キーワード 丹下健三 が含まれる動画 : 24 件中 1 - 24 件目
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【ゆっくり建築解説】実は機能的?建築デザインの裏側
#建築 #解説 #関西国際空港 #代々木体育館 #水戸芸術館
建築家が設計した建築の中には奇抜で個性的なデザインのものが数多くあります。それらは奇抜さゆえに「建築家の自己満足」「機能的でない」と呼ばれてしまう事があります。
しかし、一見奇抜に見えるデザインには実は機能的な意味が隠れているものが数多くあります。
今回はそんな、デザインの機能的な裏側をいくつか解説します。
キャラクター作画
さみはる
キャラクターデザイン
星華 彩二魔
音声
softalk
編集
aviutl
Yukkuri Movie Maker 4
【建築解説】「戦争と建築」 広島 平和記念公園と平和への軸線 【終戦記念日特別動画】
広島市にある平和記念公園と平和記念資料館の解説です。
終戦記念日にちなみに「戦争と建築」と題し、先の大戦で日本の建築はどのように向き合ってきたかを解説するシリーズ。
今回は丹下健三設計の平和記念公園と平和記念資料館です。
太平洋戦争の終わりに広島に原爆が落とされ、多くの人の命が失われました。その復興と平和のシンボルとして作られた平和記念公園は今でも平和への願いの象徴の場となっています。
今回はそんな平和記念公園の計画やどのような思いで作られたかを解説します。
終戦記念日であるからこそ、平和と平和に向けて建築が何をしてきたかを知る機会となればと思います。
00:00 冒頭
02:00 広島市と原爆
04:35 設計公募概要
06:00 平和記念公園について
09:00 丹下の設計案と帝国主義
10:56 丹下健三の思い
16:32 公園の完成まで
17:50 その後現代まで
【ゆっくり建物探訪】横浜美術館探訪
実際に訪れた建物を紹介し探訪するシリーズの動画です。
今回紹介するのは丹下健三設計の横浜美術館。
横浜のみなとみらいの開発の初期に建設され、今なお横浜の名所として人気を誇る美術館です。開発されたみなとみらいの中で落ち着きと開放感を得られる計画。また荘厳な空間は色あせる事を知りません。
横浜に訪れる際はぜひお越しください、
あと横浜優勝!!
参考
https://yokohama.art.museum/
世界の建築家
世界に名だたる建築家を並べました。
基本的に広く浅くの人物紹介を目指してます。
アポロドーロス/ジョルジョ・ヴァザーリ/ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ/ランスロット・ブラウン/ピエール・S・ランファン/コンスタンチン・トーン/シャルル・ガルニエ/ジョサイア・コンドル/辰野金吾/ギュスターヴ・エッフェル/オーギュスト・ペレ/内藤多仲/フランク・ロイド・ライト/ル・コルビュジエ/ミース・ファン・デル・ローエ/ヴァルター・グロピウス/ミノル・ヤマサキ/丹下健三
マイリスト mylist/58413091
名探偵たちの生みの親:sm32551338
スパイ・諜報員:sm32440206
宗教改革の関係者:sm32402279
世界の女性君主:sm32370435
世界の発明家:sm32297511
◆追記◆
mtnkさん広告ありがとうございました。
東京モダン建築集
フランク・ロイド・ライト ル・コルビジェ アントニン・レイモンド ノーマン・フォスター レンゾ・ピアノ リチャード・ロジャース ジャン・ヌーヴェル ラファエル・ヴィニョーリ 丹下健三 黒川紀章 安藤忠雄 ほか
【ゆっくり解説】世界の名庁舎?迷庁舎?あなたはどっち?【都市と歴史】
世界各地に必ずある、お役所をゆっくり達が解説します。
1分でわかる 建築家列伝 #7 丹下健三【ゆっくり建築解説講座】
建築家の生涯1分で解説する動画です。
第7回はフジテレビ、都庁でも有名な日本を代表する建築家
丹下健三です。
巨匠と呼ばれる建築家の生き様や設計した作品に少しでも興味を持つきっかけになればと思います。
GW特別企画です。連日一人1分投稿されます。
※最後に総集編をやります。
part1→sm36776469
part2→sm36776514
part3→sm36776557
part4→sm36777158
part5→sm36777193
part6→sm36777233
part8→sm36777366 5/8公開
総集編→sm36784185 5/9公開
このシリーズの偉大なる先駆者様
https://www.youtube.com/playlist?list=PLtgfZ0luX9Kby0NUyxv2f1sLOQCKZTi1g
キャラクターデザイン さみはる https://skima.jp/profile?id=51391
過去の建築解説講座↓
ゆっくり建築解説講座マイリストまとめ →mylist/62521053
ofuse始めました。https://ofuse.me/#users/8986
藤村龍至+東浩紀「私はなぜ丹下健三に学ぶのか」(福島第一原発観光地化計画の哲学 1)
2012年に発足し、2013年11月に書籍が刊行された『福島第一原発観光地化計画』。
賛否両論、毀誉褒貶を巻き起こす本計画に、研究会委員たちはいかなる意図で参加し、どのようなメッセージを込めたのか。
座長・東浩紀が聞き手となり、研究会委員にロングインタビューを敢行する。
第1回は建築家・藤村龍至。なぜこの計画では批判覚悟で、研究会委員たちによる「トップダウン」で、巨大な「箱モノ」を提案したのか。そこには、建築が果たすべき役割を「動員」と捉え、「広島における丹下健三」を引き受ける覚悟が隠されていた――
2013年12月20日収録 藤村龍至建築設計事務所
(この動画はsm1387901701と同一のものです)
第2弾 速水健朗+東浩紀「反原発とフード左翼のただならぬ関係」(福島第一原発観光地化計画の哲学 2)
http://www.nicovideo.jp/watch/1392305560
「建築界ノーベル賞」に伊東豊雄さん
プリツカー賞の審査委員会は17日、伊東豊雄さんを、2013年の受賞者に選んだと発表した。伊東さんは、宮城・仙台市の「せんだいメディアテーク」や、東日本大震災の被災者のための集会所「みんなの家」の設計を手がけたことなどでも知られている。伊東さんは「これから、自分の建築を、また変えていかなくてはならないなと思っている矢先に評価をいただいたのが、私にとっては、大変勇気づけられますね」と話した。伊東さんの設計は、国内外で高い評価を得ていて、2010年には、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。プリツカー賞は、建築界で最も権威のある賞とされ、日本人の受賞者は、丹下健三氏や安藤忠雄氏らに続いて6人目となる。
速水健朗+東浩紀「フード左翼と原発のただならぬ関係」(福島第一原発観光地化計画の哲学 2)
2012年に発足し、2013年11月に書籍が刊行された『福島第一原発観光地化計画』。
賛否両論、毀誉褒貶を巻き起こす本計画に、研究会委員たちはいかなる意図で参加し、どのようなメッセージを込めたのか。
座長・東浩紀が聞き手となり、研究会委員にロングインタビューを敢行する。
第2弾はライター・編集者の速水健朗が登場。
ショッピングモールの研究家として著書もある速水が、本プロジェクトに込めた思いとは。
「フード左翼」(地域主義で健康・自然食志向)と反原発思想の意外な結びつきも明らかになるロングインタビュー!
2014年2月6日収録 ゲンロンオフィス
(この動画はsm1392305560と同一のものです)
第1弾 藤村龍至+東浩紀「私はなぜ丹下健三に学ぶのか」(福島第一原発観光地化計画の哲学 1)
http://www.nicovideo.jp/watch/1392380597
隈研吾×藤村龍至×東浩紀「ポストコロナの建築言語──隈研吾『点・線・面』から新しい空間論へ」(2020/6/12収録)@ryuji_fujimura @hazuma
ゲンロンαにイベントのレポート記事を掲載しています。ぜひお読みください。
記事URL= https://genron-alpha.com/article20200617_01/
【収録時のイベント概要】
国立競技場の設計に携わり、日本を代表する建築家として知られる隈研吾氏。氏はこの春に『点・線・面』(岩波書店)を出版し、「負ける建築」とも呼ばれる氏独特の建築手法を支える思想を体系的に明らかにされています。同書で言及されるのは、コルビュジェ、ミース、丹下、コールハース、ザハ・ハディドといった建築家、またカンディンスキー、ギブスン、ドゥルーズ、ラトゥール、インゴルド、フラーといった多彩な思想家/アーティストたちです。近代建築史を「線」と「ヴォリューム」(量塊)の相克の歴史として捉え、そのさきに自身の試みを位置付ける同書の見取り図はきわめてクリアで、新たな空間論や住居論、都市論の誕生を予感させます。
このたびゲンロンカフェでは、その隈氏をお招きし、新刊の議論を出発点に、氏の考える新しい住居や都市のかたちを伺うトークイベントを開催します(無観客で放送のみ)。聞き手を務めるのは、建築家で東京藝術大学准教授の藤村龍至氏と東浩紀です。ゲンロンカフェへの隈氏の登壇は、二〇一四年の春以来、じつに六年ぶりとなります。
隈氏は、同書とほぼ同時に、自らの建築経験と日本社会の変遷を重ねて振り返る自伝的な著作『ひとの住処 1964-2020』(新潮新書)も刊行されています。そちらでは、自身の作品についておもに丹下健三との比較で語っています。イベントでは『点・線・面』に加えそちらにも触れながら、高輪ゲートウェイ駅舎、明治神宮ミュージアム、角川武蔵野ミュージアムといった国立競技場以外の近作の話も伺う予定です。
国立競技場はこの夏の東京五輪のメイン会場として使われることが予定されていました。けれども残念なことに、コロナ禍によって開催は翌年に延期され、そもそも開催されるかどうかも不透明な状況になってしまいました。隈氏は、いわば、日本でもっともコロナ禍の被害を直接に被った建築家のひとりといえます。その経験を踏まえて、ポストコロナの住居像や都市像はどうあるべきか、そこでの建築家の使命はどのようなものになるのか、そして東京と日本はどうあるべきか、あらためて伺うこともできればと考えています。
産業資本主義に相当する建築として丹下のモダニズムがあり、金融資本主義に相当する建築としてコールハースとザハのポストモダニズムがあるとして、隈氏の思想はポストコロナの建築言語になりうるのか。多角的に議論できればと思います。ご期待ください。(東浩紀)
ポストコロナの建築言語 – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20200612/
【公式生放送】via NATURAL ELLIPSE program1 「残らない家」③
築27年の林雅子設計の家に住む 村松伸(建築史家)、新・前川國男邸を管理する 木下壽子、長く住まうことを見つめ続ける編集者 松井晴子、「住宅の継承」をそれぞれの形で、社会に発表しているプレゼンターたちから住み継ぐことの現実を聞き、継承していくためのモチベーションを見つめ直す。 program2「転じるタテモノ」sm13049823 program3 「3分ライティング」sm13050944 ■リンクvia NATURAL ELLIPSE information=http://www.via-kenchiku.com/ 放送URL lv31914029 ②sm13049197 ④sm13049631 part3:スライドショー=斎藤助教授の家/清家清@1952年、丹下健三自邸@1953年、吉阪隆正自邸@1955年、正面のない家/坂倉準三建築事務所/西沢文隆@1962年、中野本町の家/伊東豊雄@1976年
(1/3)本田晃子×上田洋子「全体主義とユートピア建築――『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』サントリー学芸賞受賞記念トークショー」 【2015/04/28配信】@yuvmsk
建築の空間からユートピア社会を構成しようとしたソ連の建築家たち。なかでもイワン・レオニドフは、ガラス建築、俯瞰の視点、グリッド、有機体の形態、太陽のメタファーなど、現実の世界からは少し離れた独自の視点で、新しいユートピアを作ろうとしました。構成主義時代の研究所や労働者クラブ案、社会主義の理想都市として構想されたマグニトゴルスク・プロジェクト、スターリン建築の黎明期に構想された重工業人民部ビル、クリミア半島のリゾート開発での有機体のフォルムへの傾倒、全連邦農業博覧会と「太陽の都」―—レオニドフの代表作はいずれもあまり実現性がありません。しかし、彼が描いた建築・都市は、まさにユートピアとして、理想の社会や空間を提示しています。
レオニドフは日本の建築家にも大きな影響を与えています。たとえば「マグニトゴルスク・プロジェクト」は、丹下健三の「東京計画1960」の線形平行射状の都市構造のモデルとなりました。また磯崎新ら多くの日本の建築家が、その活動を参照しています。
レオニドフの建築を斬新な視点で読み解く『天体建築論』でサントリー学芸賞を受賞した本田晃子さんをお迎えし、建築とユートピアについて議論します。
■
革命後のロシアで生まれた前衛建築運動は、新しい建築を通じて新しい人間、新しい社会をつくり出ことを目指しました。このユートピア的運動の中心に位置していたのが、イワン・レオニドフでした。建築家でありながら、生涯にわたって一度も「建てる」ことのなかったレオニドフ。その彼の考える建築=社会像とはいかなるものだったのか。そして1930年代に弾圧の対象となったとき、彼の建築思想はどこへ向かったのか。レオニドフの創作の軌跡から、激動の時代のソ連建築を論じます!(本田晃子)
(2/3)本田晃子×上田洋子「全体主義とユートピア建築――『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』サントリー学芸賞受賞記念トークショー」 【2015/04/28配信】@yuvmsk
建築の空間からユートピア社会を構成しようとしたソ連の建築家たち。なかでもイワン・レオニドフは、ガラス建築、俯瞰の視点、グリッド、有機体の形態、太陽のメタファーなど、現実の世界からは少し離れた独自の視点で、新しいユートピアを作ろうとしました。構成主義時代の研究所や労働者クラブ案、社会主義の理想都市として構想されたマグニトゴルスク・プロジェクト、スターリン建築の黎明期に構想された重工業人民部ビル、クリミア半島のリゾート開発での有機体のフォルムへの傾倒、全連邦農業博覧会と「太陽の都」―—レオニドフの代表作はいずれもあまり実現性がありません。しかし、彼が描いた建築・都市は、まさにユートピアとして、理想の社会や空間を提示しています。
レオニドフは日本の建築家にも大きな影響を与えています。たとえば「マグニトゴルスク・プロジェクト」は、丹下健三の「東京計画1960」の線形平行射状の都市構造のモデルとなりました。また磯崎新ら多くの日本の建築家が、その活動を参照しています。
レオニドフの建築を斬新な視点で読み解く『天体建築論』でサントリー学芸賞を受賞した本田晃子さんをお迎えし、建築とユートピアについて議論します。
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革命後のロシアで生まれた前衛建築運動は、新しい建築を通じて新しい人間、新しい社会をつくり出ことを目指しました。このユートピア的運動の中心に位置していたのが、イワン・レオニドフでした。建築家でありながら、生涯にわたって一度も「建てる」ことのなかったレオニドフ。その彼の考える建築=社会像とはいかなるものだったのか。そして1930年代に弾圧の対象となったとき、彼の建築思想はどこへ向かったのか。レオニドフの創作の軌跡から、激動の時代のソ連建築を論じます!(本田晃子)
(3/3)本田晃子×上田洋子「全体主義とユートピア建築――『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』サントリー学芸賞受賞記念トークショー」 【2015/04/28配信】@yuvmsk
建築の空間からユートピア社会を構成しようとしたソ連の建築家たち。なかでもイワン・レオニドフは、ガラス建築、俯瞰の視点、グリッド、有機体の形態、太陽のメタファーなど、現実の世界からは少し離れた独自の視点で、新しいユートピアを作ろうとしました。構成主義時代の研究所や労働者クラブ案、社会主義の理想都市として構想されたマグニトゴルスク・プロジェクト、スターリン建築の黎明期に構想された重工業人民部ビル、クリミア半島のリゾート開発での有機体のフォルムへの傾倒、全連邦農業博覧会と「太陽の都」―—レオニドフの代表作はいずれもあまり実現性がありません。しかし、彼が描いた建築・都市は、まさにユートピアとして、理想の社会や空間を提示しています。
レオニドフは日本の建築家にも大きな影響を与えています。たとえば「マグニトゴルスク・プロジェクト」は、丹下健三の「東京計画1960」の線形平行射状の都市構造のモデルとなりました。また磯崎新ら多くの日本の建築家が、その活動を参照しています。
レオニドフの建築を斬新な視点で読み解く『天体建築論』でサントリー学芸賞を受賞した本田晃子さんをお迎えし、建築とユートピアについて議論します。
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革命後のロシアで生まれた前衛建築運動は、新しい建築を通じて新しい人間、新しい社会をつくり出ことを目指しました。このユートピア的運動の中心に位置していたのが、イワン・レオニドフでした。建築家でありながら、生涯にわたって一度も「建てる」ことのなかったレオニドフ。その彼の考える建築=社会像とはいかなるものだったのか。そして1930年代に弾圧の対象となったとき、彼の建築思想はどこへ向かったのか。レオニドフの創作の軌跡から、激動の時代のソ連建築を論じます!(本田晃子)
(1/3)倉方俊輔×豊川斎赫 ×藤村龍至「工学の国で意匠の可能性を問う」【2014/10/13配信】 @kurakata @ryuji_fujimura
日本の社会では建築の意匠が議論の対象とならない。意匠などというものは建築デザイナーの自己中心的な表現欲求に過ぎず、建築は社会や機能のことを考えるべきだ、という主張が繰り返され、醜い建築、醜い都市、醜い風景が量産されてしまう。
ルーツは今からちょうど100年前に遡る。1914年に竣工した東京駅の構造設計等を担当した建築構造家、佐野利器は「意匠などというものは婦女子の考えること」と考え、社会の近代化に伴う都市の拡大を背景に「耐震耐火構造」「大量生産」「都市計画」などをテーマに掲げ、意匠派批判のキャンペーンを張る。日本建築の伝統と西洋から輸入された新しい技術を融合した日本独自の意匠を確立しようとしていた伊東忠太ほか意匠派が佐野らの批判に応えられれば良かったのだが、運悪く関東大震災(1923)がやってくる。
佐野は復興計画の中心となり、耐震耐火構造の学校建築を実現し、鉄筋コンクリートの工法を伝授して今日のスーパーゼネコンの基礎を作り、日本近代建築界の基礎をつくる。以来、社会と結びついているのは構造・組織派であって意匠・アトリエ派は社会から孤立した存在として扱われ、社会的な影響力のない意匠アトリエ派と意匠に興味のない構造組織派の対比が近代化、戦争、戦災復興、超高層、グローバル化とかたちを変えながら100年以上延々続いている。
その対比はどう乗り越えればいいのだろうか。1960年代、丹下健三は社会・工学・意匠を統合し得た数少ない存在であったが、現代ではかつての丹下のように社会・工学・意匠を統合することは不可能なのだろうか。 ここでは事故災害の国・日本で拡大した「意匠に興味のない工学」というモデルを乗り越えるため、「超線形設計プロセス」という工学的なフィードバックを用いて新たな意匠論を展開しようとする「批判的工学主義」を掲げる藤村の著書の刊行を記念し、伊東忠太研究を起点に広く作家研究を行う倉方俊輔氏と、組織設計事務所での実務を持ち、丹下健三研究を行う豊川斎赫氏を招き、現代における意匠の可能性を討議する。
(2/3)倉方俊輔×豊川斎赫 ×藤村龍至「工学の国で意匠の可能性を問う」【2014/10/13配信】 @kurakata @ryuji_fujimura
日本の社会では建築の意匠が議論の対象とならない。意匠などというものは建築デザイナーの自己中心的な表現欲求に過ぎず、建築は社会や機能のことを考えるべきだ、という主張が繰り返され、醜い建築、醜い都市、醜い風景が量産されてしまう。
ルーツは今からちょうど100年前に遡る。1914年に竣工した東京駅の構造設計等を担当した建築構造家、佐野利器は「意匠などというものは婦女子の考えること」と考え、社会の近代化に伴う都市の拡大を背景に「耐震耐火構造」「大量生産」「都市計画」などをテーマに掲げ、意匠派批判のキャンペーンを張る。日本建築の伝統と西洋から輸入された新しい技術を融合した日本独自の意匠を確立しようとしていた伊東忠太ほか意匠派が佐野らの批判に応えられれば良かったのだが、運悪く関東大震災(1923)がやってくる。
佐野は復興計画の中心となり、耐震耐火構造の学校建築を実現し、鉄筋コンクリートの工法を伝授して今日のスーパーゼネコンの基礎を作り、日本近代建築界の基礎をつくる。以来、社会と結びついているのは構造・組織派であって意匠・アトリエ派は社会から孤立した存在として扱われ、社会的な影響力のない意匠アトリエ派と意匠に興味のない構造組織派の対比が近代化、戦争、戦災復興、超高層、グローバル化とかたちを変えながら100年以上延々続いている。
その対比はどう乗り越えればいいのだろうか。1960年代、丹下健三は社会・工学・意匠を統合し得た数少ない存在であったが、現代ではかつての丹下のように社会・工学・意匠を統合することは不可能なのだろうか。 ここでは事故災害の国・日本で拡大した「意匠に興味のない工学」というモデルを乗り越えるため、「超線形設計プロセス」という工学的なフィードバックを用いて新たな意匠論を展開しようとする「批判的工学主義」を掲げる藤村の著書の刊行を記念し、伊東忠太研究を起点に広く作家研究を行う倉方俊輔氏と、組織設計事務所での実務を持ち、丹下健三研究を行う豊川斎赫氏を招き、現代における意匠の可能性を討議する。
(3/3)倉方俊輔×豊川斎赫 ×藤村龍至「工学の国で意匠の可能性を問う」【2014/10/13配信】 @kurakata @ryuji_fujimura
日本の社会では建築の意匠が議論の対象とならない。意匠などというものは建築デザイナーの自己中心的な表現欲求に過ぎず、建築は社会や機能のことを考えるべきだ、という主張が繰り返され、醜い建築、醜い都市、醜い風景が量産されてしまう。
ルーツは今からちょうど100年前に遡る。1914年に竣工した東京駅の構造設計等を担当した建築構造家、佐野利器は「意匠などというものは婦女子の考えること」と考え、社会の近代化に伴う都市の拡大を背景に「耐震耐火構造」「大量生産」「都市計画」などをテーマに掲げ、意匠派批判のキャンペーンを張る。日本建築の伝統と西洋から輸入された新しい技術を融合した日本独自の意匠を確立しようとしていた伊東忠太ほか意匠派が佐野らの批判に応えられれば良かったのだが、運悪く関東大震災(1923)がやってくる。
佐野は復興計画の中心となり、耐震耐火構造の学校建築を実現し、鉄筋コンクリートの工法を伝授して今日のスーパーゼネコンの基礎を作り、日本近代建築界の基礎をつくる。以来、社会と結びついているのは構造・組織派であって意匠・アトリエ派は社会から孤立した存在として扱われ、社会的な影響力のない意匠アトリエ派と意匠に興味のない構造組織派の対比が近代化、戦争、戦災復興、超高層、グローバル化とかたちを変えながら100年以上延々続いている。
その対比はどう乗り越えればいいのだろうか。1960年代、丹下健三は社会・工学・意匠を統合し得た数少ない存在であったが、現代ではかつての丹下のように社会・工学・意匠を統合することは不可能なのだろうか。 ここでは事故災害の国・日本で拡大した「意匠に興味のない工学」というモデルを乗り越えるため、「超線形設計プロセス」という工学的なフィードバックを用いて新たな意匠論を展開しようとする「批判的工学主義」を掲げる藤村の著書の刊行を記念し、伊東忠太研究を起点に広く作家研究を行う倉方俊輔氏と、組織設計事務所での実務を持ち、丹下健三研究を行う豊川斎赫氏を招き、現代における意匠の可能性を討議する。
井出明+東浩紀「ダークツーリズムが被災地をつなぐ」(福島第一原発観光地化計画の哲学 3)
2012年に発足し、昨年11月には書籍が刊行された『福島第一原発観光地化計画』。
賛否両論、毀誉褒貶を巻き起こす本計画に、研究会委員たちはいかなる意図で参加し、どのようなメッセージを込めたのか。
座長・東浩紀が聞き手となり、研究会委員にロングインタビューを敢行する。
第3弾は観光学者の井出明が登場。
社会情報学出身という異色の経歴を持つ井出は、どのようにダークツーリズムと出会ったのか。
3.11の被災地で、どのような展開が可能なのか。
日本における修学旅行の意外な歴史、そして問題点とは?
ツーリストによる文脈の再発見が、ばらばらになった被災地をつなぐ。
広島、長崎、水俣、大牟田……。
日本のおける第一人者が
多彩な実例を交えながら語る、
ダークツーリズムの秘められた可能性。
第1弾 藤村龍至+東浩紀「私はなぜ丹下健三に学ぶのか」(福島第一原発観光地化計画の哲学 1)
http://www.nicovideo.jp/watch/1392380597
第2弾 速水健朗+東浩紀「フード左翼と原発のただならぬ関係」(福島第一原発観光地化計画の哲学 2)
http://www.nicovideo.jp/watch/1392365122
※この動画は、「福島第一原発観光地化計画チャンネル」にアップロードされた同名の動画(http://ch.nicovideo.jp/fukuichikankoproject/video/so23917800)と同一の内容です。ご注意ください。
「建築界のノーベル賞」プリツカー賞 磯崎新さん
2019年3月6日 6時49分
「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるアメリカのプリツカー賞のことしの受賞者に、建築家の磯崎新さんが選ばれました。
プリツカー賞は、アメリカのハイアット財団が世界的に優れた建築家に贈る、建築界で最も権威のある賞で、「建築界のノーベル賞」とも呼ばれています。
アメリカの審査委員会は5日、ことしの受賞者に、日本人建築家の磯崎新さんを選んだと発表しました。
磯崎さんは、大分市出身の87歳。東西の文化を融合させた前衛的な作風で知られていて、代表的な建築物に、大分県立大分図書館や、つくばセンタービル、ロサンゼルス現代美術館などがあります。
選考理由について、ハイアット財団は「磯崎氏は、東洋が西洋文明の影響を強く受けていた時代に海外に出て、みずからの建築術を確立した真に国際的な建築家だ」と評価しています。
プリツカー賞の授賞式は5月にフランスで行われる予定で、日本人としては、丹下健三さんや安藤忠雄さん、それに、東日本大震災の被災地で仮設住宅を作った取り組みなどが評価され、2014年に受賞した坂茂さんに次いで8人目です。