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交通機関の栄枯盛衰「特急を巡る仁義なき争い!加賀湯けむり特急戦争(前編)」
迷列車で行こうシリーズ10周年おめでとうございます。
以前、東海道交通戦争のあとがきの最後に触れた新シリーズ「交通機関の栄枯盛衰」ようやく初回が完成しました。とりあえず今回は前編をお送りします。後編は原稿作成中ですのでもうしばらくお待ちください。
今回栄枯盛衰を辿るのは石川県加賀市の「大聖寺駅」「動橋駅」「加賀温泉駅」の3駅と、加賀温泉郷を結ぶ北鉄加南線。その歴史はよくも悪くも加賀温泉郷とともにあり、戦後はその位置関係と路線網が原因で激しい特急争奪戦を繰り広げることになります。前編は北鉄加南線成立の経緯と特急停車駅を巡る大聖寺と動橋の激しい争いをご紹介します。
交通機関の栄枯盛衰「廃線寸前からの倍返し」富山ライトレール
※この動画は前後編になっています。まだの方は先に交通機関の栄枯盛衰・JR富山港線編をご覧下さい→sm37402190
廃線への道を辿るように思えた富山港線ですが、JR西日本は路面電車化という思わぬ提案を行います。それは時同じくして少子高齢化、人口減少社会への対策を考えていた富山市長にとって渡りに船な提案でした。
「日本初の本格的LRT」という、公共交通再生のモデルケースとなったJR富山港線改め富山ライトレールはどのようにして劇的な復活を遂げたのか?そして富山港線が迎えた意外な結末とは?
交通機関の栄枯盛衰「対立と裏切りの加賀湯けむり特急戦争」後編
遂に伏兵の作見駅への総合駅設置を決断した国鉄。その決定に怒り狂い、何としても阻止しようとする大聖寺と動橋。双方の対立が激化する中、周囲を取り巻く関係者の思惑が複雑に絡み合う加賀市の総合駅設置計画はどんな結末を迎えるのでしょうか?そして、結末を迎えた後のそれぞれのその後とは・・・?
【4月17日追記】動画公開後に知ったのですが、大聖寺川流し船は4月末で廃止になってしまうようですorz 現在、船とモハ3751は5月末まで無償譲渡先を募集中です。加南線ゆかりの車両が大聖寺の地を離れるのは残念ですが、いい譲渡先に行くといいですね。
https://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20200405/CK2020040502000182.html
交通機関の栄枯盛衰「そして需要は消えていった」富山港線
今回取り上げるのはJR富山港線。戦前の富岩鉄道に始まり、富山電気鉄道の買収や戦時買収を経て国鉄になった路線ですが、戦前から戦後しばらくの時期までは旅客・貨物共に工業地帯の旺盛な需要に支えられて我が世の春を謳歌しました。
しかし、JRになってからは鳴かず飛ばずで、遂には廃線の危機にまで追い込まれてしまいます。優良路線だったはずの富山港線は、なぜ廃線寸前まで追い込まれてしまったのでしょうか?
交通機関の栄枯盛衰「漁夫の利な加賀湯けむり特急戦争(中編)」
北陸本線に特急が新設されて以後、ダイヤ改正のたびに特急の争奪戦を繰り広げる大聖寺と動橋。両者の板挟みとなった国鉄はやむなく両方の駅に特急を停めざるを得ませんでした。
しかし、モータリゼーションの進行による交通事情の変化がその状況を覆し、国鉄は特急停車駅の一本化に動き出します。そして、大聖寺と動橋の間にあった小さな駅の参入で、事態は更に複雑化する事になるのです。
え?タイトルに「後編」って書いてなかったかって?やだなあ奥さん、後編はこっちですよ→sm36657780
交通機関の栄枯盛衰「特殊貨物に救われた限界鉄道」神岡鉄道 前編
今回取り上げるのは2006年11月に廃止された神岡鉄道。
鉱山町として発展した神岡の地域の足として、そして鉱山輸送の要として発展しましたが旅客輸送は開業当初から壊滅的な数字で、めでたく第一次特定地方交通線に指定されてしまいます。しかし地元や神岡鉱山を運営する三井金属にとって、神岡線はまだ必要な存在でした。その理由と存続の方法とは?詳しくは本編で。
後編はこちら→sm38280241
交通機関の栄枯盛衰「貨物が消えたら用はない」神岡鉄道 後編
前編がまだの方は先にこちらをどうぞ→sm38238543
濃硫酸という特殊な貨物のために残った神岡鉄道。しかしその神岡鉄道に引導を渡したのもまた濃硫酸でした。そして濃硫酸輸送という収益源というか存在意義を失った神岡鉄道は2006年11月に廃止。しかしそれは神岡の鉄道の終わりを意味したわけではありませんでした。詳しくは本編で。
交通機関の栄枯盛衰【奥能登の希望からお荷物→復活と思いきや・・・】のと鉄道・前編
大変長らくお待たせしました。1年半ぶりの交通機関の栄枯盛衰でございます。
・・・いや、本当ほったらかしにし過ぎてすみません。全部ダグラスが悪いんや!(唐突な責任転嫁)
今回ご紹介するのは石川県の第三セクター・のと鉄道。その中でも設立理由となった能登線を中心にご紹介します。能登線の計画自体は戦前からありましたが、予算不足や戦争などの理由で結局全線開通したのは戦後しばらく経ってから。開業当初こそ能登半島の観光ブームで上々の滑り出しだったものの、ブーム終了で典型的な赤字ローカル線に転落し、特定地方交通線の対象に。
しかし、石川県は能登線を存続させるために早期の第三セクター化を打ち出して存続を決め、開業当初ののと鉄道も黒字経営となるなど好調なスタートを切りました。しかし・・・
交通機関の栄枯盛衰【補助金依存で何もかもサボった会社】野上電鉄 前編
今回ご紹介するのは和歌山県海南市と野上町(現・紀美野町)を結んでいた野上電気鉄道。戦前製の車両が平成まで残り、ファンの間では「動く電車の博物館」とも言われていた鉄道会社でしたが、その一方で悪い意味で記憶に残ってしまった「伝説の鉄道会社」でもありました。
・・・まあ、迷列車シリーズ視聴者の皆様なら結末はご存じだとは思いますが、その伝説を改めてじっくりご覧下さい。前編は野上電鉄が補助金にどっぷり依存してライフゼロになるまで。
後編はこっち→sm42828971
交通機関の栄枯盛衰【最後はあり得ない事になった限界ギリギリ鉄道】有田鉄道
こちらのシリーズもまたもやお久しぶりになってしまいました。
・・・色々あったんですよ、色々と。
今回ご紹介するのは和歌山県にあった有田鉄道。みかんを運ぶために作られた鉄道でしたが、ご多分に漏れずモータリゼーションで貨物と旅客を失い、最後は鉄道としてありえない規模にまで縮小してしまいました。なぜあり得ないことになってしまったのか、なぜそれでも鉄道を辞めなかったのか。詳しくは本編で。
交通機関の栄枯盛衰【過疎化と負担に負けた鉄道】のと鉄道能登線(後編)
この動画は前後編になります。前編がまだの方は先にこちらをご覧下さい。→
七尾線の非電化区間を引き受け、規模を拡大したのと鉄道。しかし、それが結果的にのと鉄道のクビを締めることになってしまいました。
他地域よりも早い過疎化やモータリゼーション、規模拡大に伴う経費増大に、七尾線特有の負担がのと鉄道を苦しめることになり、やがて2度の廃線を経験することになります。そして、大半の路線を失ったのと鉄道と、鉄路が消えた奥能登地域に残されたものとは・・・?
交通機関の栄枯盛衰・立山黒部アルペンルート【第二話・富山側からのアルペンルート前史】
この話は続き物です。第一話がまだの方はこちらからどうぞ→sm43908236
第2話は富山県側から見た立山の歴史と、アルペンルート建設前史をご紹介します。古来より富山県民に取って心のより所であり、有形無形の恵みを生み出した立山。その歴史的経緯を考えると、立山の玄関口を長野県に取られることは絶対に許容できませんでした。詳しくは本編で。
【補助金切れたら逆ギレ解散】交通機関の栄枯盛衰・野上電鉄【後編】
前編はこちら→
補助金生活にどっぷり浸り、普通の鉄道会社がやってるような努力を何一つせずにどうにもならなくなってしまった野上電鉄。今更慌てても時既に遅し。とうとう補助金打ち切りという形で長年のツケを払うときが来てしまいました。
・・・まあ、この後どうなったかは迷列車ユーザーの皆様ならご存じだと思いますが。
交通機関の栄枯盛衰・立山黒部アルペンルート【第1話・関電トンネルトロリーバス】
ニコニコ復活おめでとうございます!
今回から5回シリーズ(予定)で、立山黒部アルペンルートの歴史と確執をご紹介します。一見するとスムーズに一つのルートになっているように見えるアルペンルートですが、実際は黒部ダムを境に運営会社が分かれており、その歴史は富山側と関電側の対立の歴史でもありました。初回は富山側と長野側で運営会社が分かれた理由と、大町側の黒部ダム建設とトロリーバスの運行開始まで。
第2回はこちら→sm44004454