であると主張し、仏教も儒教も道教も同一の理念である理由はこの吉田神道がそれらの起源であるからだとまで豪語したが、問題はその中味がその仏教儒教道教の理論書からの切り貼りであり、すべての宗教の根源とする神道なるものの姿がまったく見えてこないところにあった。
しかしながら、これまで豪族貴族の始祖か御霊のみに限り死者を神と祀って来た過去の歴史を刷新するように時の権力者や儒教的な忠君論的立場より死者を神として祀ることを提唱した吉田神道は、豊臣秀吉や徳川家康など時の権力者たちから受け入れらることとなり、吉田神道は政治的にその地位を確保することになったのであった。
【神道シリーズ・シーズン2】第14回・「神皇正統記」北畠親房(伊勢神道を継ぐ者たち①)
渡会家行の後、後継者なく途絶えそうになっていた伊勢神道は、内宮の荒木田氏により救出され引き継がれることとなったものの、その法統も南北朝の戦乱の中、再び途絶えようとしていた時期に、南朝の重臣の北畠親房や天台僧の慈円らによってその流れが引き継がれることになりました。
伊勢神道自体の復興は江戸時代の 度会延佳の時代を待たねばならなかったものの、この南北朝時代に伊勢神道の流れを継いだ北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」の中では、道教的な思想が中心であった伊勢神道に儒教(朱子学)的なイデオロギーを注入したのが特徴で、実はこの流れはこの先の吉田神道や江戸時代の儒家神道・水戸国学・復古神道にも強い影響を与えて行くことになります。
【神道シリーズ・シーズン2】御流神道と三輪流神道(両部神道主要二派)
11世紀頃から発生してきた真言宗を中心とする(一部天台宗寺門派も含む)真言密教系神道理論は12世紀から15世紀にかけ両部神道を形成し、中世の日本の宗教界を支配していくことになりますが、その両部神道は主に室生山で発生した御流神道と三輪山で発生した三輪流神道が中心となって行きます。13世紀後半より形成された伊勢神道や15世紀に形成された吉田神道もこの両部神道(真言神道)を下敷きにしており、ある意味日本における「神道」という宗教を成立させた根本にもなってる存在だと言えます。
【神道シリーズ・シーズン2】第7回・両部(真言)神道の理論書(真言付法纂要抄・中臣祓訓解・麗気記など)
今回は、両部神道を形成した両部神道の理論書の主なものを紹介したいと思います。
まずは真言宗小野流(三宝院流の系統)の成尊(せいぞん)著作の「真言付法纂要抄(しんごんふほうさんようしょう)」、そして伊勢神宮の仙宮院で生まれた「中臣祓訓解(なかとみはらえのくんげ)」、それから室生山で生まれた御流神道(真言系)の「麗気記(れいきき)」の三つを中心に紹介します。
特に後者2著は後の伊勢神道や吉田神道の形成に絶大な影響を与えて行くことのなります。
【学習用】伊勢神道の基本構造解説(両部神道⇒伊勢神道⇒吉田神道⇒儒家神道の流れの概略)
伊勢神道の詳細説明をするにあたって、両部神道から伊勢神道、そしてその後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道の一貫した流れを理解しておかないと伊勢神道自害がよく分からなくなってしまうので、1時間17分ではありますが、この概略を初心者にも分かりやすく説明した動画を作りました。
【吉田神・実況生活最終日】2020年1月9日園田競馬 吉田勝彦アナウンサーのレース実況引退セレモニー
2020年1月9日園田競馬 吉田勝彦アナウンサーのレース実況引退セレモニー
【吉田神・実況生活最終日】2020年1月9日園田競馬12R お疲れさま吉田勝彦アナありがとう記念(C1) モズコールズ
2020年1月9日園田競馬第12レース お疲れさま吉田勝彦アナありがとう記念(C1) 勝ち馬 モズコールズ
【吉田神・実況生活最終日】2020年1月9日園田競馬6R C2-一組 カークソング
2020年1月9日園田競馬D第6レース C2-一組 勝ち馬 カークソング
【吉田神・実況生活最終日】2020年1月9日園田競馬5R C2-二組 メイショウワカタケ
2020年1月9日園田競馬第5レース C2-二組 勝ち馬 メイショウワカタケ
【吉田神・実況生活最終日】2020年1月9日園田競馬2R C3-二組 ワンダークラッシー
2020年1月9日園田競馬第2レース C3-二組 勝ち馬 ワンダークラッシー
【吉田神・実況生活最終日】2020年1月9日園田競馬1R C3-三組 オトコマサリ
2020年1月9日園田競馬第1レース C3-三組 勝ち馬 オトコマサリ
【神道シリーズ】第65回・武州御嶽信仰(神社神道化で廃れた御嶽信仰)【前編】
武州御嶽(ぶしゅうおんたけ)と言うとあまり馴染みが無いと感じる人が多いかもしれませんが、ここは、元々は他の山岳信仰と同様に8世紀頃からの役小角や行基菩薩による開山伝承はあるものの、実際に記録が残っているのは12世紀からの真言系の世尊寺が武州御嶽山の別当寺になっていたところからで、その世尊寺では住職が1世から3世までの間に100年以上の空位が出ており、その空位を埋めたのが、(真言系の)両部神道の理論形成に貢献してきた神主の大中臣氏の系統の大中臣国兼とその子孫が「社僧」(放送で説明)となり、その後、その氏族の後裔の浜名氏などによって受け継がれていきました。
一方、スポンサーともいえる檀那と言われる人たち(壬生氏・清原氏など)や配札で信仰を広めた御師(おし・おんし)も一緒に武州御嶽信仰を支えてきたのですが、江戸中期以降、金毘羅詣りや伊勢詣りなど有名観光地(参詣先)に人気を奪われる中、経営困難となり、江戸後期以降は吉田神道や復古神道(吉川神道)による再建策を受け入れ、神社神道化(国学神道化)していきます。
【神道シリーズ】第48回・八百万の神⑤(七福神信仰)日本神1柱・中国神3柱・インド3神柱(インターナショナル神信仰)
七福神と言えば、日本各地で福の神としてめでたい時の出し物として祝われたり、お守りなどでも人気のアイテムとして定着してますが、実は、今の七福神のメンバーが揃うのは江戸時代に入ってからで、メンバーによって古くは聖徳太子の時代(毘沙門天)から、そして平安時代末頃からは恵比寿神、大黒天、弁才天、室町時代に入ると、密教神道や吉田神道による中世神道の解釈が加わり(例えば、恵比寿神は蛭子からとか、スクナビコナからとか、また密教的解釈も加わり<宇賀弁財天など>)、さらに江戸自体になると中国から道教の神の福禄寿や寿老人が加わり、さらには中国(南宋時代)で実在した布袋和尚が仏教の神として日本に伝わり今の七福神のメンバーの陣容が整ってきます。
日本の神(恵比寿)、インドの神(大黒天・弁財天・毘沙門天)、中国の神(福禄寿・寿老人・布袋尊)と、実にインターナショナルな顔ぶれの七福神は日本の八百万の神の中でも大きな存在感を持ち続けています。
吉田神『カヴァリエール 今日もまた2着なのか?』(2018年1月3日園田競馬9R)
2018年1月3日園田競馬第9レース B2 勝ち馬 ナリタサウス
実況 吉田勝彦 2012年8月8日 姫路 丹波竜のちーたん特別 モエレトレジャー
実況・吉田勝彦mylist/27408987
裏声 吉田勝彦 2012年8月7日 姫路 JRAウインズ姫路特別 ニシノサンダー
実況・吉田勝彦mylist/27408987
裏声 吉田勝彦 2012年8月1日 姫路 スマホで楽天競馬賞 ニシノイーグル
実況・吉田勝彦mylist/27408987